海の底で

金谷さとる

みなぞこの王子様

 青い青い海のそこ




 そこは冷たくて暗い北の海






 硬いうろこを持つ北海の王は地上に侵攻をかけようというこの時期に地上をおそれてうつぼと引き篭もる息子に呆れのため息。








「地上侵攻なんてばかげてる」

 呟く王子にうつぼが笑います。

「ま、おいらはついていけないさ」

「僕だって行けやしない。地上を歩くように僕らは生まれていないんだ」

 視線の先には銀色の繊細なティアラ。子供のころに拾った宝物です。

「僕らは地上から落ちてきた技術を拾い集めて宝物にしてる。それなのにそこをせめてどうするの?」

「おいらたち独自の技術もあるじゃないか?」

「そうだけどさ」

 王子はやるせなく呟いて部屋をくるりと泳ぎます。そして、飾ってあるティアラに戻ります。

 そして今は朽ちた肖像画の少女。

『美しい南の土地の姫』

 それを見た大人たちが色めき立った過去がありました。

『美しい南の土地』の『美しいもの』を我が手にと。

 時は流れ、ボロボロに朽ちた肖像画はゴミ置場に捨てられ、王宮にはそっくりに写し取った偽物が飾られています。

 顔の描かれていない肖像画ニセモノは大人たちの欲望の象徴に若い王子は感じていたのです。

 大人たちはゆっくりと地上侵攻を組み立てていきます。

 続く会議に子供たちはもう興味が持てません。

 それでも、「戦争になったら、誰がいくの?」と囁き合うのです。


 自分たちが行くと考えない少女たちの可憐に透き通る声が王子は好きになれません。

 少女たちは綺麗なものが大好きで、王子のティアラが欲しいのです。


「欲しいんならさ、沈めてしまえばいいのさ」

 不思議そうに見てくるうつぼに王子は笑います。それは何処か諦めた希望を捨てた笑いでした。

「僕らは陸地では生きていけない。陸を歩けない。魚人だって、少しは行けるけど、体が乾ききっちゃ生きていけないんだ。じゃあさ、全部海に包まれてればいいんだ。陸地がなければ、攻めにいく必要だってないさ。でも、ここが熱くなるのはイヤだなぁ」

 勝手なことを言いながら、王子は海面を仰ぎます。

 大人たちは、美しいものを欲しました。

 絵画の背景に在った花や色鮮やかな衣装を。

 自分たちの欲です。

 彼ら自身が欲しているのです。

 それなのに、彼らは言うのです。

「わが子が幸せになれるように」

「民が幸せであるように」

 食べるものも住まいと言える安全圏もあります。

 王子は「僕のためならこのままでいいじゃないか」と告げたいのです。

 それでも「民のため」

 そう言われてしまうとなにも、言えなくなるのです。

 かまって欲しいと望んでなどいませんでした。

 ただ、夢を壊して欲しくなかったのです。

 肖像画に描かれた『美しい姫』に王子は恋をしたのです。

 繊細なティアラを身につけたお姫様。

 優しい微笑み浮かべたまま固まった時。

「うーん。王子〜」

「なんだい?」

「おいら、むつかしいコトはわかんねぇけどさ。一度南の土地を覗きに行っちゃあどうかなぁ?」

 うつぼの言葉に王子は小さく笑いました。

「南の海は暑いらしいよ」

 北の氷海の底の底に住む王子には想像もつきません。

「そこまで行かなくってもさ、隠者の森まで行って話を聞いてもいいと思うんだ」

 うつぼが冒険だとはしゃぎます。



 うつぼの言葉にそそのかされた王子は北の海を抜け、隠者の森へ。そして、南の海の王へと挨拶に出向きます。


 そこは疲弊したまち。

「地上からの意図なき侵攻に我等は滅びつつあるんだよ」

 南の王は苦笑い。

「地上の者は既に海をも我が物と思っている。我等は幻想だとされておるよ。北の海の王が地上を攻めると言うならば、注意をするといいと伝えておくれ」

 言葉なく頷く北海の王子に南海の王は優しく笑います。

「昔は互いを知らずとも、互いに向ける敬意があったものを」

 一言呟いて、王は続けました。

「娘を北海へと連れて行ってくれまいか?」

 南海の王の娘は柔らかな黒髪と滑らかな色合いの肌を持つ姫。

 肖像画の姫を思い出します。

 海のそこで理想に出会った王子に姫は囁きます。

「私は貴方と共に参ります。ただ、今一度地上の光を見たいのです」


 海上に向かう行為は王子には苦痛でした。心配そうに友達うつぼも見てきます。

 水温だけが障害ではありませんでした。

 よくわからない倦怠感、目眩が王子を襲います。

 ポカリ顔を出した海の上。

 途端、王子は姫を連れて海中へ、水底へと戻ります。

「あんな場所では息もできない!」

 姫は小さく首を傾げます。

「上はあんなものですよ」

 笑って言う姫を王子は信じられないものを見る目で見ます。

 三百年くらい生きていますが信じられない言葉でした。

 姫はそれを聞いて楽しげに笑います。

「お父様より上なんですね。びっくりです」


 王子は驚いて姫を見ます。



 北海で二人は夫婦として過ごします。




「綺麗な人魚姫ひめ様だよね。僕と同じ色だよ」

 王子はにこにこと友達に言います。

 氷の棺に眠る人魚はこの北海において珍しい色彩でした。

「起きてくれるかな?」

「おいらはむずかしいコトはわかんねぇけどさ、溶けたら、目を開けるコトもあるかもなぁ」

「だって、寂しいんだ。とうさまは地上を滅ぼす計画に夢中でちっともかまってくれないんだもん!」

「おいらがいるじゃん」

「もちろん、うつぼは友達だよ! それでも、さびしいんだよ。僕だけみんなと色が違うんだもん」

 北海では硬い鱗と薄い色素の人魚たちが普通でした。

 王子は母譲りの漆黒の髪と鮮やかな柔らかい鱗を持っています。


「おいらがいるじゃん」


 うつぼが囁きます。

 孤独を癒すように。

「氷を、どうやったら溶かせるか、王子にはわかるかい? 溶けたら、きっと遊んでくれるよ」




 氷棺を見上げ、王子は呟きます。



「調べてみるね。一緒にいてくれる?」


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海の底で 金谷さとる @Tomcat

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