第6話 鏡の理

 部屋で鏡越しに様子を見ていた奏楽は、嬉しそうに微笑む。

「間に合って良かった。相変わらず本番に強いな、隼人は」

 クスクスと笑って、ホンの数日前の事を思い出す。

(突然、俺の得意技である陰陽の理を教えてほしいと言われた時は正気かと思ったけど、案外できるものだね。隼人も成長したよ)

 純粋に仲間の成長が嬉しいところではあるが、まだまだ安心はできない状況だ。

 隼人の術のお蔭で火群の霊力は回復したし、敵の数も半数まで減ったが、それも雑魚が片付いた程度のこと。その後ろに控えている階級の高い妖怪たちはかすり傷さえ負ってはいない。

「さっきの術だって覚えて間もないから俺程の威力も効果もない。……さあ、君はどうするかな?」

 苦戦している戦況を眺めながら、思わず口元が笑う。

 火群の体調と隼人の霊力を気にしながら戦う主はやはり優しいし、賢い。さすがは、長らく主を持たなかった自分を惹きつけただけの素質はある。

 周りや彼女自身は俺が単なる興味か清明様の命令で専属式神になったと思っているだろうけど、実際はそうじゃない。

「確かに興味はあったけど、俺は愚かな陰陽師に仕えてやる気は更々ないし、そこまで優しくもない。だからずっと主はいらなかったんだ」

 天上を仰ぎ見れば、今でも昨日のことのように思い出せる。

 彼女と初めて出会った日。

 まだ生まれて間もないけど、女の子だったからすぐに他の陰陽師の身の回りの世話役や雑用に回るとみんなが思っていただろう。

 だが、それもすぐに覆された。

 珍しく清明様が生まれたばかりの一族の子を見に本館から別館の庭まで散歩ついでに向かっている時だ。ちょうどその日は俺が付き添っていた。

「今日は天気が良く、周りが浮かれるのも解るが、少々賑わい過ぎだな」

 呑気に散歩を楽しみながらも苦笑いを浮かべるその表情が向けられた先には、数匹の聖霊が戯れる光景があった。

 何をそんなに喜んでいるのか、俺にもよく解らない。

「おや、あそこにいるのは……もしや」

 前方の丁度聖霊たちが戯れるすぐ下で同じく楽しそうにくるくる回っている少女がいた。

 動きからして、彼女はその聖霊たちが見えているようだ。聖霊が右へ回れば右に、左へ回れば左に、危ない足取りでも真似をしながら踊っていた。

「おお、やはり居たか。天女の化身」

「なんですか、それは?」

「あの子の事だが? 占いで非常に霊力の強い子が生まれると出てな。楽しみにしていた」

 呑気に笑っているが、相手はどう見ても女の子だ。しかし、霊力が高いという事は陰陽師と成り得る素質がある。

「どれ、霊力は見させてもらったが、それだけでは……な」

 言うが早いか、清明は手に持った扇をスイッと畳んだまま横に振り、風を起こした。

「ッ、何を……?」

「まあ、見てなさい」

 生まれたばかりの子供にしたその行為に驚いて思わず振り向けば、その表情は至って冷静で、楽しそうだ。

「観ろと仰っても……あっ」

 襲ってくる風の存在を察した彼女は、きょとんとしていたがすぐに楽しそうな笑顔を浮かべて遊んでいた聖霊に手を差し出す。

「気紛れな聖霊の力を使うのか?」

 いくら一緒に遊んでいたとはいえ、相手は気紛れで有名な聖霊だ。力を貸すとは思えない。

 そう判断ができれば、後は助けるだけだ。

 俺は懐にある扇を取り出すが、清明様に金縛りをかけられた。

「ぐっあぁ!」

 容赦ないそれに俺は膝をつく。

「観ろと言ったはずだ」

 冷たいその言葉に心臓がドキッと一層大きく跳ねたような気がしたが、俺は返事をせずに気力だけでその金縛りを振り切って駆け出そうとするが、その前に彼女は聖霊たちの結界によって護られていた。

