第14話
「日花里ってさ、昼にもいるんだな」
「なんですか、人を夕方にしか出ない幻の美少女みたいに」
「美少女とは言ってないけどな」
丹精込めて作った中間テストが午前中に生徒たちに消化されたその日の午後、俺と日花里は珍しくまだ太陽が高い時間に屋上に居た。
いつもはグラウンドで叫びに近い大声を張り上げている運動部の奴らは大人しく家に帰り、校舎にはわずかばかりの生徒とテストの採点に追われる教師だけが残っている。
「中間試験後はさっさと家に帰って次の日の勉強しなくていいのか」
「心配無用です。ちゃんと計画的に進めてますので。今日の試験もバッチリでしたし」
自称幻の美少女こと日花里は敵将の首を取った武士のように今日のものと思われるテストの問題用紙を掲げる。
ぱたぱたと風になびくその中に見覚えのある文字列が並ぶプリント。
「お、日本史のテストあるじゃん。ちょっと見せてみ」
俺は受け取ったテストを流し見していく。
三年の日本史担当は石田先生だっけな。俺が新任の時に作ったテストを見てもらった時に簡単すぎるとかなりテコ入れされたことがある。その時の平均点が50点そこそこで別の日本史担当の先生に難しすぎるとお叱りをいただいたことがあったな。
さてさて、石田先生のテストはいかに。
範囲は近現代史か難しくするにはもってこいだな。
「なるほど……」
なかなかにエグイ問題がずらり。基本を問う問題も見受けられるがその数は圧倒的に少ない。それに正誤問題や穴埋め、並び替え問題がびっしり。
日本史特有の重箱の隅をつつくような問題も一つや二つではない。
難関私立大レベルだなこりゃ。平均点は良くて60点くらいか。
「結構難しいなこれ。何割くらい解けた?」
「手応え的には9割はいけてますかね。二つくらい怪しいのがあったので」
「いやいや、この問題で9割は……」
いや、待てよ。
問題用紙に書きこまれている丸っこい文字や正誤問題の指摘箇所、時代順の並び替えも穴埋めも……。
「どうです? あ、字が汚いのは言わないでくださいね」
「うーん。たしかに、ざっと見た感じ間違ってるところねぇな」
「やったーっ!! 日本史しか勝たんっ」
小さく飛び跳ねてガッツポーズをする日花里。
「あ、でもこれ間違ってるんじゃね?」
「え、どこですか。どこ、どこ?」
近い。こいつマジで距離近いんだよな。
ってか近くで見て気付いたけど、こいつ今日はメイクしてないな。
まぁ高校生はメイクしないくらいが良いのだが。
「ここの時代順の並び替え問題。Cは第二次桂内閣の政策でBは第二次西園寺内閣の政策だから、ここの順番が逆になってるぞ」
「え、あ……そうでしたっけ」
「桂園時代は出題頻度も高いうえにごっちゃになりやすかったりするからもうちょっと詰めておいた方が良いかもな」
「なんか先生みたいな言い方ですね」
「先生だしな。日本史の問題は間違っても良いけど、そこを間違えるなよ」
おかしそうにころころと笑いながら問題用紙をスクールバッグに片付けながら。
「ところで先生はなんで日本史の先生になったんですか?」
「ん?」
「この前はなんで先生になったかを聞きましたけど、なんで日本史を選んだのかは聞いてなかったなって思って」
「言ってなかったっけ」
「言ってないですよ。他の教科に興味は無かったんですか」
「英語や理系科目が苦手だったから、文系科目で絞ってたな。あと歴史は自分が受験生の時に面白いと思えたからかな。それが結果として得点に繋がって志望大学に合格出来たし。勉強苦手だったり、楽しくない生徒が興味持ってくれたらって」
「また先生っぽいことを」
「だから先生だって言ってたんだろ」
「こんなの言ったら失礼かもしれないですけど、少し前まで先生は生徒のことあまり好きじゃないのかなって思ってました。いっつも痛そうに肩を押さえてるし、不機嫌そうな顔で歩いてるのをよく見かけましたし。そのストレスの発散のために屋上でタバコ吸ってたんですよね? ほら、この写真も」
日花里のスマホの画面に映し出されたのは例の写真の俺。
「それ、ちゃんと消してくれよな」
「消しますよちゃんと。決着がついてもつかなくても」
「ってか、なんでそんな写真撮ったんだよ。まさか最初から俺をゆする気で」
「そんなつもりは全くなかったんです。ただ屋上で気持ちよさそうにタバコを吸ってるのを見たら、きっとこんな感じだったのかなぁって思って撮っただけで」
「こんな感じだったって何が」
「……こっちの話です」
出た。いつもの煙に巻く感じ。
「左様け」
俺は興味無さそうな風を装ってポケットから煙草を取り出して口にくわえる。
「ちょっといいですか先生」
