F
野紅 優
Fコードを押さえられたら 1話
自分だけの歌が本当の意味でこの人たちに響いたら、どんなにいいだろう、、
そんな理想を思い描きながら、今日のライブの最後の曲を演奏した。
1
「いやー、今日のライブも良かったな!やっぱ俺ら、まだまだこれからだって」
ベースの日野はいつもの底抜けにポジティブな労いの言葉をくれた。
ドラムの染谷は、煙草をふかしに喫煙所へと消えていった。
結城賢人、25歳男性。職業は普通の会社員。平日夜や土日に、タックスマンズという3ピースバンドで、作詞作曲とギターボーカルをしている。
名古屋のライブハウス「タイトロープ」で、今年3本目のライブを終えたところだった。
タックスマンズは、大学の軽音部所属中に結成したバンド。三人が共通で好きなビートルズの楽曲からとった。
バンドのジャンルとしては、ガレージロックに近いと思う。ビートルズはもちろんだが、自分がギター中心の荒削りな音楽ばかり聴いてきたので、どうしても創る時はそういった方向性になる。
大学を卒業してもバンドは続けようと決めていたので、二人に声をかけたら、ついてきてくれることになり、3年ほど活動している。
オリジナル曲は、これまで10曲ほど書いた。最近書いたものの中には日野との共作もあるが、基本的には自分が作詞作曲をしている。
レコーディングも、ちゃんとしたエンジニアさんに依頼し、3回ほど行った。3回合計で、6日間くらいスタジオに篭りっきりで、音源を作った。
「…でも、フロアは対バンしかいなかったな」と、バックステージでエフェクターをしまいながら返した。
「まあそれは…でもほら、今日は日曜だしさ。雨だし。ファンも、またやってくれるから今日はいいやくらいの心構えなんじゃない?」
「そうだといいけど…」
3年ほど、ほぼ毎週練習とライブを続けてきた。ライブは年に10〜11本くらい。
3人とも普通に会社員をやりながら活動しているので、フリーターバンドマンと比べたらお金に余裕はあるかもしれないが、時間の余裕は全然ない。
空き時間のほぼ全てを音楽に費やし、3年間走ってきたが、ついてきてくれるファンの数は、、ほぼゼロ。
売れないバンドがどうやって集客をしているかと言ったら、昔からのセオリーでは友人を呼ぶこと。自分たちもこの方法でなんとか繋いでいる。
なんとか、と言っても、到底ライブノルマを黒字にできる数ではない。
お客さんは、平均して2〜3人くらい。5人来れば、大喜びするレベル。
このくらいの集客だと、もちろん赤字になる。そうなると、その分のノルマはバンド持ちで、うちはそれを3等分している。
広報活動も、主に自分と日野が中心に、それなりに頑張っているつもりだった。
今や欠かせないYoutubeチャンネルに、撮影編集にたくさん時間をかけたMVを投稿したし、SNSもアカウントを作ってライブや音源情報の発信を欠かさずしてきた。
それだけやって、、身を削る思いで練習とライブをして、、ファンは0。
これで悲しくないという人がいたら、精神の保ち方を教えて欲しいくらいだ。
この先どうなるんだろう、、と一抹の不安を覚えながら、今日も終演後に受付に精算をしにいった。
「井口さん、お疲れ様です。今日も出させていただき、ありがとうございます」
眼鏡の短髪高身長のオーナーに、精算のお願いをした。
「ああ、結城くん、こちらこそいつもありがとね。でも今日は、なんか声量イマイチだった?笑」
「あぁ、まあ、、ここんとこ仕事が忙しくて疲れてて、、あと対バンのスワイプス?でしたっけ?あそこがめっちゃかっこよくて、、面食らったまま演奏してたのもあります」
「彼らはね、そりゃこの辺じゃファンも多いし、フロントマンがカリスマ性に満ち満ちてるっていうか、、あ、もちろん結城くんのバンドもいいと思ってるよ!」
最後の一言は、多分次回も出てもらうためのお世辞なんだろうなと勝手に落ち込みながら、今日のノルマ分を支払った。
「うん、ピッタリだね。赤字のうちはなかなかしんどいだろうけど、続ければ認知も広がるから、辞めないでね」
「はい、ありがとうございます。またよろしくお願いします」
今日はお客さんが0人だったこともあり、早く店を後にしたかったので、対バンに挨拶だけ済ませて、日野の運転する車に乗り込んだ。
「お疲れー。またいつも通り、対バンの音源聴こうぜ」と日野。
