第5話 シャンディガフを呑みながら

 女は真剣な表情で裏返ったカードを見つめていた。年齢は三十路前といったところか。背が高く、鮮やかな緑のカーディガンにコットンリネン生地のロングスカートが似合っている。ボストンフレームの眼鏡も、知的なイメージを滲ませていた。

 伊月は勿体つけるようにゆっくりとカードをめくった。表れたのは運命の輪のイラストが描かれたカードだ。


「ほう。これは明るい兆しだ」


 ややわざとらしいが、明るく張りのある声を出した。占いは客を引き込むのが大事だ。小道具や声音の強弱で日常とは違った雰囲気を醸し出すのに、けっこう苦労している。


「本当ですかっ?」

「ええ。近い将来、素晴らしい出会いがあります。ただ、待っているだけではいけません。この人だと感じたら積極的に行動しなくては、せっかくの幸運を逃してしまいますよ」


 伊月の言葉に、女は深く頷いた。うっとりと瞳を輝かせているのは、これから起こる素敵な出会いに思いを馳せているからか。

 伊月が手繰っているのはタロットカードだ。全部で二十二枚ある。一枚一枚に異なったイラストが描かれており、それぞれに意味を持っている。さらに、上下の向きによっても意味が違ってくるので、それを読み解き客に忠告する。客は伊月の言葉を受けて、喜んだり安心したり、気を引き締めたりして金を落として帰っていく。除霊のときには数珠や破魔札を使用するのに、占う際はタロットカードとは節操がないが、弘法筆を選ばずと考えればそれほど無茶ではない。ポイントは客が受容できるかどうかなのだから。

 伊月はこの二週間、占い師の真似事をしていた。ショッピングモールの一角を間借りして細やかに運営している。他にも三人の占い師が並んでいるので、ちょっとした占いコーナーの様相を帯びている。

 お祓いや厄除けだけでは、生活が成り立たない。霊能力があろうと、食わねば生きていけない。生活費を得るのは避けられない必須だ。

 占い師の真似事といったのは、伊月は特別な技術を持っているわけではないし、誰かを師と仰いで修行したわけではないからだ。彼の占いは調伏と同様、完全に自己流だった。邪気が取り憑いていれば祓ってやるが、そういう客はなかなか現れない。言葉巧みに誘導して、客の望みや悩みを聞き出し、誰にでも当てはまることをいかにもらしく諭してやる。

 今言ったばかりのアドバイスだってそうだ。出会いがないなんて嘆く人はたくさんいるが、遭逢なんて毎日のように転がっている。通勤電車の中、毎日通う道、時折利用するレストラン、それまで気にも留めなかった会社の同僚を、ひょんなきっかけから気になる対象となるケースだってある。結局のところ、本人がどれだけ真剣に相手を探しているかが大事なのだ。占いに頼るような弱気な姿勢では、いつまで経っても伴侶など得られるはずがない。


「いいですか? この人だと思ったら躊躇ってはいけませんよ? あなたの方からアプローチをすれば、良い結果に繋がると出ていますから」

「わかりましたっ。ありがとうございます」


 女性は希望を見いだしたような軽やかな足取りで去って行った。占いの態を装ってはいるが、やっていることは気持ちを軽くするための相談だ。金は背中を後押しした代金としてありがたく頂戴する。伊月がやっているのは、たったそれだけだ。それでも、何度も顔を見せ占いを要求したり、上手くいきましたと報告しに来る者がいるから、実に不思議だ。もしかすると、我知らず霊力を働かせて、本当に有益なアドバイスをしている可能性を考えてみたりした。



 午後九時を過ぎた。伊月はガスストーブのスイッチを押して、つま先をストーブに向けた。心地好い温風が足をじんわりと温める。

 急激な気温の変化に、慌ててストーブを引っ張り出したのが、つい二日前だ。それまでは厚着でしのいでいたのだが、とにかくつま先が冷える。出したからには我慢しないで使う。電気代をケチって風邪なんか引いたら笑い話にもならない。

 今日も占いで一日を費やした。そこそこに稼げたが、将来は安泰と思えるほどの金額でもない。常に漠然とした不安はつきまとうが、それはどんな商売でも同じだろうと開き直って毎日を過ごしている。

 シャンディガフをちびちび飲みながら、自身のサイトをチェックしていた。


「……ん、なかなかの味だな」


 今日のは旨くできた。すっきりした甘味とほどよい苦味のバランスが丁度よい。

  伊月のサイトは『アドヴェント』と名付けている。ドイツ語で降臨を意味するのだが、このタイトルに決めたのに深い意図はなかった。降臨とはすなわち神仏などがあまくだることで、いかにも神秘を連想させるし、それをドイツ語で表すことで、さらに不思議さを演出しているだけだ。サイトを作成してくれた友人と話が盛り上がり、ノリで決めたサイト名で、その時は珠玉のネーミングだと陶酔したものだが、自分で訪れて冷静に見つめていると、中学生くらいの男子が思いつきそうだと、耳が熱くなる。

 頻繁に更新するようなことはないが、あまりにも変化がないと人が離れていくので、人の念や霊にまつわる小話を綴ったりする。適当なこと言うなとか、インチキで金稼いでんじゃねーなどの書き込みがあるが、当たらずとも遠からずな点もあるので腹は立たない。


「お」


 依頼が入っていた。読むと子供に悪霊が取り憑いたみたいなので、除霊を頼みたい旨が書き込まれていた。依頼の文章を読むと、切羽詰まった危機感が伝わってくる。先日出向いた友松家での出来事を思い出した。


「………………」


 すぐさま返答をした。どのような症状が出ているのか、いつからなのか、実際に危険な目に遭ったり損害が発生しているのかなど、細かな点を確認する。

 入力を終えると、もうやることはなくなった。依頼人からの返信がなくてはなにもできない。動画サイトに移動して、ゲーム攻略を配信しているチャンネルを見た。今やっているゲームがやたら難しく、なかなか進められない。挑んでは死に、また挑んでは死んでを繰り返し、敵の行動パターンを把握してクリアする、いわゆる死にゲーというやつだ。配信者のやり方をそのまんまなぞるだけになるのだが、それでも自分でクリアしたときには達成感がある。

 配信者は軽快な解説を交えて、どんどん敵をなぎ倒していく。視聴者を飽きさせないように、時折お笑いの要素も混ぜてくる。チャンネル登録者数を見ると、一万人を超えていた。その数が配信者として成功しているのか、まだ足らないのか、伊月には判断がつかなかった。

 これを見終えたら一時間ほどゲームをして、寝よう……。

 伊月は、ゲームの主人公が新しいステージにたどり着き、配信者がコツを話しているところで、シャンディガフを飲み干した。

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