第9話

 生垣から尻が出ていた。


 これは比喩でも変態の妄想でもなく、俺の目の前にある実際の光景だ。


 うちの高校指定の体操服に包まれた小ぶりの桃はのそのそと後ろ向きに這い出てきた。


 その人物は水浴びした犬のように頭をぶるぶると振る。


 見覚えのあるショートボブ、その生徒が誰なのかは言うまでもない。


「あ、先生。お疲れ様です」


 器用に葉っぱを頭に乗せたまま挨拶するのは日花里。


「お疲れ様ですじゃねえよ。何してんだ」


「この格好を見てわからないですか?」


 白のシャツに紺色のハーフパンツ、上下ともにうちの高校指定の体操服に靴はローファー。


「俺は勘は鋭くない方だからな。残念ながらお手上げだ」


「紙ヒコーキを探してるんですよ。たぶんこの辺に入っていって」


「外でも紙飛行機やってたのかよ」


「いやいやいや、外で紙飛行機やるわけないじゃないですか」


 そんなことないでしょ、あたし呆れちゃいますみたいな顔で否定する。


 やりそうだけどな。


「いつもみたいに屋上で投げたら思いもよらぬ突風が吹いて、フェンス超えちゃったんですよ。びゅーんって」


「屋上からって」


 東大路高校の周りには学校を囲むように生垣が植えられている。


 本校舎の屋上から投げたとしてこの辺に落ちたとしたらゆうに50m以上は飛んだことになる。


「本当に飛んだんです。あたしこの二重で見ましたもん。はっきりと」


 二重は瞼のことだぞ。物を見るなら目だぞ。


「それでわざわざ体操服に着替えて探してたってわけか」


「ラッキーでした今日体育あったんで。先生こそこんなところで何してるんですか?」


「それこそ見てわからないか」


「うーん……交通整備?」


「ちげーよ。パトロールだよ、パトロール」


「あぁ、担任の先生が今朝言ってました。不審な車が連日学校の近くに停まってるって」


 不審者ならぬ不審車だ。


 都市部や街中にある学校なら何ら問題にはならないが、うちの学校は山の中にあるもんだからわざわざ学校の周りに駐車する車、それも同じ車種と色となると即不審車認定される。


 警察にも相談した上で、教師陣でも何か出来ることをという話になり、中山と壮絶な押し付け合いの結果、栄えあるパトロール第1号に俺が選ばれたのである。


「で、何か見つかりました?」


「そうだなぁ、成果と言えば生垣に頭を突っ込む怪しい奴を見つけたくらいかな」


「……って、それってあたしじゃないですか」


 ぷんすこ怒りながら距離を詰めてくる日花里に思わず視線を逸らす。


 体育教師なら見慣れてるかもしれないが、しがない日本史教師にとってJKの体操服姿を直視するのは憚られる。


 しかもうっすら下着が透けてるし。


 インナーを着ろ、インナーを。


「でもせっかくなら、不審者を探すついでにわたしの神ヒコーキを探すの手伝ってくださいよ。この場合のカミは神様の神です。めっちゃ飛んだんで」


 ただでさえめんどくさい仕事を割り当てられてる上に、いつも屋上にいるこいつが偶然にも降りてきているという状況につい表情に出てしまう。


「なんですか、そのいつも屋上にいる奴なのになんで今日に限ってここにいるんだよみたいな顔」


 御名答。


 俺ってそんな微細な表情の使い分けできるんだ。


「日花里にどういう風に見えてるかわからんが、俺は大事な大事な仕事中なんだよ。紙か神か知らんがそんなもんを探してる暇はない」


 「あ、それならこういうのはどうです? あたしが先生のパトロールに付き添うついでに、神ヒコーキを探せばいいんですね。鬼退治のお供は多い方が良いですよね」


 これぞ妙案とばかりに人差し指を立てて見せる日花里。


 きびだんごやるからどっか行ってくれ。




 



