I am I

第1話 カオスにいる

 しっかりとしたカオスの中にいる。カオスに飲み込まれてしまう。愛の居場所を知りたかった。誰かが愛の片房を持っていると信じて疑わなかった。誰かが受け入れて、愛してくれるなら。きっとどこかで「愛してくれる人」を希求し続けてしまうような気がする。例えるなら、穴が空いたワイングラスにワインを注ぎ続けているような感じだろう。沢山の愛で埋めてほしい。壊れるように生きるわけではない。生きるために壊れる。ぐちゃぐちゃで陰鬱な歪んだ自意識の行き先はどこだろう。どうせ他人なんて信用できない。誰も「私」を助けてくれない。バカ正直に人を信用して、何度裏切られたことか。特に大人は誰も信用しないし、自分たちのことしか考えていない。自分たちだけ話をして、「こっち」の話は聴いてくれない。大人や社会の考え、事情、“ご都合”なんか知らない。分からない。全然理解できない。分からないものは分からないままでいたいし、分かりたくない。住みやすい国にするたったそれだけのことすらできない政治家にはうんざりする。「君たち若者には社会を変える力がある」はあ? あんたら大人がずっと占拠しているからいつまで経っても変わらないんじゃねーかよ。机上の空論を言っても、社会を変えることなんて今までしてないし、出来ない。薄汚れて角の取れた“よく分からないもの”にはなりたくない。年齢を一つずつ重ねて出来ることが増えていく一方で、それと同じくらいかそれ以上に失うものも一つずつ増えてくる。

 人間なんて最低だ。昔の自分に会えたら、笑いながら「想像していた未来よりも何倍も酷いよ」と言うかもしれない。いつからか世の中の汚さだけが見えて、うんざりする。真実だけが、正義だけが守ってくれると勘違いをしていた。キレイなものだけを見ていたい。美しい瞬間を切り取ってそのままにしたい。美しいままでいたい。もし、世界が最後になったとしても社会への「抵抗者」でありたい。「反逆者」でありたい。「私」とは何なのだろう。失うものは何もない。どうなっても生きなくちゃいけない。寒い。暗い。嫌い。11月ともなれば服装をしっかり考えなければ。冬の冷たい風が鬱陶しく伸びた前髪を揺らす。


 「私」は、北関東のだだっ広いだけが取り柄の市で生まれ育った。どこに行くにも車が必要な狭い田舎から出たかった。絶対に東京の大学に進学して一人暮らしをすると中学生の時から決めていた。大学のキャンパスは狭いせいで、遠くからでも見ることができるタワーのように高い建物が乱立している。大学の周りには東京らしく周りはビルしかない。なるべく安いところを探して電車で30分くらいの狭いアパートに今は一人暮らしをしている。

 私は井上悠斗(いのうえゆうと)、ゲイだ。親にはカミングアウトはしないつもりでいる。けれど、好きでもない人と結婚して、ましてや子供まで育てることもしたくない。特に「男性は外に出て働き、子供を育てる」という“マッチョな男性観”が嫌いだ。そして、一人称は「僕」や「俺」よりも「私」を使いたい。でもそれはあくまで“男性である”という嫌悪でもなく“女性というものに変化したい”わけでもなかった。“男性的”なジェンダーロールから逃れたかった。社会の「当たり前」の中に存在はしたくない。けれど、社会からはみ出したくもない。物心ついた時には”LGBTQ”という言葉がニュースでも盛んに使われていた。全国の様々な自治体が”パートナーシップ制度”として環境を整えてきていた。一時期は盛んにテレビに出ていた”オネェタレント”も本当に実力のある人だけが今も出続け、ユーチューブなどで活動する人も多いように思う。ゲイがイコールオネェだと思われる誤解もなくなりつつあるはず。けれど、同性婚は未だ認められる道筋すらない。人は、権利を行使する時において無意識である。わざわざ意識的になるのは自らがその権利の偉大さ、異形さを認識しているからである。ゲイやレズビアンには「結婚」という一つのゴールがない。保障された権利を得るというところではなく、法律上で関係性をしっかりと確固たるものにしてくれるところに羨ましさを感じた。


ア ルバイトは最初、塾講師をしていた。けれど、時給は千円と少し。正直なところ一人暮らしをするには満足できる金額ではなかった。そんな時にゲイ向けの性風俗「売り専」とゲイ・バイセクシャル男性向けのお客さんの射精を伴う“マッサージ”店をネットで見つけた。今しかできない、と思った。適当にいくつかのサイトに申し込んで、返事が来た中から親切そうなところを選んだ。掛け持ちで、売り専と“マッサージ”店でアルバイトをすることにした。メールが来て、どちらも面接と写真を兼ねて新宿のマンションの一室に呼ばれた。サインをした後、ペニスが見えそうな下着としてはほとんど役目を果たさないパンツを穿くよう言われた。「できる限り、あなたのプロフィールと写真を見るお客さんが興奮するようにしないと。」と繰り返し言われた。裸の状態で、手だけで股関を隠すポーズをするようにも言われた。仕方ないと繰り返し自分に言い聞かせた。平日は大学と「バイト」。土日は一日中「バイト」をした。文字通りの肉体労働だった。新宿御苑の近くにある雑居ビルの中に入っている部屋と高田馬場のマンションの一室は、アルバイト先が用意した「個室」になっていた。個室を使う人もいれば、ホテルやレンタルルームを指定するお客さんもいた。