突然、日花里は俺の顔を両手でつかんでグイと正面を向かせる。
「な、なんだよいきなり」
「ふつうこういう時は、どしたん話きこか? でしょ」
「はぁ? 言いたく無さそうにしたのはそっちだろ」
「女の子の聞かないでは聞いてです。女の子の嫌はオッケーです」
「じゃあ本当に聞いて欲しくないときはどうするんだよ」
「本当に嫌な時はちゃんと本当に嫌って言います。言葉の裏を読まないと、一部の変な人からしかモテないですよ」
「なんだよそれ。ってか一部の変な人には刺さるのか俺」
「まぁ、刺さるところには刺さるかもですね。蓼食う虫も好き好きですし。じゃなくて、何回か言われれば私だって答えちゃうかもしれないのに。なんでいつもあっさりと引き下がるんですか。先生は魚介だしのラーメンスープなんですか」
世の中に絶対ということはないというが、これだけは言える。
俺は絶対に魚介だしのラーメンスープではない。
「俺と日花里の関係地が子供用プールくらい浅いって言ってたじゃねぇか」
「今はもう少し深くなってますし。先生なら良いと言いますか……そこまで興味ない感じだされると何か嫌です」
「お前に興味がないんじゃなくて、単純に相手が嫌がってることを無理に聞き出そうってのは性分に合わないだけだよ」
「でも気にならないんですか。華のJKが屋上で紙飛行機を投げてるなんて」
またこいつ距離が近いんだよ。
「気になるで言えば、大学時代に働いていたファミレスで客にライスを皿じゃなくてお茶碗にいれてもらえますかって聞かれてな。イタリアンの店だったからお茶碗はないですと答えたら、じゃあパンでお願いしますと言われたことがある。その謎に比べたら変わり者のJKの秘密くらい大したことない」
「なんですかそれ」
「それがわかんないから謎なんだよ。お茶碗じゃないならライスがいらない。約7年物の謎だ。たまーに思い出してはむずむずする」
「それ本気で言ってます? ご飯かパンかの謎に負けるなんて不本意です。むっすー」
大人になるとどんどん初めてが少なくなっていって時間の流れが速く感じると何かの本で読んだことがある。むっすーを口に出して不機嫌をアピールする人間を初めて見たのできっと今日の俺の一日はいつもよりゆっくり進むだろう。
「あ、そういえば鳴海先生が言ってた警察の人の話ってなんだったんですか」
「あぁ、 夏休みの窓ガラスの件の犯人がわかったって」
「え、すごいっ。で、誰だったんですか犯人は。まさかうちの学校の――」
「飛び石だってさ。トラックの」
「ってことは事件じゃなくて事故だったんですか」
「外周を走っていたトラックが道路に落ちていた石を踏んでそれが生垣を超えて窓ガラスに当たって割れた」
「そんな偶然があります?」
「俺もそう思ったんだけどさ、警察がそう言うんだからそうなんだろ。防犯カメラとか近くを通った車の車載カメラとかで調べた結果らしいけど」
当たり前と言えば当たり前かもしれないが、警察の人はどこの誰がとか詳しい情報は教えてくれはしなかった。ただ事実としてあの窓ガラスが深夜に割れた理由を報告した。
最初からそうだとわかっていたら、現場検証を手伝ったりする必要もなかったのだ。
現実は小説より奇なりというか、幽霊の正体見たり枯れ尾花というか。骨折り損のくたびれもうけというか。
「あの日……あの日、もし飛び石の件がなかったら先生はどうしてたんですか」
「どうしてた? まぁ雑務を済ませて昼過ぎには家に帰ってただろうな」
「つまり先生はあたしと出会うこともなかったってことですよね」
「そうなるかもな」
「これって運命ってやつですかね?」
「ただの偶然だろ。バカ言ってないで紙飛行機に満足したならさっさと帰れ」
「なんですか急に人を追い払うみたいに」
「追い払うみたいじゃなくて追い払ってるんだよ。俺だってなかなか忙しい身なんだよ」
「わかりましたよ帰ります。ご機嫌よう橋本先生」
日花里はスクールバックを肩にかけて、舌をべっと出して歩き出したかと思うとピタっと足を止めて振り返る。
「あ、その前に」
「なんだ」
「さっきの表面積の問題だと思いますよ?」
「ん?」
「お茶碗とライス皿。違うのは表面積くらいです。そしてその結果変わるのはご飯が冷めるスピードですかね。わたしの叔父さんが冷めたご飯を極端に嫌がる人だったんで、その人もそうだったんじゃないですかね。じゃ、失礼しまーす」
バタンと閉められた屋上のドア。
俺の長年の謎をいとも簡単に解いて帰りやがった。
今度、日花里に今年の有馬記念の買い目の相談でもしようかな。
それは、違うか。
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