第一章 皇帝の正体⑤


   ***


 そうして、とうの一日を終えて。


 玉城から自室に帰ってきた私は、しばらくベッドにこしけながらぼおっと今日一日の出来事を思い返していた。

 ──なんだか、たった一日でとんでもないことになったな──。

 しかしこの先、れいぐうされる未来しか見えないこのグリンゼラスに居続けるよりは、ある意味カイナス皇帝の求婚はぎようこうとも言える出来事だった。

 それにしても。大国の皇帝がまさか推し作家だったとは。

 そういえば。あの時わたされたあのげん稿こう用紙、まだ読んだことない新作だったな……。

 そんなことを考えながら、今日一日でどっとろうかんさいなまれた体をぽすりとベッドに横たえると、コンコン、とろうからドアをノックする者があった。

「ルシェル。私だ」

「……お父様」

 外から聞こえてきた声に、ハッとけていた意識をかくせいさせる。

 帰ってきたのならまず顔くらい見せなさい、と言う父に、確かに今日のそうどうの後で顔も見せずに部屋にこもってしまったのは不味まずかったと反省した。

 私はさっとたくを整え、部屋の中で待機していた使用人に開けていいと目線を送ると、かちゃりと開いたドアから現れた父におをしてむかえた。

「申し訳ありませんお父様。帰宅したのがおそい時間でしたので、明日改めてご報告に上がろうと思っていました」

 王太子であるこんやく者からの婚約破棄と、それに続いて帝国のこうていからの求婚があったのだ。父としても、私の帰宅を待つ間、気が気ではなかっただろう。

 そんな父は私に「謝罪などいい。あれから、皇帝陛下とはどんな話をしたのだ」と言うと、視線を部屋の中にちらりと投げ、じっくり座って聞かせてもらおうかとうながしてきた。

 そうして、私の部屋の応接セットに腰掛けた父に居住まいを正した私は「皇帝陛下のもとに、とつがせていただくことになりました」と簡潔に告げた。

「──そうか」

 私の言葉に、父は喜ぶでもおこるでもなく神妙な面持ちで答える。

「アルベルト様のこと。私の不手際でお父様にもおずかしい思いをさせてしまい、申し訳ありません」

「いや、それはいい。もともと──、殿でんにはお前は過ぎた相手だと思っていた」

 だれかに聞かれたら不敬だと言われても否定できない言葉を口にした父は、そのことに驚き目をしばたたかせた私を見て、皮肉げにしようした。

「意外か? 手塩にかけて育てた可愛かわいむすめが、この先むくわれない苦労をいられるとわかっていて喜ぶ親がどこにいる」

「……お父様は、アルベルト様をしようあくできない私をご不満に思っていたのかと」

「確かに、最初のころはそんな思いもあったかもしれないが。見ていればわかる」

 あれは誰にもどうしようもできないだろう──、と暗に私をこうていする言葉をかけてくれた父は、今まで厳しかったのがうそのような言葉をぽろぽろとこぼした。

「国王陛下には、いったいどういう教育をしたら王太子殿下があのような場であんなあり得ない茶番を始めることができるのかと苦言をていして来た」

「それは……」

「もちろん、不敬にはならない程度にだ。しかし、いくらなんでもおろかすぎる。自分の婚約者なら何をしても良いと思っているのかもしれないが、お前にはじをかかせるということは、我が家に恥をかかせることになるというのもわかっていない」

 私の家であるエーデルワイス家は代々当主がさいしようを務める名家で、この国の貴族の中においては筆頭こうしやく家でもある。

 そんな我が家が、たとえ相手が王族といえど恥をかかされてだまっているというのは、ひるがえすとほかの貴族に対して同様のことが起こった時にすることができないということだ。

 王政というのは一見、王が強い権力を持ち、何もかも王の思い通りになると思われがちだが、その下にいる貴族たちをきちんと束ね、土台を支えてもらっているからこそ成り立つものなのだ。

 だから私はこれまで、あちこちで不興を買うアルベルト様の代わりにフォローをして立ち回り、しんらいを得ようとしてきたわけなのだが。

「オルテニアの皇帝陛下がお前を肯定してくださったのもいい後ろだてになった。他の貴族たちもおおむねお前に同情的な様子を見せていたしな」

「そうですか」

「国王陛下からは裏でこっそり、お前が思いとどまってくれるよう説得してほしいとたのまれたが。決めるのは娘であって私ではありませんとつっぱねておいた」

「お父様……」

 話を聞いているとだいぶ国王陛下とやりあっている様子がうかがえたが、だいじようだったのだろうかと思わず心配になった。

「まあ、こちらの話はどうでもいい。だいぶ長話をしてしまったがな。それで──、皇帝陛下はどのようなお方だったのだ」

 父の、その言葉が──。「お前をちゃんと幸せにしてくれるのか?」と案じているようにも聞こえて、私は少しだけ泣きたい気持ちになった。

「皇帝陛下は──、おうわさとはちがって、とてもおやさしい方でした」

 オルテニアの皇帝といえば。たったの三年できんりん諸国を制圧し、帝国の領土拡大を成しげたれいてつな皇帝として知られる人物だ。

 私も実際にあの場で話をするまで、にこりともしない皇帝の様子に噂にたがわぬ人物なのだろうと思っていたのだ。でも──、

「私の話をちゃんと聞いてくださり、おもんぱかってくれる方です。私は陛下を支えるべく、これからがんっていきたいと思います」

 それ以外にも、実はし作家だったというしようげきの事実もあったのだが。

 その点に関しては特に現時点で父に言う必要はないと思って口には出さずにおいた。

「……そうか」

 父は短く、それだけを口にすると、しばらくは言葉を発することなく黙り込んだ。

「……お前が幸せになることを願っているよ」

 ここから遠くはなれた場所で、ひとりで頑張らなければならない状況になるのは心配で仕方がないが。

 お前ならば──きっと大丈夫だろうと。

 そう言って、父が私のかたをポンとたたき、部屋を出て行った後。

 私はその夜、改めて自分が父から多くの愛情をもらっていたのだということを深く感じて、部屋で少しだけこっそり泣いた。

 私がまだ幼い頃に自らのはんりよくし、男手ひとつで私を育ててくれた父のためにも。

 立派なこうにならなければと、固い決意をいだいたのだった。

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地味令嬢、しごでき皇妃になる! 契約婚のはずなのに冷血皇帝に溺愛されています 遠都衣/角川ビーンズ文庫 @beans

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