第19話

 十二月一日。


 今年も残すところあと一か月になり、気温もぐっと下がってきた今日この頃。


 厚手のセーターと迷った挙句、去年買ったダウンコートに袖を通して家を出た。遠目に見れば運動部の顧問にも見える恰好で凝りに凝った肩を自分で揉みながらグラウンドの片隅に立っているのにはもちろんワケがある。


 スマホがブルっと震えたので確認すると『今着きました』とメッセージが入っていた。


 顔を上げるとはるか遠く、駐輪場の方から走ってくる人影が。


 最低気温が5℃と予報されている中を上半身は黒のダウンにマフラーといった防寒具、下半身は生足にミニスカートと矛盾を孕みまくったスタイルで現れたのは日花里。数週間会っていなかっただけなのに少し髪が伸びてる気がする。


「待ちました?」


「俺は十分前に来て、お前が五分遅れたからそこそこな」


「先生そこは今来たとこって言うんですよ」


 ジトっとした視線を送られる。


「で、なんの用ですか。こんな早朝に受験生を呼び出して。共通テストまであと一ヶ月で中々にピリついた時期ですよ」


 呼び出された理由を尋ねてくる日花里の吐く息は白い。


「悪魔の証明をしてやろうと思ってな」


「あぁ……それならもういいって言ったじゃないですか。それにもしそうなら、ここじゃなくて屋上で待ち合わせないとじゃないですか」


「いま、屋上は改装工事やら何やらで生徒どころか教師さえも立ち入り禁止だ」


「え、それじゃ。全然ダメじゃないですか」


 俺の言ってる内容が飲み込めず、呆れた視線を向けてくる。


「まぁ、そう言わずに聞いてくれ。順を追って説明するから」


「なんですその落ち着いた感じ。もったいぶらないで早く教えてくださいよ」


「俺だってずっと頭を悩ませてようやく偶然もあいまって解けたんだ少しはもったいぶらせろ」


「むー」


 頬を膨らませて不満を表す日花里。


「まず最初にテルテル坊主の名前だ」


「テルテル坊主の名前?」


「普通、テルテル坊主に親の名前つけるか?」


「テルテル坊主は晴れを呼ぶって考えたときに、お父さんの名前にも晴れって漢字が入ってたなって思って……というかなんでお父さんの名前知ってるんですか」


「まぁ結果として、それのおかげで気付けたんだけどな」


「また含みのある言い方して。あと、その紙ヒコーキも気になるんですけど」


 日花里の視線が俺の手の紙飛行機に注がれる。


「突っ立てるのも寒いし、さっさと話しを進めるか」






「日花里はこれまで親父さんの話を片っ端から真偽を確かめていったんだよな」


「はい、二週間前にも言った通りです」


「そして最後に残ったのを言ってくれ」


「それわざわざ言わないといけませんか。先生も知ってますよね」


「それが大事なんだ」


「屋上から投げた紙飛行機がバックネットまで飛んだ」


「だよな。細部は子供の頃に日花里が聞いた話だからわからないけど、親父さんはそう言ったんだよ」


「だからそれがなんだって言うんですか」


「偶然にも中山のバカが落としたのが屋上の鍵でそれを日花里が拾って屋上に上がった。これがボタンの掛け違いの始まりだったんだよ」


「ほんとうにもうさっぱりなんですけど」


 日花里が地団駄を踏むと砂ぼこりが舞うのも無視して俺は続ける。


「それから日花里は屋上で紙飛行機を投げ始めて、そこに俺が現れた。そして俺と日花里はいつかしか投げた紙飛行機が100m飛ぶかどうかに焦点を当てて話を進めてしまったんだよ。でも親父さんは決してそんなことを言ってなかったんだ」


「でもお父さんは屋上から投げた紙ヒコーキがバックネットまで飛んだって。それはつまり100m飛ばすってことじゃ――」


「その間違いに今の俺たちが気付けるはずもなかった。だって親父さんの言った屋上はもうこの学校にはないからだ」


「……屋上がもうない?」


 さっきまで次を急かすような態度だったひかりの勢いが止まり、その頭の上に疑問符が浮かぶ。


「前提が違ったんだよ。親父さんが言っていた屋上は本校舎の屋上ではなく、20年前に火事で焼け落ちた部室棟の屋上だったんだ」


 日花里は尚も状況が飲み込めない様子で口をつむる。


「俺も用務員の谷口さんに聞くまで部室棟なんてものがあったことすら知らなかった。けどまだ親父さんが在学していた頃、東大路高校には後に火事で焼け落ちる部室棟があった。その部室棟の屋上で気持ち良さそうにたばこを吸っていた不良生徒が、お前の親父さんの日花里晴男。そのやんちゃ坊主のことを谷口さんが覚えていたんだ。随分前のことだから谷口さんはその生徒の下の名前の晴男だけを覚えてた。屋上でタバコ、晴男という名前で、もしかして日花里って苗字じゃないですかって訊いたらハッとした顔をしてたよ。親父さんの苗字が日花里じゃなくて田中とか鈴木ならお手上げだったかもしれない」