「今日もまた4曲目でメガネ飛んだわ。そろそろコンタクトかレーシックにしよかな。裸眼の賢人は羨ましいわ」と染谷。
「ありがとう。取り合えず頭のバンドのサブスクはさっき見つけた。多分これ、、」
Apple Musicを日野の車のBluetoothに繋いで、宅録っぽいローファイ気味の音源が流れる。
「あー、これ1曲目のやつかな。音作りは面白いよな。」日野がハンドルを指で叩きながら、ベースを弾く時みたいにリズムを刻む。
「宅録ってむずそうだけど、なんでも家で作れちゃうんだよな。俺らも導入ありちゃう?」と、染谷が湿気を逃すために少し窓を開ける。
「そうやなあ、、音源作るたびにエンジニアさんに頼むのも金かかるし、それで売れんかったら悲しいしなあ」日野が、自分の意見を代弁してくれた。
宅録。DTM。用語だけは聞いたことがある。歌、楽器隊を全て家で撮って、ミックスも自分でする。すごい人は映像も自分で作る。
日本でもこういうクリエイターは増えてきている。Youtubeもそうだが、Tiktokで高校生が作曲の様子を撮影して編集したものがバズったりしていた。海外だと、ビリー・アイリッシュとかがそれにあたるのだろうか。自分たちより遥かに若いけど、兄妹で自宅の部屋で音楽を作っていると、雑誌に書いてあった。
染谷の言う通り、とても難しそうだ。エンジニアさんがミックスの時にDAWという曲を作るソフトで、波形をいじったりエフェクトをかけたりしているのは見たが、仕組みは全くわからなかった。
「そうだなー。こないだのMV作った時にMacBook買ったから、今度調べてみるわ」と、そっけなく返事しておいた。
3人が一番集まりやすいいつもの駅で降ろしてもらい、ギリギリ終電が間に合う時間に改札に駆け込んだ。
帰ったら機材は玄関に置いとけばいいけど、、明日月曜日だし、とりあえず早く寝よう。
バンド活動と同じく、もう3年ほど社会人生活も続けているが、いまだに早起きは慣れない。平日に6時過ぎに起きて会社行って18時まで働くって、、思ったよりきつい。
でもその生活を続けてたら、もし音楽で人気者にはなれなくても、とりあえず世間体を保つことはできる。
ギターを背負って、長いエフェクターボードを片手に持つので、今日のような雨の日は帰路が憂鬱だ。
幸い自宅は最寄りから5分のところにあるので、足早に歩いて帰宅した。
10畳のワンルーム。築10年くらい。
東京や都心ではないので、家賃も安くて、一人暮らしにしては余裕のある部屋に住まわせてもらっている。
家での練習も、よほど深夜に大音量でしない限りは、苦情は来ない。
機材を玄関に置いて、とりあえず濡れたシャツを脱いで浴室に駆け込み、シャワーを浴びた。
また明日から平日かあ、、嫌だなあ。でももしかしたらバンドで何か変わるかもしれないし。それまでは頑張ろう。
最近短くした髪はすぐ乾くので嬉しい。
充電ケーブルを携帯に挿して、6:15にアラームをセットして、電気を消した。
2
「結城くん、これコピー5部お願い。あと、さっきメールで新規問い合わせの転送したから、目通しといてね」
「わかりました。コピーとメール確認終わったら、また課長に報告します」
新卒就活で30社ほど受けて、唯一内定が出た地方の中小企業の正社員として、平日日中は働いている。
部署では、自分含め10人が営業として働いている。部長、課長、係長と3名の管理職がいて、自分の担当エリアは課長にサポートしてもらいながら仕事している。
給料も職場環境も、お世辞にも最高とは言えない。
残業をそこそこすれば普通の新卒くらいの給料はもらえるが、しない月の給料は寂しいことになる。
オフィスも、もう30年くらいはアップデートされていない感じがした。平成初期風のデスクとチェアに、角が尖った灰色の金属の引き出し。小学校の頃の職員室の先生の机ってこんな感じだったなと思った。
人は、、いい人もいれば、そうでない人もいる。
課長は、やはり管理職だけあって、サポートはしっかりしてくれる。でももちろん他にも部下を抱えているので、自分の5倍くらいは忙しそうだ。
先輩の中には、よくこれで営業できているな、、と思う人もちらほらいる。
日報は書かない、ミスは他人のせい、後輩の手伝いはもちろんしない。
出世できるかはおいといて、この人みたいにはならないようにしようと思いながら日々仕事をしている。
今日は金曜日。平日に働く世の社会人全員が待ち望んでいる曜日。
