拾肆ノ肴:旅行
「例の部下、だいぶ良くなったみたいじゃないか」
賑やかな大衆酒場で、腕時計を外した二人のサラリーマンが、これまでとこれからの話をしていた。
二人の間には汗をかいた茶色いビンと、金色の液体に満たされたグラスが2つ。
肴は刺身と古漬けである。
「俺もそう感じていたところだったんだが、随分と耳が早いな。どこから聞いたんだ」
「こないだの懇親会だよ。彼の担当するお得意さんから『一皮むけたようで、見違えるように立派になった』とお褒めに与った次第さ」
「本人にも伝えておくよ。これもいい話を聞かせてくれたお前さんのお陰さ」
「偶々、僕の聞き齧った内容と彼の性質が合っていただけだろうさ」
「それでも助かったことには変わりない。いつもお前さんにばかり助けてもらって感謝しているよ」
すると礼を言われていた男はグラスを干し、神妙な面持ちで口を開いた。
「なら、今度は君の知恵を貸してほしい」
珍しい申し出に、何事かと身構えて聞き返す。
「一体全体、どうしたっていうんだ。俺にできることは少ないが、何でも力になるぜ」
「実は、読んでいる推理小説が中々に難しくてね」
それを聞き、緊張を解いた男は向かいのグラスにビールを注ぎながら口を開く。
「推理小説は、お前さんの領分だろう。俺に、お前さん以上の知恵を絞れるとは到底思えないがね」
「それが、そうでもなさそうなんだ」
「せっかく頼ってくれたんだ、まずは話してみろよ」
促された男は、ビールで軽く唇を湿らすと、語りだした。
「硬派な推理物かと思ったんだがね。蓋を開けてみたら、タイム・トラベルが主軸に据えられた、突拍子もないものだったんだよ」
「するとなんだ。タイム・トラベルは軟派だとでも言いたいのかい?」
悪戯っぽく目を細めながらそう言った男に、冷静に返答する。
「少なくとも、推理物としてはとても硬派とはいえないさ。SFが絡んだら、もう何でもありになってしまうからね」
「推理好きは、難儀なもんだな」
「犯人やそのやり口を、主人公やら探偵よりも早く解き明かしたいと、本気で取り組んでいるからね」
「その姿勢、見事だと思うよ。作者も嬉しいだろうさ。それで、どんな塩梅なんだい?」
男はその質問に返すように、物語のあらすじを簡潔に伝える。
殺人現場にはタイム・マシーンがあり、どうやら遺体や凶器、場合によっては犯人までもこれによって時間移動をしているのではないか、とのことであった。
「殺害後に遺体を未来に転送したり、凶器を過去に送られたんじゃ、完全にお手上げだよ。これは一般的な推理じゃ到底、真実にたどり着けないと踏んで君に相談したって次第さ」
「聞く限り、だいぶ難しいな」
「例えば、SF好きとしてどんなことに気付くか、まず教えてくれよ」
提案され、男は山葵を溶いた醤油に、鮪の刺身をどっぷりと浸してから口に放り込む。
「まず気になったのは、その小説の書き出しだな」
「出だしで、なにかわかるものなのかい?」
「よくあるだろう、『これは俺の経験した、不思議な出来事のことだ』みたいな始まり方だよ」
「最初に不思議だって言ってるかどうかが重要だと?」
「そうじゃない。小説の文章が、過去を振り返って書いたものなのか、現在進行形で起こっているものを綴っているかという事さ」
「気にした事が無かった。説明願うよ」
促された男は、グラスを干すと語りだした。
「タイム・トラベルは大きく2つに分けられると思ってる。時間旅行で歴史が変わるものと、それとは逆に決まった結果に収束するものだな」
「過去に戻って何をしても結末が変わらない、みたいな話か」
「その通り。ただ、この辺りはどの視点で話が綴られるかだったり、そもそも物語の都合で体よく誤魔化されてることがほとんどだ」
「そうなのかい?」
心底不思議そうに聞きながら、山葵をそっとよそった鯛の刺身に少しだけ醤油をつけ、口に運んだ。
「例えば、主人公が何らかの目的で未来に行ったとする。ほとんどの作品だと、その未来で老いた自分を目にしたり、『自分自身と接触してはいけない』なんて筋書で何かをやろうとしたりするもんだ」
「よく耳にするね」
「だが、時間旅行で歴史が変わるのなら、未来に主人公はいないだろう」
「......未来に行ったことで、現代では行方不明になってる訳か」
「その通り。未来で自分に出会うってのは、『主人公が確実に元の時間に戻る』というある種の収束型を採用しなければ成り立たないんだ」
そこで区切ると、男は手酌でビールを注ぎ、半分ほど喉に流し込んだ。
