第6話 成し遂げんとした志を
職場に着くとすぐに、上司に呼び出された。
「お前なぁ、最近仕事、舐めるんじゃないか?今日も遅れてきてよぉ。」
いつもの上司の小言が始まる。
「すみません…でも、今日は、緊急事態で…、」
「あーあー、もう、いいから。早く仕事してくんない?」
「………はい。」
上司の言葉があまり気にならない程に、今瀬は雪とナカハラの所在を気にし続けていた。意識がどうしてもそちらの方に向いてしまい、ソワソワと落ち着かない気分になる。
一向に作成が進まない資料を表示させため息をつくと、一度気分を切り替えようと席を立つ。そのとき、カサッと音を立ててポケットから紙切れが落ちた。
「あっ…!」
拾ってみると、いつしか雪がナカハラに文字を教わりながら書いたという紙の切れ端だった。今瀬の名前と、それから歪なミミズ文字のような何か漢字のようなもの。結局すぐ雪は寝てしまい、なんて書いてあるのかは分からなかった。
よく見てみると、乱雑に破り取られたため途切れてしまっている。
「今瀬くん、今日朝から課長不機嫌だったから、大丈夫…?って、あら。」
しばらく紙切れを見つめたまま固まっていた今瀬だが、山本さんが話しかけてきて、はっと顔を上げた。
「もしかして、この前言ってた親戚のお子さんかしら…?」
うふふ、と朗らかに笑う。
「あ、ああ!そうなんです。文字、教わったらしくて…でも、この記号みたいなのがずっと分からなくて。案外意味なんてないのかなって…。」
「えぇ?この途切れてる文字のことかしら?………あっ、ふふっ!」
不思議そうに見つめていた山本さんは何かに気がついたように微笑んだ。
「これ、文字が回転してるけど、ちゃーんと言葉になってるわ。」
「え?」
そう言われて、紙をぐるぐる回してみる。
「だってこれ、漢字でしょう?」
ただの記号や落書きだと思っていたが、そう言われてじっくり見てみると、確かに単語らしくも見える。
「……………!」
謎が解けた途端、今瀬はカバンを持って走り出していた。背後からは山本さんの戸惑う声が一瞬聞こえたが、それもすぐに霧散するほど早く駆け出していた。
もう躊躇している暇などない。会社のことや明日のことはもう頭からスッポリと抜けていた。ただ、あのとき自分から飛び込んだ瞬間もうすべきことは決まっていたのだ。
ナカハラの家にあった紙切れを取り出す。「相良」という文字。もしかしたらあの場所が関わっているかもしれないと、一縷の望みに賭けて隣町との境にある「相良稲荷神社」へ向かう。
隣町との境にある神社へ向かう。
会社から神社は結構距離があったはずだ。途中バス停に止まっていたバスに飛び乗った。
今雪たちはどこにいるのか、何もできない自分に苛立ちが募る。先程からポケットの中でずっとスマホが振動している。着信拒否してしまおうかとポケットを探っていたとき、窓の外に黒い車が通った。
今瀬は、咄嗟に背もたれにずるずるともたれ掛かり窓から顔を逸らす。確かに記憶違いではないだろう。要人を乗せるようなピカピカに磨かれた黒いボディの自動車は、あのとき、雪がいなくなった時にちょうど走り去っていた車である。
胸が締め付けられるようにキュッと収縮する。それほど珍しくはないというのに、なぜか見つかってはいけないような心地になった。
※※※
久しぶりに訪れた神社は、昔よりも寂れているように感じた。小中学生の頃はよく友達と夏祭りに来ていた。自分が成長したからか、今はまだ祭りの時期ではないからだろうか。
蝉が忙しなく鳴いているが、昼間だからか遊んでいる子どももいない。鳥居の前に立つと、その奥に階段が見えるが、やはり苔が生しており、両端から生い茂る草木は昼間でなければ異様な雰囲気であったであろう。
先の見えない階段、入り口に佇む狐のような狸のような石像、朱色の色褪せた本殿。暑さと足元の凸凹とした石畳に足を取られながら奥へ進んで行く。
賽銭箱の前に立ってみるが何も起こらない。試しに賽銭を入れ鈴を鳴らしてみてもやはり何も起こらなかった。
試しに境内の裏手に回ってみる。手入れがさるていないのか、草がぎっしりと生えていて歩きにくい。何か石を踏んでしまったのか、よろけた拍子に柵を掴む。
そのとき、柵がガチャリと音を立てて開いた。
「!……っうわぁ!!」
全体重をかけており咄嗟に体勢を戻せなかった今瀬が倒れ込む。地面に手をつこうとするが、押し出した腕は地面をすり抜け気が付いたら体が逆さまになっていた。
そういえばここは草が生い茂っていてよく分からないが、裏は川になっているため絶対に降りないように言われていた。当時は柵もあり外も見えないため、入ろうとする人なんかはいなかったが、まさかこれほど急な坂になっていようとは思わなかった。刹那に死を悟ったが、ドッ、と思っていたより早く衝撃が襲ってきて少しばかり背中を打ちつける。
「うっ…!」
そのまま背中から地面を滑り落ち、ようやく平らな地面のような場所で止まった。衝撃からしばらく地面で唸っていたが、漸く体を起こすともうすっかり神社が木に隠れて見えなくなっていた。
「え〜、どこだよここ…。」
