4 無神経
夜になり、イリは泉に部屋に案内された。
そこは二段ベッドが二つ置かれただけの狭い部屋だ。毛布は全て綺麗に畳まれて置いてあり、誰かが使っている様子はない。
「この部屋は誰も使っていない。今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
頭を下げると、泉は出て行った。
ドアが閉まると、しんと部屋の中は静かになった。
ゆっくり休んでくれと言われても、心の中を整理するのにいっぱいいっぱいで、眠れるわけがなかった。
静かな部屋に一人でいると逆に心が落ち着かなくて、イリは部屋を出た。
さっき通って来た階段へ行き、上へ上ってドアを開け、屋上へ出た。
風が吹き、砂埃を巻き上げる。
夜空は満天の星で、とても綺麗だったのだけれど、絶景を味わう余裕はなかった。
よろよろと進み、屋上の真ん中辺りで膝を抱えて座り、膝の中に顔を埋めた。
そのまま頬を思いっきりつねったが、痛かった。これは、夢じゃない。
重い溜息を吐く。
言葉は不思議と通じているが、それ以外のものが全くの別物。だから自分は本当に別の世界へ来てしまったのだと、テレビの壮大なドッキリじゃないと、頭では分かっている。分かっているが、心は遥か後ろに置いてけぼりにされていた。
元の世界に戻る方法は無いわけじゃない。でも聞いた限りでは難しいようで、自分はひょっとしたら死ぬまでここにいるのではないだろうかと思った。
もう二度と家族や友達と会えないかもしれない。
両親と妹、マミカとシウの顔が思い浮かんだ。
家族とは、今年の夏に旅行しようなんて話をしていた。他にも行きたいところがたくさんあったし、親孝行もしたいと思っていた。
マミカとシウとは一番の友達で、軽音楽部でバンドを組んでいた。去年のイベントで初めて観客の前で歌ったことを思い出した。
みんなは今頃どうしているだろう。マミカとシウは、廃都市に行かなきゃ良かったと後悔しているかもしれない。家族は生死の分からない自分のことを思いながら、これからも生きていくかもしれない。
まるで宇宙船に一人乗せられて、宇宙に放り出されて、遠ざかる地球を見ているようだった。元の世界が恋しくなった。
帰れるよね……。
唇が震えて、目元が熱くなり、涙が溢れてきた。堪えることができなくて、イリは肩を震わせて泣いた。
……どれくらいそうしていただろうか。
鼻をすすって顔を上げると、隣に誰かが座ってこっちを向いていた。見ると、黒鉄尊人だった。胡坐をかいて、膝の上で肘をついている。
イリは後退った。
「い、いつからそこに」
「あんたが泣き始めた時から」
涙が引っ込み、顔がかっと熱くなった。
何故声を掛けないのだ。
また溜息が出た。
「寝ないのか」
「寝る気分じゃないです」
「まぁ、そうだろうな」
尊人のそっけない言い方に、ちょーっとイラッとした。
いや、別に、慰めて欲しいわけじゃないけれど。
初めて会った時はそれどころじゃなかったが、多少落ち着いた今見ると、彼はイケメンだった。目鼻立ちのはっきりした綺麗な顔で、学校にいたら学年やクラス関係なくモテているだろうし、芸能界に入っても充分通じると思う。でも彼は少々デリカシーに欠ける。
イリは尊人から目を逸らし、唇を尖らせた。
風が吹き、また土埃が舞う。
尊人は無言だった。
それが気まずくて、せっかくだしと聞いてみることにした。
「どうして、あの神と戦ってるんですか」
尊人を見ると、彼は肘をついたまま答えた。
「知らね」
「え」
「神と人間の戦いは、俺が生まれる何十年も前から始まってる。戦争の始まりなんて、話程度でしか知らねぇよ」
「そう、ですか。他の町も、ここみたいになってるんですか」
「あぁ。聞いたところによると、あのバケモンは、昔は数体しかいなかったらしい。それが急に数が増えて、人間を襲うようになった。町や都市は次々に破壊され、大勢の人が死んだ。人間が住んでた地域の半分以上はヤツらに破壊されて、今じゃかなり狭くなってる。ここは西の最前線だ。この戦いでヤツらの侵攻を食い止めなきゃ、この国は、いや人類は終わりだ」
深刻な状況のようだが、イリには実感がなかった。それはそうだろう。戦争や侵略とは無縁の世界にいたのだから。
尊人がじっとイリの顔を見ているのに気付いた。
「なんですか?」
「べーつに」
言いながら、後ろに手をついて空を見上げた。
「あんたのいた世界に『神』がいないってことは、こういう戦争も無いわけ?」
「人間同士の戦争はありますけど、私がいた国は、数十年は戦争とかしていないです」
尊人はふっと鼻で笑った。
「ぽいよな。お前、平和ボケしてそうだし」
「な」
不安や焦りが吹き飛ぶくらいカチンときた。なんだその言い方は。別に、平和ボケしてたっていいだろう。争いがない平和な世界と時代に生まれたのは、悪いことじゃない。
言い返そうとしたが言葉が見つからず、その間に尊人はすっくと立ち上がった。
「んじゃ、早く寝ろよー」
煽るような口調でふりふりと手を振りながら、彼は屋上を出て行った。
バタンとドアが閉まる。
一人残されたイリは、右手を握ると自分の太ももをダンダンダンダンダンと叩いた。
なんだあいつは。
カッと頭に熱が上った。
べそべそ泣いて、うじうじしているのが馬鹿みたいじゃないか。
確かに自分は平和な世界でのほほんと生きてきた。神と言う名の化け物と戦う術だって知らない。だけど、立ち止まっていたってどうしようもないのだ。時間は進む。周りの物事は変わっていく。
イリはバシッと両手で自分の頬を叩いた。
プレゼントでもらったアクセサリーをなくして、バンドで演奏をミスって、テストで酷い点を取って、運動音痴を笑われて……この世界の神と命懸けで戦っている人たちに比べたら些細も些細なことかもしれないが、今までも何度も凹んできて、その日は気分が沈んで泣いても、次の日にはやるしかないと立ち上がってきた。
今だってそうじゃないか。
イリは立ち上がった。
そしてまずは休んで体力を回復させようと、屋上を後にして、部屋に戻った。
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