課長からの依頼案件以外、緊急の仕事はないので、定時10分前に日報をささっと書いて、メールで課長に提出した。
チャイムが鳴ると同時にカバンを取り出し、「では、お先に失礼します」と部長と課長が座るデスクの方面に挨拶をし、オフィスを後にした。
さて、今日はどのお酒を買おう。先週生ビール買ったし、その前はハイボール。
久々に、日本酒とかどうだろう。もちろんカップ酒だが。
金曜日は高確率で、帰宅前にコンビニに寄り道して、酒とつまみを買う。
音楽を作るという少し変わった活動はしているものの、こういうところは普通の会社員なんだなあと、大人になった自分を少し残念に思いつつ、コンビニを後にした。
アパートの階段を登ると、ロングヘアの女性が缶ビールを片手に、自宅のドアの前で手を振っているのが見えた。
「おーい!賢人、お疲れ!今日も蒸し暑かったねぇ」
「菜々、、仕事終わり?」
「うん、ちょい残業あったけどね。上司がまた機嫌悪くて最悪だった。上がっていい?」
「まぁ、、いいけど」
斎藤菜々。大学で出会った同い年で、付き合いとしてはもう8年くらいになる。
彼女とは2回交際して、2回破局している。
彼女の方は、割と最初から自分の外見ではなく中身を見てくれている感じはした。
1回目は彼女から猛アプローチがあり、押しに負けて付き合ったが、なんだかんだ3年続いた。
大学を出るときに、大喧嘩をして別れた。
誰よりも気配りができる彼女が、自分のややブラック気味な新社会人生活を心配していたのに対し、そのまま入社を決めたため、真夜中の公園で大泣きしながら口論した。
2回目は逆に自分からだった。単純にバンドだけする社会人生活に寂しさを覚えたのと、あの時優しくしてくれた菜々の顔が忘れられなかったからだった。
2回目の交際は長く続かなかった。1年もしないうちに、自然消滅した。
なので、今日の再会には驚いた。
「バンドの調子はどう?こないだのは行けなくてごめんね。X見たけど、友達と遅くまで飲んでて、、」
「全然いいよ。お客さんはいなかったけど、、まあそれも含めていつも通りって感じ。そっちは最近仕事とかどう?」
「いやあ、なかなか大変だよ。ここんとこ後輩の指導で手一杯で自分の仕事全然できなくて。同期も寿退社して人も減ったし…って、辛気臭い話しにきたわけじゃないから!とりあえず乾杯しよう」
玄関に先に通し、機材を放置したまま掃除していないことを後悔した。
「お邪魔しまーす。このギターケースまだ使ってるんだ。賢人、物持ち良いもんね」
「そうかなあ。シールドとかピックとか割とすぐにダメにするけど」
「その類はライブするなら激しい消耗品じゃん。カバンとか、入れ物を大事にする人、尊敬する」
「ありがとう。菜々も、そのブラウンのローファーずっと履いてるじゃん。大学の時から」
「あはは。これは特別お気に入りだからね。なかなか手放せないよ」
それは、自分が選んだわけではないが、「深めのブラウンが好き」とふと口にした次の日のデートで履いてきたものだった。
そのローファーは、今日のクリーム色のパンツスーツのいい差し色として機能していて、可愛らしく感じた。
自分もシューズを脱いで、リビングに通す。
「では、、祝日がなくてどんよりした6月の金曜日に、乾杯!」
乾杯、と、さっき二百円で買ったワンカップに、菜々が持ってきた生ビールの缶がコツンとぶつかる。
二人ともお酒は好きな方だが、結構弱い。特に菜々は弱いのによく飲む。
なので、今日は缶ビール1本で終わりそうなのが嬉しくもあり、どこか寂しくもあった。
「…それでさぁ、私久々にあのバンドのアカウント覗いたら新譜上がっててさ。とりあえず聴いたの。そしたらなんか、、あの時と違ってさ。尖ってた頃の曲が好きだったのになあ」
「なるほど、、ちょっと俺も今開いてみるわ」
「えっ!PC買ったの!?これ、、高いんじゃないの?」
「まあそこそこしたけど、こないだボーナス出たからさ。ネットサーフィンしたいのもあるけど、MVとか、これがあれば作れるって聞いたから」
「へぇー。相変わらず趣味にとことん注ぎ込むのはいいけど、食費削ったりはするなよ?」
「そこまではしないって。…これ?」
「そうそう!ジャケは結構いいじゃん。だから期待値結構上げてったんだけど中身はうーん、て感じ」
確かに、アートワークは自分が知る頃よりおしゃれだし、フィーチャリングも結構豪華だ。