 いつものようにコンビニに入り、脳が指示を出す前に機械的に梅おにぎりを1つ選びレジに持っていく。どこかで歯を磨くが、匂いの強いものだと磨くのに時間が掛かるから梅おにぎりにいつもしている。「こちら、このままでよろしいでしょうか」か「袋はご利用でしょうか」のどちらかを店員が聞く。「このままで大丈夫です。」と何も考えずに返答する。どちらの質問にも対応できる答えだと思う。そして二言目には、「これで(支払います)。」とスマホをQRコードの画面を差し出して、「レシートは要らないです。」と言う。

「接客」をする前には何か食べないと保たない。だいたい、勤務時間としてXやホームページに載せた時間の一時間後くらいからスタッフから連絡が来る。時間とコースがスタッフとのラインに表示される。特に「売り専」の時は“ウケ”をするかもしれないから自宅で浣腸をして洗っておく。バイト先が用意している個室に行くなら必要ないのだが、ホテルやレンタルルームに行くのならタオルやゴム、ローションを持っていかなければいけない。お客さんと合流し、この時点でお金を貰う。来る客のほとんどは30代後半から50代くらいのおじさんだ。ほとんどの人は清潔感のかけらもなかった。ある人は禿げていて、ある人は異様なまでに太っていた。100kgはゆうに超えていたと思う。しかも、そういう奴に限ってデリカシーのない人たちだった。けれど、ごく稀におそらくジムかどこかで鍛えているような紳士的な人も来る。働く時の名前を決めるように言われ、「ユウト」という名前にした。「本名にするの?そうしたいなら良いけど、バレたとしてもこっちは責任取らないからね。自己責任でお願いね。」と責任者の人に言われた。誰かにバレてもいい。そうとさえ思った。自分でもなぜそう思ったかは分からない。けれど、今、この瞬間を逃すわけにはいかない。それだけは強く認識していた。特にゲイにとっては「若さ」というものがお金持ちと同じ意味を持っていると思う。

 世間話を隣に並んで座って話す。隣にいると喜んでくれることが多い。長くても10分くらいで切り上げないと後半が短くなってしまう。体に密着してシャワーをしながら洗う。自慢話には「すごいですね」と驚きながら興奮度を少しずつ高めていく。自分はサクッと洗う。ここでいかに待たせないかでその後の満足度が変わってしまう。

ベッドインして胸を触る。性器周りを触り焦らし、手を休めないようにしていく。可愛らしく相手がじれったいと感じるように恥じらうような仕草も“スパイス”として必要だ。これが売り専なら挿入行為が代わりにある。お客さんが射精をしたら拭き取り、一緒にシャワーを浴びる。

 気持ち良さがないといえば嘘になるが、セックスをする時は適当に喘いで「可愛らしい青年」を演じていた。時間通りに終わらせられるように頭の中で時間を計算しながらコントロールしていた。何も纏わない裸になっている瞬間が本当の人間の姿を露わにすると思う。セックスは肉体と精神の間に位置していると感じる。「まだ一緒に居たい」と言って追加料金を払ってくれる人ならまだいい。時々、たいした金も持たず「もう終わりなの? もっと一緒にいたいよ」と言いながら、ただむやみやたらに追加料金さえ払わずにとどまろうとする面倒な客もいた。だいたい、マッチングアプリでも相手にされないようなブサイクで清潔感のない厄介なおじさんだった。でも、まだそれくらいなら良かった。メンズリフレでは「二万プラスするしコンドームつけるからヤラせて」という人がいたし、売り専では「あと三万あげるから生でさせて」という人もいた。一度受け入れてしまったらどうなるか自分自身が一番よく分かっていた。でも、たぶんあのくらいの年齢になったらこうなってしまうのだろうなと思う。


 初めて男性が好きだと気づいたのは、中学生くらいだったと思う。同じクラスのサッカー部の男子だった。いつか彼とセックスできると信じて疑わなかった。あと少ししたら当然、彼は付き合っていた学年一可愛い女子と別れて、告白してくれると思っていた。けれど、別れるどころか彼らは中学を卒業するまでずっと付き合っていた。

 初めて男と裸で抱き合ったのは高校に入学したくらいだった気がする。年上だったけれど、どのくらい年が離れていたのか、どんな顔だったのか詳しいことはもう覚えていない。しょせん、そのくらいの相手だったのだろう。それから、数え切れないくらいの人と抱き合った。寝た。誰かが「好いて」くれるんじゃないか、「愛して」くれる。そんな気がしていた。けれど、そんな風に「見つめて」くれる人は誰一人としていなかった。「愛してる」と軽く言う人に限って浮気をする。「愛してる」なんて軽々しく言えない、言ったこともない。このバイトを始めてから、プライベートでセックスをすることは限りなくゼロに近くなってしまった。本当に心から欲望を開放して相手と抱き合うことは難しくなってしまった。時間を気にしてしまったり、手際よくすることが満足するための絶対的な基準になってしまったりした。もし“世界で一番顔立ちが整ったイケメン”とセックスをするとしても心から相手が愛してくれなければ費やした時間は無駄になってしまう。そうするなら、オジサンとセックスをして一万円くらい稼ぐほうが何倍もましだ。


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