 東大路高校の外周は約1.5キロあり平均的な学校よりは少し広めである。


 外周と言えば、冬場の体育の持久走や運動部の体力トレーニング以外でしか使われることはほとんどなく、よって平日の放課後の人通りはかなり少ない。


 落ちたイチョウの葉で出来た黄色い絨毯の上を歩いていると、銀杏のにおいに鼻孔をくすぐられる。


 子供の頃は臭いだのなんだの騒いでいた銀杏のにおいも大人になると季節の変わり目を感じ、また一つ大人になったんだなぁと感慨深い。


 などと小さな発見をしている俺の隣を歩いていた日花里が突然しゃがみこんだ。


「小さい秋みーつけた」


 日花里の手には小さなカサを被ったどんぐりが一つ。


「ハイイロチョッキリ」


「は、はいいろちょっきり? ドングリの種類か?」


「違いますよ、ドングリに卵を産み付ける虫のことですよ」


 あの虫ってそんな名前だったんだ。


 ハイイロチョッキリかどうだったかわからないけど、小学校の頃にどんぐりを引き出しにいっぱい入れてた奴の机から虫がうじゃうじゃと出てきて教室が騒ぎになったことあったな。


「日花里って変な雑学みたいの持ってるよな」


「小さい頃に色々と教えてもらったのを覚えてるだけですけどね。あ、あと銀杏は毒性があるので食べすぎると危険ですよ。小さい子供の死亡事例もあるんです」


「マジで」


「マジです。銀杏を侮るなかれですよ」


「侮っても侮ってなくもないけどな。銀杏は銀杏だし」


「銀杏を笑うもの銀杏に泣く」


「だから一円みたいに言うなよ」


「……」


 前もあったけど、これなに。


 自分からボケといてツッコまれたら黙るって。


 消化不良なんだが。


 と、俺が不満を帯びた目で日花里の方を見ると。


「なんで男の人って武勇伝とか語りたがるんですかね」


「なんだよ、いきなり」


「ちょっと色々と思い出して。なんでだろって。シンプルな疑問です」


 武勇伝か。


 男なら誰しもが一つや二つは必ず持ち合わせていて、飲みの席や女子がいる前で披露するアレだ。


 女子からすこぶる評判は良くないのに、気が付いたら話し始めてるアレ。


「自分のことを大きく見せたいんだよ男は。ほらアライグマは立ち上がるし孔雀は羽を広げるだろ」


「言ってることはなんとなくわかりますけど、あと武勇伝の信憑性ってどれくらいですか。だいたいがかなり大袈裟に言ってますよね」


 10対1で喧嘩に勝ったとか、喧嘩相手を病院送りにしたとか、暴走族を壊滅させたとか。


 世の中に蔓延る武勇伝は眉唾どころか明らかな嘘も多い。


 ちなみに俺の武勇伝は中学の時に現在プロ野球で活躍しているピッチャーからホームランを打ったことがある話だ。


「でもな、武勇伝ってのも中々歴史が古くてだな。例えば蒙古襲来絵巻もうこしゅうらいえまきなんかは竹崎季長たけざきすえながという武士が自分がいかに勇敢に元寇の時に戦ったかを絵師に描かせたものなんだ。竹崎季長はそれを持って自分の活躍を幕府に報告し報酬を多くもらおうとしたんだ。つまり武勇伝は少なくとも鎌倉時代から脈々と続く男の性みたいなもんだ」