「話を戻すが、お前さんの読んだ小説の冒頭が、さっき言ったような雰囲気で始まっているのなら、書かれている順番に考えるより『すべてが起こった後、終わった後』として考えるのが得策だと踏んだね」
「なるほど。タイム・トラベルに翻弄されながらその時その時で起こった移動を考えるより、収束した結果から逆算していくというわけか。なら、逆だったらどうなんだい?実のところ今回の件だと、どうにも現在進行形で起こっているものを綴っている節があるんだ」
「タイム・マシーンの形状や起動条件によるだろうな。俺が犯人なら、まずは犯行時刻を絞らせない。いつ殺ったかを混乱させる目的で、時間旅行を応用するよ」
それを聞いていた男は、負けじと喉を鳴らしてビールを呑むと口を開く。
「行先よりも出発点を絞るわけか。そこも考えなかったわけじゃ無いが、むしろ行先を重視していたよ」
「何度も言うが、作風次第だよ。行先に目的がある場合もあるが、殺人の隠蔽となるとな......。タイム・マシーンを起動できる時間と場所にいた登場人物を絞って、そいつが過去に何をしていたか、ってのは話を聞いていて気になったよ」
「過去にしていたことかい?」
「犯人が『タイム・トラベルを駆使して人を殺す』と最初から決めていたのなら、未来の自分が起こす行動や未来からの贈り物をある程度知っているはずだろう?それを応用すれば、例えば使った凶器を過去に送って、それを事件が起こる前に処分する、とかできるだろう」
男は感心したように唸ると、古漬けを一口、よく噛んでから嚥下した。
「逆に、殺人が露見した後は、派手に動かないだろうぜ。よく、『犯人は現場に戻る』なんていうが、それをしないためのタイム・トラベルさ」
「そうなると、事件発覚後の動きはあまりあてにならない可能性もあるわけだな」
「それだけじゃない。もしタイム・マシーンなんてものをうまいこと使いこなして殺人をやってのけたのなら、通常以上に
「ん......」
「存外、タイム・トラベルを抜きにして見たとき、
そこまで聞いて、男は眉根を寄せて黙り込んでしまった。
夢中で話していた男はそれに気付き、邪魔しないようにと言葉を切った。
グラスに残っていたビールを干し、鯛と古漬けをそれぞれビールを挟みながら堪能したころ、向かいの男が口を開いた。
「実は、違和感があったんだよ」
「どんな違和感だい」
「推理小説ってのは、君が言った通り、
「まあ、そうなるだろうな」
「でも今回の作品じゃ、むしろ
「詳しくはないが、珍しいのかい」
「まったくないわけじゃ無いが、この小説は少し不自然に感じたくらいだ。正直に告白するなら、そのあたりも勝手に稚拙だと思ってしまってね。だから最初に『硬派じゃない』なんて言ってしまったのさ」
聞きながら、男は瓶を空にすると給仕に追加を頼んだ。
「SFだから、ってだけじゃなかったわけだ」
「そうだね。これは、僕が反省しなきゃいけなくなりそうだ。どうにも作者は、従来の推理物にある典型例を逆手にとりつつ、SFだからと侮る読み手を翻弄しようとしているかもしれない。存外これは、かなり硬派な可能性が出てきたよ」
「犯人は、わかりそうかい」
「君のが、いい手掛かりになったよ。今一度、振り返って登場人物を洗ってみようじゃないか」
男にしては珍しく、喜びをあらわにしながら胸元から手帳を取り出すと、何事か書き留めた。
ほんの数行程度を書き終えた頃には、いつもの調子に戻っているようだった。
給仕が持ってきたよく冷えた瓶を、お礼とばかりに向かいに差し出す。
「この作品の楽しみ方を誤るところだった。心から感謝するよ」
「この程度、お安い御用さ。それに、俺の助言がてんで的外れってことも、十二分にあるだろう」
「だとしてもさ。君に相談する前は、なかば諦めかけていたんだ。あっていようがいまいが、もう一度考えるきっかけになったのは事実だよ」
「ならよかった」
グラスでビールを受けると、一口飲んでから返杯した。
二人はビールを呑み干すと、どちらからともなくグラスに注ぎあう。
「それにしても、タイム・トラベルに詳しいじゃないか」
「SFの中でも、特に好きなんだ。随分と本も読んだし、映画も見たさ」
「僕も、少しはそっちを嗜んでみるかな」
「そいつはいい。だが、そうなるとお前さんに頼ってもらえるものがまたひとつ減っちまうな」
「なに、頭の柔らかさじゃいつまでたっても及ばないとも」
酔っぱらい達はその先もしばらく話を続けたが、内容はころころと移り変わっていった。
意味のある話をしたいのではない。
こうした会話が、いい肴のひとつなのだ。
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