第2話 喜びの温度
「この焼き色、すごくいいですね。バゲットの耳、カリッとしてて好きです。」
彼女はオーブンの前で目を輝かせながら、パンの様子をのぞき込んでいた。
名前は「佳澄(かすみ)」。
履歴書にあった経歴は、都内のカフェで数年バイトをしていた程度。
けれど、その手つきと目の動きには、不思議なほど“慣れ”と“愛情”があった。
「パン、昔から好きだったんです。家でもたまに作ります。でもこんなにカリっとならないですよね。オーブンの温度が違うからかなぁ…。」
そう言って笑った彼女にドキリとした、正確に言えば、**その声**に。
「朝の光の中で食べるのが、一番おいしい気がするんです」
あの一言が、胸に引っかかって離れなかった。
それは、妻の真帆が言っていた言葉と同じだったからだ。
「ただいま!」
保育園帰りの陽翔が駆け込んできた。
「ただいま、陽翔くん」
佳澄が笑いかけると、陽翔は少し戸惑いながらも「こんにちは」と返した。
子どもは敏感だ。
陽翔は佳澄に対して、懐くわけでも、警戒するわけでもない不思議な距離をとっていた。
「チョコパン焼けたぞ。」
祐真が言うと、陽翔は顔をぱっと輝かせて、小さなイスによじ登る。
「いただきます。」丁寧にパンに両手を合わせた。
3人で食卓を囲んだ記憶が、ふとよみがえり。祐真は胸の奥で小さな痛みを覚えた。
「どこで覚えたの。その仕草。」
はっとした。
笑いながら佳澄が言った声色は、真帆があの日の食卓で陽翔にかけた優しさと同じだった。
「私、チョコはちょっとでいいの。パンの香りの方が好きだから」
妻は工夫を凝らした総菜パンより、シンプルさを好んだ。
「陽翔くんって、お父さんそっくりですね」
佳澄がふと言った。
「え?」
「眉間のしわ。真剣モードになると、ここにギューって!」
佳澄は柔らかく笑った。
祐真も笑った。
陽翔はチョコパンを真剣な面持ちで味わっている。
似ている。
言わないし、言えないが。
でも、真帆じゃない。
似た声と、違う温度。
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