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僕の茶房「燕」は三丁目の穴ぐらのような路地にあった。歓楽街を外れ、居酒屋と居酒屋の隙間に入り、二回曲がればようやく入り口が見えてくる。そんな調子だからひどく人目につき辛いし、看板だって、路地の入り口に剃り残した髭のようなちょろっとしたのが出ているだけだ。おかげで今にも潰れそうだったが、僕の人生に対する未練がべっとりとしがみつき、どうにか形を留めていた。
ある時、僕は気晴らしにSという遊冶郎とちょっと淫蕩な店へ行った。そこで会ったのが
マユミは僕の境遇を知るなり大変気の毒がって、身銭を切って出資してくれるようになった。それから二年経った今、僕は彼女を吸血鬼だと思っている。
この二年間というもの、僕が生活に困ることは無かった。が、反対に骨は飛び出て痛いほど痩せていった。元より人並みでなかった体重が余計に人並みでなくなってしまったわけだ。その原因はマユミ以外に無かった。
何故って、彼女が身銭を切ったその日からずっと、眠るたびに変な夢を見るからだ。夜、寝屋の片隅にぽつんと黒い臓物が現れ、僕の足首から上へ上へとせりあがる。それは胸板へ七ポイントの活字のように小さい穴と痣を二つ残し、飛び起きたあばらは少し痩せている。いくら体重が減ったか知れない。いつまで続くかだって知れない。こんなことは吸血鬼の仕業に違いなく、それはマユミで、具合が悪い。
夢の後、僕は階下へ降りて店を開けた。マユミは毎日欠かさずやって来る。今日もそろそろ来る頃だ。そら、来たぞ――彼女はコツコツ歩いて――店の一番奥、クロイツェルソナタの前に座った。僕は頼まれてもいないストレートを一杯出してやり、ただ黙っていた。絵画に囲まれたたった四席の空間、壁掛け時計が二時を打つまで、僕らは植物のようにそこにあるだけだった。
マユミは読書中だ。退屈な男――そう思われているのだろうな。僕だって初めの頃は退屈でなかったはずだが、今では退屈になってしまい、だからマユミは退屈でない男と遊びに行く。その退屈でない遊びから得た金が僕のところへ流れてくるわけだ――だがそれを使う僕は退屈で、マユミは血を吸い、また退屈してしまう。
そのうち、マユミはWCというところにちょっと寄らねばならなくなった。僕はその隙に、煙をプカプカ吐きながら考えてみた。
マユミはきっと吸血鬼だ。僕がグッと吸い込んだ煙を吐くみたいに、僕の血を吸った彼女は金を吐く。あの時、僕を食わせてくれると言ったのを確かに聞いた。それに僕は彼女を愛しているのだから、彼女が僕を愛していなくても祓うような真似はできやしない。ならみすみす血を分けてやるのか。それは嫌だ。一緒に死んでくれない女なんかのために僕の体を明け渡してやるなんて――
「あら、考え事でもしているの」
戻ってきたのかい、マユミ。そうだよ。君のこと――ひいてはこれからのことについて僕は考えているんだ。可哀想な吸血鬼さん。君をどうしてやろうかって、ずっと、ずっと――
「ちょっと、煙草が短くなって――指まで燃やすつもりなの?ねえ、目を覚ましなさいよ――覚ましなさいったら」
覚ましなさいったって、僕はとっくに目を覚ましているんだからしょうがないだろ――煙が濃くなってきたのかな――段々視界が悪くなって、僕はまんじりともできない。
違うんだよ、マユミ。僕はただ明日のことばかりを煩っているだけなんだ。
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