仕方なく元来たであろう傾斜を登ろうとした。そばにある木に手をかけたとき、今瀬はなぜか既視感を覚えた。手をかけた場所、その真下の方に視線を移すと、木の幹に何かで傷付けたような模様が書いてあった。
「あれ?ここだったっけ…。」
そう無意識に呟いていた。自分でも何を言っているのだろうと思ったが、どうしても初めて見たとは思えなかった。大木の奥、よくみると獣道が続いている。上は崖があり、自力では登れそうにないため、仕方なく獣道のようなところを進む。
山もない土地で遭難はしないだろうと思ったが、これほどの雑木林があるのも知らなかったのだ。警戒した方がいいのかもしれない。そう思いながらも足が勝手に奥へ進んでしまう。
しばらく視界に入る草を掻き分け進んでいると、急に目の前に空間が現れた。ぽっかりと円形に地面が露出しており、先ほどの薄暗さとはかけ離れ、木漏れ日がいくつも差していた。
そのちょうど中心、自分の正面に小さい小屋みたいなものが鎮座していた。
「なんだ、これ。………祠か?」
近づいてよく見ると、そこには何かを祀っているような祠があった。祭壇には器に入った液体と、商店街で売っているような饅頭がいくつか供えてあった。それらは劣化したようには見えずいかにも最近取り替えられたかのように綺麗新しかった。もしかしたら誰かの土地かもしれないと思い引き返そうとする。しかし、振り返ったとき確かにあった細い獣道は完全に無くなっていた。思い違いかと周囲全体を見回すが、完全なサークル状になっており四方は密に生えた木しかなかった。
「夢だとしても笑えないな…。」
この現実離れした状況に、今更恐怖心が芽生えてくる。
「どうなってんだこれ。……あ〜、お願いです!元に戻してください!」
祠の前で手を合わせてみるが、当たり前に何も起こらない。どうしようかと顔を上げたとき、ふと祠の扉が目に入った。取手が鎖で巻かれて閉じられていると思っていたが、よく見るとそれは金色のチェーンのようなもので、先端に何かがぶら下がっている。ただ手の裏に手を回しそれを持ち上げてみると、金色の鍵だった。
「この鍵…。」
形は全く違うが、確かにナカハラが持っていた鍵と似ている。なぜこんなところに縛り付けてあるのだろうか。
「あっ」
そっと鍵から手を離すと、鍵の重みでチェーンがシャラシャラと音を立てて落ちていった。
急いで戻そうと、取手にチェーンをかけて巻きつける。しかし、かなり老朽化しており建て付けの悪くなった木の扉は、抑えていたチェーンがなくなったからかギィ…と音を立てて開く。
「うわぁ!!」
中の暗闇に何か物が横たわっており、よく見るとそれはツギハギだらけの人形であった。手足が今にもちぎれそうで、大きい頭部には無理やり埋め込まれたような不揃いのボタンが張り付いていた。
お世辞にも可愛いとは言えないその人形は、どこか禍々しく、見ていると背筋に冷や汗が流れてくる。
バンっと扉を勢いよく閉める。焦るほど手元が覚束なくなるようで、ガチャガチャとチェーンを荒く、しかししっかりと取っ手に巻きつけていく。
何か、見てはいけないものを見てしまったのではないかと、妙な罪悪感と恐怖心を抱く。
しっかりと閉じたところで祠から離れようと立った瞬間、強い目眩に襲われる。そういえばずっと日照りの中歩いていたし、気づけば嫌な冷や汗が全身を流れていた。
ざわざわと揺れる木の音を聞きながら、もはや木のざわめきか自身の地についてないようなふわふわとした足取りかは分からない。
ぐるぐると回る視界にギュッと目を瞑る。しばらく揺られていたような感覚が引き目を開くと、今まで散々探してもなかった獣道が、目の前にぽっかりと空いている。他らの位置からすると、来た方と反対側である。後ろを確認するが、やはり戻っている気配はない。
都合よく現れる道に、自分が誰かの手のひらの上で転がされているような感覚が頭をよぎる。
それでももう後に戻ることはできなくなってしまった。一つ深呼吸をし、ゆっくりと獣道へ向かう。
脇から生えている草花を掻き分け奥へ進む。目を細めながら歩いていると、急に視界が開けて眩しい光が差し込む。目の前の草を避けることに集中していた今瀬は、足元の急な変化に気付かなかった。
「えっ?」
一瞬、階段を踏み外したかのような浮遊感を感じる。前に出した反対の足と手は虚しくも空を切った。
「うっ、わあああ!!」
それもそのはず、地面が急に途切れていて、今瀬はいつのまにか空中に放り出されていたのである。
ヒヤッとする感覚に焦りと恐怖で目をひらこうとするが、急に光に晒された目は上手く開いてもらえず、パニックになりながらもがく。
おそらく落下しているであろう状況に、下からの強い風を受けながらなんとか目を開く———と、目の前に果てしなく続く水彩画が広がっていた。
ピンクや紫の絵の具を滲ませた様な空間は、ところどころもくもくとした白が落としてあり、これが上空だということを自覚させた。
ショタを育てる話 朔 @saku929mimimi
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