「あ、れ?」

「だから見ていろと言ったのに。傷付けるつもりなど微塵もないわ」

 後ろから呆れ返った清明様の言葉がかけられる。

「……な、ぜ彼らが?」

 起こったことに頭が追い付かない俺の肩にポンッと手を置き、彼女の持っている花を指差す。

「百合の花だ。聖霊たちが好む花の一つで、あの花が傷付けられるとなれば、聖霊たちとて逃げずに戦うし、同じくあの花を愛でてくれる人間に対しても情を示す。どこで学んだかは知らないが、随分と侮れん子だ」

 説明を終え、スタスタと彼女に歩み寄る。

「初めまして、天女の化身よ。私はこの屋敷の主の陰陽師。名を安倍清明と申します」

「お初にお目にかかります、おじじさま」

 清明様が名乗ると、礼儀正しく背筋を伸ばしてお辞儀をする少女に倣うようにして、聖霊たちもお辞儀をする。余程、彼女が気に入ったらしい。

「さて、先ほどは荒療治ではあったが、そなたの霊力と知力を拝見させてもらった。実に素晴らしい陰陽師の素質を持っているようだ。しかし……」

 一度言葉を止めると、清明様は傍にある塀の上へ視線を向けた。

 同じようにそちらを見れば、中階級くらいの鬼がいた。

「奏楽!」

「はいッ!」

 清明様に名を呼ばれたと同時に地を軽く蹴って跳び上がり、鬼が逃げるよりも先に手にした扇を開き、横一文字に振るって浄化する。

「はい、ご苦労さま」

 ニコリと笑いかける清明様は彼女を抱き上げて歩み寄ってきた。

「清明様、まだ昼だというのにあの鬼」

「そうだな。この子の霊力が高すぎるのだろう。まだ幼いが故、致し方ないが心配する必要はない。解決策は既に考えてある」

「え?」

 言いながら抱き上げていた彼女を何故か俺に渡してくる。

「あの、これは……まさか」

「良かったな、奏楽。私が生きている間に良い主が見つかって」

 呑気に笑ってくる目の前の陰陽師は、今なんと?

「心配するな。手続き等は全て私が済ませておくし、親も含めたみんなには話もする。お前はそうだな。乎岐たちへの報告を任せた。あと、ついでに隼人を元気付けてやってくれ。また任務を失敗させたみたいだからな」

 楽しそうに笑っているこの目の前に居る能天気な陰陽師に怒りがふつふつと沸く。

「では、頼んだぞ。何か質問はあるか?」

「質問はありませんが、何故……俺なのか、という文句が」

 怒りを何とか押し殺した声で聴けば、何故かきょとんとされてしまった。

「お前、もしかしなくても、気付いていないのか?」

「なんの話ですか?」

 予想外な返答に思わずこちらも不思議そうに聞き返してしまった。

「そうか。では答えるが、お前は先ほど鬼を退治する時、私が呼ぶ前に動こうとしたな。更にその前、私が術を放った時は、命令を無視して助けようとした。この二点だけでも、十分な理由があると思うが……不満か?」