「じゃあお父さんが紙飛行機を投げたのは」


「ちょうどこの辺りなんだってさ部室棟があったのは」


 日花里は自分の立っている場所とバックネットを交互に視線をやる。そこは三塁のファールゾーンの辺り。今は野球部の用具倉庫が並んでいる。


 俺はゆっくりと腕を回してから、持ってきた紙飛行機を投げる。よく飛ぶ紙飛行機で検索して一番上に出てきたそいつはすいすいと翼で風をとらえてバックネットの少し前に落ちる。


「きっと二階の屋上から投げて、風に乗れば全く問題ない距離だろう」


「じゃあお父さんは――」


「親父さんは話を盛ってもなかったし、ましてや嘘なんかついていなかった。よく飛ぶ紙飛行機がつくれて、思ったより飛んだ。そういう話をお前にしただけだった。親父さんのお前に向けた言葉に嘘はなかった」


「なんだ、そうだったんですね。わたしはてっきり……」


「よって悪魔の証明はなされた。と、言いたいところだが」


「え、まだ何かあるんですか」


 俺は一つ覚悟を決めるように自分の頬を両手で挟み込むように叩いてから続ける。


「日花里、お前は本当に大バカだ」


「なんですかいきなり!? しかも受験生に向けてバカはダメですよっ」


「今回は偶然が重なって何とか親父さんの言葉に嘘がないことが証明出来たけど、じゃあまた次にふとお前が思い出した親父さんとの思い出か何かが証明できなかったとしたら、お前はまた親父さんの愛を疑うのか」


「……」


「お前は一生亡くなった親父さんの愛をどこかで疑って生きていくのか。一浪してもお前がA判定もらってる大学に箸にも棒にもかからなかった俺が言わせてもらう。お前はバカだ」


「そんな言い方……」


「悪魔の証明なんかしなくたって、紙飛行機を飛ばさなくたって。とっくに証明されてたんだよ」


 俺とひかり以外誰もいないグラウンドでこれまで我慢していた分が堰を切ったように溢れてくる。


「小さい頃のお前に自分がこれまで経験した楽しいと思った事、驚いたこと、達成したことをたくさんたくさん話してくれたんだろ。親父さんは愛想のない可愛くないお前との二ヶ月に一度の食事も楽しみにしてたんだろ。そういう言葉や行動の一つ一つが愛してるってことなんじゃないのか。あの石田先生の日本史のテストをいとも簡単に解くその頭は、俺の長年の謎をその場で解いてみせたその頭は、なんでもかんでもすぐに分かってしまうその賢い頭はズル賢いその頭はどうしてこんな簡単な事がわからないんだよ」


 そこまで言って俺はようやく我に返った。


 やっちまった。


 論理や精神論みたいなもので説き伏せるのは悪手だと鳴海先生に言われていたのに。


 令和の時代に昭和の熱血教師さながらパワハラ同然の言葉選びにそれに加えて怒鳴るような口調。


 時既に遅し。


 ひかりの反応を覗き見ると、ひかりは首に巻いていたマフラーに顔を埋めていた。


「わ、わるい言い過ぎた」


「……」


「泣いてるのか?」


「どっちだと思います?」


 質問を質問で返したひかりの肩は小さく震えている。


「泣いてる」


「ぶっぶー、ハズレです!」


 マフラーからすぽっと顔を出した日花里は指をクロスさせてバツを作る。


「ちょ、なんだよいきなり出てくんなよ、びっくりするだろ」


 飛び退いた俺を見て日花里は腹を抱えて笑う。さっきまでの俺の熱弁なんてどこへやら。


「笑いすぎだろ。俺は真剣に――」


「ありがとうございます」


「急になんだよ」


「目が覚めた気がします。砂場に作ってた小さなお城を思いっきり蹴り飛ばされたみたいな? ろくろで丁寧に丁寧に作っていたツボを踏みつけられたというか。寝てる時に冷水をかけられたみたいな」


「なんかそれ例え悪くないか」


「でもそんな感じしたんです。ずっと引っかかってた気持ちに決着がつきました」


 そういう日花里の顔は確かに付きものが落ちたような、そんな晴れ晴れとしたものに見えたのは俺のエゴだろうか。


 ここまで話し終えたタイミングで校舎に入っていく生徒の姿がちらほら見える。学校にうっすら朝の気配が漂いはじめた。


「そろそろ、みんな来ましたね。ここで生徒と教師が二人きりだとあらぬ噂がたってもいけないですし。先生は何か言い残したことはありますか」


「受験頑張れよ」


「もちろん! あ、大事なこと忘れてましたね」


 まだ何かあったか?


 日花里は俺の隣にやって来てスマホの画面で写真フォルダを開いて、さかのぼってスクロールしていった先にあった一枚の写真を選択する。


「削除する約束でしたもんね」


 画面操作して削除がクリックされる。


「あと、あたしからも最後に一言。先生は先生向いてると思いますよ! じゃ、また!」


 言って、元紙飛行機娘は手を振りながら校舎の方へ走って行く。


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