奈落

 あの後、ボクは人間に捕まった。


 このときのことは、もう二度と思い出したくない……。


 ボクは、森をさまよっているところを見つかって、抵抗する間もなく取り押さえられたんだ。


 相手は、魔族の残党狩りをしていたアシハブアっていう国の兵士たち。


 モリトール隊。


 人類至上主義っていう、人間以外の種族を見下しイジメることを喜びとする、狂った凶悪な奴らの集団だった 。


 あいつらは悪魔だ。


 オークやゴブリンなんかよりも、ずっと残忍で、狡猾な悪魔。


「おい見ろよ、犬っころのメスだ」

「ハッ、抵抗するだけ無駄だってのに、威勢だけはいいじゃねえか」


 縛り上げられたボクを見て、男たちが下品に笑う。


 もちろんボク最後まで抵抗したよ。


 爪を立てて、歯を剥き出しにして、必死に暴れた。


 でも、そんなの無駄だった。


 奴らを余計に怒らせただけだった。


「生意気なケダモノには、躾が必要だな」


 リーダーの男が、血に濡れたナイフを手にゆっくりと近づいてくる。

 

 男の革鎧がギシギシと軋む音と、泥を踏む足音が、やけに大きく聞こえた。


 その目がキラリと光るのが目に入って、本当に怖かった……。


「やめ……やめて……!」 


 ボクの悲鳴なんて、あいつらには一切届かない。


 熱い痛みが頭を貫いて、次に視界が真っ赤に染まった。


 何が起きたのか分からなかった。


「あ…ぁ…あああああああああ!」 


 痛い。痛い。痛い!


 男たちが何かを切り落として、それを放り投げるのが見えた。


 それは、ボクの…耳だった。


 泣き叫んでも、痛みは消えない。


 男たちの嫌な笑い声だけが頭に響く。


 次に、お尻に焼けるような痛みが走って――


 そこでボクの意識は途切れた。


――――――

―――


 次に目覚めたのは、冷たい石の床の上だった。


 鉄格子の向こうから、たくさんの人間の匂いがする。


 ボクがいたのは魔族捕虜収容所。


 奴隷市場も兼ねているって、誰かが言ってた。


 そこではボクはただの商品。


 檻の中で、値踏みされるのを待つだけの、ただのモノになった。


 ボクは石の床に寝転がって、ただただボーッとしてた。


 このときにはもう心は何も感じようになってた。


 身体の方は違う。


 一応、包帯は巻かれていたけど、耳があった場所がズキズキと痛む 。


 尻尾があった場所はもっと痛い 。


 座るたびに傷口が石の床に擦れて、鈍い痛みが走る 。


 でも、そんな痛みもどうでもよくなった。


 ただボーッとしながらも、心の奥底で静かに燃える人間への憎しみだけが、冷たくなったボクの心が死んじゃうのをギリギリ止めてた。


 そうじゃなきゃ、とっくに死んでた。


 そこからは毎日、同じことの繰り返し。


 朝になると、固くて不味いパンが一つ、檻の中に投げ込まれる。


 昼間は、奴隷を買いに来た人間たちが、ボクを珍しい見世物みたいに眺めていく 。


「おい、あれ見ろよ。犬っころだってさ」

「耳も尻尾もねえのか。不良品だな」

「ハハハ、本当。これじゃあ使えないわね」


 下品な笑い声が聞こえる。


 ボクは檻の奥で膝を抱えて、ただじっと耐える。


 反応したら負けだ。


 こいつらの思う壺だ。


 ボクはまだ死んでない。


 魔族と人間に復讐するまでは、絶対に死んでやらない。


 夜になると、少しだけ静かになる。


 隣の檻にいるオーガの男の子が、ときどき話しかけてくる。


 たぶん故郷とか家族の話だったと思う。


 ボクのことを心配して話しかけてくれたみたいだけど、どんな話をしてくれたのかほとんど覚えていない。


 ただ、そのときの彼の顔が、なんだか少しだけ……昔の友達に似てた気がした。

 

 ボクは、ほとんど何も話さない。


 話せることなんて、もう何もないから。


 ただ夜空に浮かぶ二つの月を眺めるだけ。


 パパ、ママ……。


 ボク、まだ生きてるよ。


 だから、見てて。

 

 いつか必ず、魔族も人間も、みんな殺して、そっちに行くから……。

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