エピローグ
「進路調査票の提出は今週までだからな。もし失くしたなら新しいのやるから必ず期限に遅れないように。ホームルームは以上」
言い終わると張りつめていた空気が一気に弛緩して、生徒達は席を立ち教室は喧騒につつまれた。
新年度になって一ヶ月。高校三年になったばかりの生徒達はまだまだ受験生としての焦りも自覚もない。あと二か月くらいして夏前になると大慌てで進路を決めたり、授業終わりに教師に質問しに行ったりと目の色を変えることになるのだが。
「進路調査票、今なら何枚かあるぞー。もう俺は職員室に戻るぞー」
ナマハゲみたいに対象者がいないか確認の声をかけ教室を見回す。でも俺は知っている。ここまでしても提出期限を守らないロックな奴は必ず出てくる。奴らは尻に火が付かないと絶対に動かない性質なのだ。そういう奴を見越して、実は本当の締切は来週の火曜日。嘘も方便。教師生活七年目にもなるとそういう知恵もついてくる。最後にもう一度振り返ってから教室を後にする。
職員室に戻ると、いつもの面々の中にリクルートスーツを着た教育実習生の姿があった。なにやら担当の教師と話し込んでいるが、俺には関係のない話だ。教科書や提出物など諸々の荷物を置いて、代わりに電子タバコのセット一式を内ポケットに忍ばせる。
廊下でたむろするやつらの間をすり抜けて、屋上に伸びる階段を上がった先のナンバーロック錠を四桁の数字を入力してドアを開ける。
一日の疲れを身に纏った俺を出迎えた薄紫の空の下、深呼吸する。お昼に野菜多めに食べたり、ちょっとした運動したり、新鮮な空気を目いっぱい吸い込んだり、身体に良さそうなことをしただけで気分が良くなるのは俺もおっさんに近づいてるのかもしれない。
とか言っておきながら、たばこはやめられないんだよなぁ。
デバイスにスティックを差し込み加熱する。
コンコンコン。
俺の休息を邪魔する者の訪れを知らせるノックの後、一拍置いてからナンバーロック錠の開錠音がしてドアが開いた。
ひょっこり顔を出したのはリクルートスーツに身を包んだ女性。胸には手作りの名札がつけられており早川と書かれている。
「生徒の屋上の立ち入り禁止だぞ」
「もう生徒じゃないですよ、橋本先生。ナンバーロック錠が8831はひねりがないですね」
「うるせえ。なんでも四桁でって言われてふと思いついた数字を言っただけだよ」
俺は彼女の方を見ずに悪態をつく。
「なんか屋上全体的に綺麗になってますね」
「改装されたのはもう四年も前だけどな」
「もう四年になるんですね。色々変わりますね」
教育実習生は屋上のフェンス越しにバックネットの方を見つめる。
「鳴海先生も中山先生も居ませんね」
「新卒教師は5年くらいで異動するのが平均的だしな。俺も来年はここに居ないし」
鳴海先生は去年、中山は一昨年に異動した。その代わりに待望の新卒の体育大卒の男性教師が入って来た。少し前の俺みたいに右へ左に大活躍中だ。それなのになぜか消防訓練は俺が指名されて重たい消火器を持って走っての消化訓練は毎年の恒例になっている。
これは余談だが、中山と鳴海先生が付き合い始めたらしい。
「お前の大学は関東の方だろ。別に教育実習は母校じゃなくても良いはずだけど」
「実家に顔出すついでですよ。それに久しぶりに母校を見たい気分だったので」
「しかしお前が教職志望とはなぁ」
「わたしがどうして教職志望になったか聞きたいですか」
教育実習生はのぞき込むように俺を見る。
「いや、いい。俺と同じでどうせつまらん理由だろ」
俺は加熱するだけしておいてすっかり忘れていた電子タバコを吸う。
「そうだ、今日この後、ご飯に連れて行ってくださいよ。お昼少ししか食べてなくってお腹ペコペコなんですよ」
「なんで俺が」
「わざわざ高い新幹線代払って母校に帰ってきた教育実習生がお腹を空かせてるんですよ」
「なんか前より一層口が達者になったな」
「東京に出て四年も経ちましたからねぇ。色々ありましたし」
「悪い男に引っかかってないだろうな」
「え、気になっちゃう感じですか」
「べつに」
「ふーん……で、ご飯どうですか」
「こっちには東京みたいにオシャレな飯屋はないし、高い店も無理だぞ」
「いいですよ。何を食べるかじゃなくて、誰と食べるか重視なんで。なんならチェーンの居酒屋でも」
だからといってチェーンの居酒屋に連れて行くのは流石に気が引ける。かと言って、俺の知ってる店は定食屋とか街中華くらいのもんで女連れで行ける店も多くない。
「……駅前の沖縄料理屋でいいか」
「もちろんです♡ やったー!! ハブ酒とか興味あるんですよねっ」
パンプスでぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現する。こういうガキっぽいとこは変わってねえな。
「にしても、教師の仕事ってなかなか重労働なんですね。基本的にずっと立ちっぱなしで移動も多いし、ノート提出の日はクラス分のノートを持って職員室まで行きますし。まだ三日目ですけど、朝から晩まで担当の先生について回って。脚はパンパンで肩はガチガチです」
「そんなの序の口だぞ。新卒教師は雑務が山程割り当てられるから。実際はもっとしんどいぞ」
「えー、先が思いやられるんですけどぉ」
そいつは自分の手を肩に当てながら口をへの字に曲げている。
「教育実習生に良いこと教えてやろうか」
「え、なんか楽に仕事をする裏技でもあるんですか」
「肩こりには紙飛行機がいいらしいぞ」
肩こりと紙ヒコーキ 完
肩こりと紙ヒコーキ 秋田全 @akitazen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます