天才花凪と山田花子の再会(?)


 あのあと、埴太郎に指定された待ち合わせ場所は我が家の近くにある喫茶店だった。

 愛知県は他県と違い、この地にのみ展開している地場の喫茶店が無数にある。


 全国展開を果たしたコメダコーヒーは有名だろうが、ここシルビアコーヒーも地場で愛される喫茶店の一つだ。


 隠れ家のような落ち着いた雰囲気に、ジャズの音楽が流れる店内には会話を楽しむマダムや、新聞を読み込む老人などが各々の時間を過ごしており、なんともいえない居心地の良さがある。

 指定された時間より三十分ほど早くついたので、私はカフェラテを飲みながら必死に会話のシミュレーションを脳内で繰り返していた。


『お主よ、どうせフラれるのだからさっさと金髪女のところに戻るが良い』

「黙っていろ。私は今、変人と思われる訳にはいかんのだ」


 この花凪、流石にもう学んでいる。

 ここで空中幼女とまた言い合いになれば、一人で大声で騒いでいる変人と思われるだろう。

 しかも気づいた時には、山田花子がその光景を見ていて……。

 最悪な未来予想図を防ぐため、チョコパフェを空中幼女に食わせて大人しくさせることする。

 うまうまと口の周りをチョコまみれにしてパフェにかぶりついてる空中幼女を尻目に、何とか平常心を保とうと深呼吸を繰り返しながら入り口にそわそわと視線を向ける。

 そんなことを繰り返し、頭の中から会話シミュレーションが消えていると気づいた時のこと。


 ──カランコロンと扉についたベルが鳴った。


「……っ!」


 ──彼女が入ってきた。


 黒いスカートから伸びる見事な脚線美を隠すようにベージュのロングコートを羽織った彼女が、私を見つけるとニマッと笑ってこちらに手を振る。


「あ、あれが花子さ──ん? あれ……おい、ちょ、えっ」


 思い出の中にしか存在し得なかった彼女の顔は、妙に見慣れた顔であった。

 スラッとした高い鼻筋と切れ長の目と長いまつ毛、艶々の黒髪はフェイスラインに沿うように、顎の下までカーブを描いて伸びている。

 デキモノの痕もなく、妙にふっくらとした質感の美肌をもつ中性的なその顔は、誰が見ても美しいと感じるだろう。


 ──毎日のように見た顔である。


「やあ花凪、お待たせ。ずっとボクに会いたかったんだってね? っく、ふふふっ」

「なっ!?」

『なっ!?』


 奇しくも空中幼女と私の声がハモる。まさかの事実に思わず空中幼女と顔を見合わせた。

 私の目の間にいるのはこの花凪のライバル、イケメン天狗こと大河内埴太郎だった。


「ぷっくく……どうしたんだよ花凪。そんなに間の抜けた顔をして。ずっと熱烈にボクへの想いを語ってくれていたじゃないか。ずっとそばにいたのにさ!」

『お、お主!? これはどういうことじゃ!?』


 空中幼女が何やら騒いでいるが、私だってパニックだ。


「イケメン天狗に埴太郎……君はボクに二つもあだ名をつけてくれたね? あ、山田花子も含めると三つだったかな」

『おいこら! 埴太郎とはお主がつけた名か!?』

「あっ」


 そういえば、初対面の時に埴輪を持っていたこいつをそんな名で呼んだ気がする。


「い、いや私はあの時、彼女を探すことで頭がいっぱいで……」


 クスクスと笑う埴太郎は、言われてみれば思い出に残る花子の笑い方とそっくりだった。

 最初に出会った時はウェーブのかかったセミロングの髪だったので印象は違うが、あの日に見た彼女の顔が埴太郎に重なる。


「……男だったのか!?」


 意中の女性が女装趣味の男だったなんて、一週間は寝込む自信があるぞ!?