 長々と語った後にふと気がつく。


「な、なんだよその目は」


「いや、先生なんだなぁって」


「なんだよ、今まではそう見えなかったみたいな言い方」


「まぁまぁ、細かいことは良いじゃないですか。つまり武勇伝は話半分に聞けってことですよね」


「そうだな。それくらいでいいかもな」


「じゃあ、あの話も本当は……」


「あの話ってなんだ」


「いえいえ、こっちの話だし。お構いなく。さぁ、行きましょう」


 そう言ったひかりはどこか寂しげにまた諦観を含んだような表情をした。


 たかが武勇伝に何をそんなに気にしてるのか、犬なのか猿なのか雉なのかわからない俺のお供は急にテンションを下げて落ちた石を蹴りながら歩く。


 ころころころ、ころころころ。


 転がる石の音だけが外周を歩く俺と日花里の間に残る。


 一応周囲に警戒しながら歩く。


「あ、あった! ありましたっ」


 日花里が指さす方に視線を移すと、フェンスの網目に紙飛行機が刺さっていた。


「ほら、ここまで飛んできてたんですよ」


「マジか。かなり飛んだな。良かったな」


 さっきの位置からさらに歩いてきたってことは80mくらいはありそうだが。


 たしか世界記録がそれくらいだったような。


 あ、でもあれは平地から投げてだからちょっと違うか。


「それでも全然ダメです」


「なんでガッカリしてんだ。かなり飛んだ方だろ」


「全然です。全然足りないんです」


 日花里はあからさまにがっかりした様子で紙飛行機、いや神飛行機をカバンに入れる。


 日花里がどこを目指してるか謎だが、もっと飛ばしたい何かがあるんだろう。


 マジで謎だが。


「そんなことより先生、不審な車ってどんな特徴でしたっけ」


「銀色のハイブリットカー。ナンバーはわかってない」


「それって、あの車じゃないですかね」


 俺と日花里がいる位置から数十メートル先、学校のちょうど裏に当たる位置に一台の車が停まっている。


 色は……銀だ。


「なにぼさっと立ってるんですか、こっちですこっち!」


「ちょちょ、無理に引っ張るな」


 華奢な身体にグイグイ引っ張られて大きな街路樹の陰に引き込まれる。


 だから距離近いって、それに当たってるし何かとは言わんが。


「絶対あの車ですよ。捕まえちゃいましょう」


「いや、決めつけるのはまだ早いだろ」


「だって条件はそろってますし。ここで捕まえちゃえばお手柄で先生も出世間違いなしです」


「俺が警察ならそんなこともあるかもしれないが俺は教師だ」


「同じ公務員じゃないですか」


「デカイくくりで喋るな」


 日花里の目は車にくぎ付けで、鼻息も荒い。


「先生、善は急げですよ」


「急がば回れともいうぞ」


「チャンスの神は前髪しかないって言いますよ」


「急いては事を仕損じるとも言う」


「思い立ったが吉日ですっ」


「慌てる乞食は貰いが少ない」


「鉄は熱いうちに打て」


「短気は損気」


「ふ、覆水盆に返らず!!」


「……覆水盆にかえらずはちょっと違うだろ」


「しのごの言ってないで行きますよっ!!」


「あ、ちょっと待て!!」


 俺の静止を振り切って走り出す体操服姿のJK。


 くたびれた高校教師との距離をぐんぐん引き離して、不審車に向かっていき、あっという間に止まっている車の横まで行ってこっち向いて俺を呼ぶように手を動かす。


「先生、ほら」


 肩で息をしながら車の中を見ると、運転席の座席を限界まで倒してスーツを着たおじさんが腕を組んで寝ていた。


 その表情は寝ているにも関わらず眉間にしわが寄っておりなんだか苦しそうだ。


 車内は散らかったおり、片づけをする暇と体力がないおじさんの忙しさを物語っている。


 社用車で外回り中に休憩している。そんなところだろう。


「先生、この人が不審者ですかね」


「たぶんそうだろうな」


「どうします?」


 それからはあっという間だった。


 ドアをノックしておじさんを起こして事情を説明すると、やはりここに車を停めて仮眠を取っていたとのこと。


 最近仕事が立て込んでいてろくに睡眠がとれていなかったとも言っていた。


 不審車として扱われている旨を伝えると、すぐに車を動かしてくれた。


 一応、俺は念のためにナンバーをスマホのメモに控えておいた。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花ならぬ、不審者の正体見たりお疲れサラリーマンだ。


 それから俺と日花里は外周を一周して校門の前で別れた。日花里は着替えるために女子更衣室に、俺は職員室へ。


 消えた紙飛行機捜索とパトロール。


 二つの目的は存外あっさりと達成されたが、ただ一つ俺の中で引っかかったのは、日花里の体操服の胸に刺繍された坂本という名前。


 中山の言葉を思い出す。


 日花里っていうのはお父さんの方の苗字で高校に入ってすぐに両親が離婚して今の坂本になってるみたいだな。


 二年の頃は休みがちで出席日数ギリギリで詳しくは知らないけど色々と大変だったみたいだぜ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る