 いたずらを思い付いた子供のような笑みを浮かべる目の前の陰陽師に、俺は怒る気を失くし、項垂れた。

「専属式神の必須条件は、主を護る心。奏楽は優秀で何より優しい。きっと護り抜いてくれると期待しているぞ」

 その時は嬉しそうに笑った顔に思わず頷いてしまったが、後悔はしていない。自覚はなかったとはいえ、きっと彼はその全てを見透かした眼力で見抜いていたんだ。

 俺が彼女に心から惹かれていたことも、どんな主を欲していたかも。

 おそらく、彼女より優れた主はこの先二度と現れはしないだろう。

「……だから、俺は」

 スッと立ち上がり押入れを開けてそこに隠しておいた一振りの刀を取り出す。

「命がけで主を護るんだ」

 刀を一度見て、鏡の前へ戻る。

「名刀・鬼切……。使うのはこれが初めてだけど、迷っている暇はないか。後方待機の中で一体だけより強い鬼が混ざっている。これは荷が重いだろうね」

 知らぬうちに好戦的な笑みを浮かべる。

「俺の主だよ」

 静かに呟くと手にした刀の鞘をすらりと抜き、鏡に右手をかざす。映すは先ほどの強い鬼。

「覚えておくといい。俺は主が居ないと気が立って仕方ないんだ」

 ギラリと目を光らせ、一気に鏡へ向けて刀を突く。

 奏楽の霊力が宿った刀は鏡を割ることなくそのまま波紋を立てて映された場所へ飛ぶ。

「……最高神術の一つ、鏡の理」

 映された鏡の向こう側では、鬼が刀で一突きにされて浄化されるところだった。

 素早く刀を引き抜いてその刃に懐紙を滑らせて鞘にしまう。

「さて、乎岐さんに手入れしてもらわないと」

 すっきりした表情で部屋を出ていく。

(俺が手伝えるのはここまで。後は、任せたよ。二人とも)

 夜風の冷たい廊下を静かに歩きながら奏楽は主の傍に居る式神二人にエールを送った。


「……こえぇ~奏楽くん、こえぇ~」

 顔を青くして繰り返し呟く火群だけは先ほどの奏楽の動向に気が付いていた。

「なんか強いのが居るのは解ってたけど、場所が解らなかったし」

「火群くん、火群くん! 一番強そうな奴の妖力が消えたけど、逃げられたのかな?」

 呑気な隼人が後ろからそんな事を言ってきている。

(何も知らない奴はお気楽だな。っていうか、一番強い奴ってはっきりそれを感知してて、なんでさっきの奏楽くんの気配には気付かないんだよ! おかしいぞ、隼人。お前の感知能力、何かがおかしい)

「火群ちゃん、なんかさっき。一瞬奏楽くんの気配がしたような気がするのだけど、気のせいかな? あ、でも強い奴居たんだよね? 気付かなかった」

(こっちはこっちで奏楽君の気配に気付いていたけど、肝心の鬼の気配に気付いていない危ない奴が居たし。しかも、主ぃ――! お前等どうして微妙な感知能力は無駄に優秀なんだ。せめて逆であればもう少し楽だろうに。何故二人揃ってようやく一人前なんだ)

 呑気な式神と主に精一杯のツッコミをしているが口には出さない優しい火群の気遣いなど露知らず。

「よし、とにかくあとは雑魚を一掃すればいいんだな!」

「うん、頑張ろう隼人君、火群ちゃん」

 二人して意気込むその様は心強いというより、むしろ不安しかない。

「もういい。お前等揃ってジッとしていろ。俺はいい加減……子守りをするのに疲れたぁ! 帰って砕架氏と乎岐さんに世話されたい!」

「「おぉっ、凄い! でも、私欲まみれだ~」」

 ここぞとばかりに朱雀の力を思いっきり振るう火群を見守る二人は、もうすぐ朝日が昇ろうとしているのに気が付かなかった。

 後に火群が言うには、朝日が昇ったら妖怪も鬼も消えるから任務不達成で失敗に終わるところだったらしい。

「危なかった~」

「そうだね。火群ちゃんが居て良かったよ~」

「……この、お気楽コンビがぁ~もう二度とこの人選では遠征に行かないからな~」

 霊力を使い果たしてぐったりとしている火群は、一番体力が有り余っている隼人に背負われて帰る羽目になったらしい。

「ん~、お疲れ様かな。特に火群君が……」

 刀の手入れが終わり、部屋の鏡で様子を見ていた奏楽は苦笑混じりに呟いた。

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専属式神 朱雪 @sawaki_yuka

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