「安心しなよ、ボクはちゃんと女性だから」


 彼……いや彼女は私の前に座りコーヒーを注文すると、テーブルの上で両手を組んで顔を乗せ、あざとく顔を傾け私を見た。

 あ、可愛い……ではない! くそ、いまだに信じられん。こいつが女だったなんて。

 ていうか女だったのなら、彼が彼女だったのなら、また別の問題が発生する。

 脳裏に今まで彼に吐いた言葉の数々が浮かび、黒歴史と化して私を羞恥の海に突き落とした。


「そ、そんな訳ない! 本当にお前が彼女だとして……埴太郎には胸がなかったぞ?」


 恥ずかしさを誤魔化すように、わずかな可能性に賭けて指摘する。

 もしかしたら埴太郎と彼女は顔がそっくりな兄妹で、私をからかっている可能性がある。

 それに埴太郎が花子だったら、それは彼女がつまり──。


「とんでもない貧にゅ──いっだあああ!?」


 テーブルの下で私の脛を蹴っておきながら、彼女は何食わぬ顔で解説を始める。


「胸はね、君にバレないようにちょっときつめに締めてたんだ。演劇で男役を演じる役者からしたら胸の膨らみを誤魔化すなんて簡単なことさ。ほら見てみなよ? ふふふ」


 ラブデビル先輩には及ばないが、確かな谷間が二の腕に挟まりグニっと押し上げられた。

 しかも自分でやっておいてちょっと頬を赤らめているのだから、どうやら目の前のこいつは本当に女性のようだ。


『お、お主はずっと探していた意中の女に男のあだ名をつけていたのか!?』


 カラスのようにアホウ、アホウと幼女が騒ぐ。

 こうれなれば認めざるを得ない。私はずっと彼女が埴太郎だと気づかなかったのだ。

 いや、それはもういい。イケメン天狗が彼女であったことはもういいのだ。

 だって私は今、新たな問題に直面しているのだから。


「さてさて花凪。それで、ボクに会って君はどうしたかったのかなぁ?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべて彼女は私を観察している。

 無念極まりないが、用意していた会話シミュレーションはあまりの衝撃に全て吹き飛んで頭の中は真っ白だ。


「あ、その……」

「どうしたんだい? 君が追い求めていた女性がこうして目の前に座っているんだけど? 話したいこと、あるんだろう?」


 ああ、その通りだとも。だから落ち着くのだ、天才花凪よ。


『そうじゃ! いけお主! 今までのお主を見てこいつは好感を抱いているはずじゃ……たぶん。いや、だからこうして姿を見せたのじゃろう!? そう思い込め!』


 心配するな空中幼女、私だってそれくらいわかっている。

 それに例え全てのセリフが頭の中から吹き飛んでも、この言葉さえ言えば大丈夫という珠玉のワンフレーズが私の中に存在するのだ。


『何よりお主は、ずっとこの時のために壮大に無駄な時間を過ごしたのじゃろ

う!?』


 ああ、そうだとも。

 最初に彼女と出会った時から、私の恋時計は止まっていた。今こそ時計の針を動かす時である。


「……あの」

「なんだい、花凪?」

『ぶちかましてやれい! 新たな恋路の幕開けじゃあ!』


 空中幼女の応援を背に、私は渾身の一言を切り出した。


「──あの時はお名前を聞きそびれてしまいました」

「え……?」

『は……?』


 すんなり出た言葉に伴い、彼女の顔から表情が消える。

 次第に綺麗な細い眉がひそまり、意志の強さを感じる目が吊り上がっていく。


「それって前に花凪が言ってた会話に困った時のセリフだろう!?」

『はあ!? このタイミングで何を困っとるんじゃお主は!?』

「お、おいイケメン天狗! ここは名前をお互いに確認し合うことから会話が始まるのではないのか!?」


 あの中年すら追い詰めた花凪演算によれば、二人の会話はここから盛り上がりを見せ、悪魔の実の如く私の会話力が覚醒し、最高到達点へと向かうはずだったのだ。


「ボクは花凪の名前なんて知ってるだろう!?」

「ぬううう!?」

『この会話音痴! ここから徳を掴むのに台無しにしてどうするのじゃあ!?』


 くそ、やはりもっとこの人に出会う前に女性との会話の修練を積んでおくべきであったか!?しかしもはや後の祭り。ここでいくら後悔しても、超人的な覚醒は期待できない。


『恋路が遠ざかっていく! 徳の気配が遠ざかっていくう!?』


 器用に空中でジタバタ暴れる幼女を尻目に、私はなんとかこの混沌を治めようと頭をフル回転させていた。まだ詰んではいない、逆転のチャンスはあるはずだ。


「お、お名前を! とりあえず本名を教えてくれ!」

「花子だよ! ボクの下の名前は花子だよ!」


 奇しくも私が仮称した名前と彼女の本名は一緒であったようだ。

 こうなれば彼女の名前を知れたことをきっかけに、話を膨らましてやる!


『おお、いけお主! なんとか恋路の軌道に戻すのじゃ!? 悪漢退治の時のお主の輝きを見してやれ!』


 まかせろ空中幼女、名前を知れたら後は──。


「大河内、花子……さん」

「そうだけど?」

「大河内花子さん………」

「………花凪?」

『お、お主……?』

「花子………さん……っっっ」


 でも言葉は一切湧いて来ない。


「花凪、まさか……何もないのかい!?」


 もはやこうなれば認めざるを得ないだろう。


「──うむ、ない!」


 やっぱりこいつアホなのじゃと、ひっくり返った幼女が言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰とも仲良くなれない私だが、大学1番の美女に好かれてみせる!! ブービー @booby8492

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