とりあえず、菜々が聴いたといった2曲を、二人で聴いた。
「…どう?私は音楽を作る人間じゃないからあんまり詳しくは言えないんだけど、感じるものとかある?」
「そうだね、、確かに、音色とかギターのフレーズとか、5年前と全然違うね。ボーカルは相変わらず上手いけど、前みたいにすごくかっこいいロックを追求するっていうよりは、ライトな音楽ファン層を取り込もうとしてる感があるかな」
「音楽作れる人ってやっぱり、曲の聴き方も違うねぇ。1〜2曲聴いただけでそんなバンドの意図まで、私はわからないよ」
「どうなんだろうね。多分作る人の全員がそうってわけじゃないと思うよ。対バンの人たちも、相手の曲を分析する人もいるけどただ楽しむために聴いてるって人もいるし。聴き方は人それぞれでいいんじゃないかな」
「…自分以外を否定しないところも、変わらないね」
「それは、、今でもそうなのかな。最近こうやって人と飲んだりしてなかったから、久々に言われた」
実際、菜々の発言は的を射ていた。
初めて会う前からずっと、どこかで自分を否定していないと気が済まないタイプだった。
「そういう菜々はどうなの?人に気遣ってばっかで、疲れたりしないの?」
酔いが回って、いらないことを言ってしまった。
「そりゃあ疲れる時もあるよ。でも誰にでも気を遣ってるわけじゃないから。私が気を遣うのは、そうしたいと思う人に対してだけ。だから、その結果疲れても、それはその人のせいじゃないよ」
自分と違って、菜々は何倍も大人だ。なんなら、職場の無責任なアラフォーのおじさんよりよっぽど大人だ。
「聞いて!実は私も最近まあまあ高い買い物して、、じゃん!」
13インチのiPad Proがカバンから出てきた。サイドに、Apple Pencilもついている。
「これ、、こないだ出た新しいやつじゃん。どうしたの?」
「実は、、漫画描こうと思って買ったんだ。昔好きな漫画が映画化されて一緒に見に行ったの、覚えてる?」
「あぁ、あのコメディ漫画でしょ、覚えてるよ」
「働き出してからも音楽はずっと聴いてきたんだけど、私は賢人みたいに楽器は弾けないし、歌も歌えなけど、何かを0から創ることをしたくて、それで思い切った感じ」
意外だった。菜々は確かに音楽や漫画やアニメなど、サブカルのインプットに熱心なのは知っていた。今度はアウトプット側に回る決心をした菜々を素直に応援すればいいのに、さらに要らないことを口にした。
「ふぅん。いいんじゃない?でも漫画作るのってめっちゃ大変じゃん。それも一人で。果たして続けられるんだか」
「何それ、、応援くらいしてくれたっていいじゃん」
「応援しないとは言ってないじゃん。継続できるの?って聞いてるだけ」
菜々の目が、段々と赤くなっていった。
「そういうところも、ほんっとうに変わってないよね!自分に厳しいのはまだいいよ。でも、他人…仲のいい友達にそこまで厳しくする必要がどこにあるの?」
まずい展開になったと思ったが、時すでに遅しだった。
「何かを生み出す側の人間なら、それ相応の覚悟と自信を持って何年も何十年も続けてようやく花開くものじゃん。音楽だってそうだし」
「私はそんな、、それで大成功しようとか大金持ちになろうとかなんて思ってない!もちろんそうなったら嬉しいんだろうけど、、Xとか漫画サイトにアップするくらいいいじゃん!」
「趣味の範疇ならそれでいいかもね。どれだけの人の心が動くのかは知らないけど」
「ちょっと楽器ができて曲作れるからって先輩ヅラすんな!お客さんいないくせに!」
二人とも酔っていると分かっていても、そう言われたら流石にイラっときた。
「もう、今日は帰ってくれよ」
「馬鹿!久々に顔見にきただけなのに、、最低」
真っ赤な目をこすりながら廊下に飛び出し、おぼつかない足取りでローファーを履こうとする。
「おい、踵潰れちゃうって、、」
「黙れ!これだって仕事道具にするって言って買ったギターなんだから、もうちょい丁寧に扱え!」
小雨の中、傘もささずに菜々は出ていった。
早足で階段を降りる音が聞こえる。
また、やってしまった。
付き合っている時も、友達として仲良くしていた時も、主に自分の否定的な言動が原因で、よく喧嘩した。
思えば菜々は、創作をしている自分のことを決して否定しなかった。いつも褒めてくれていた。
観客が菜々だけのライブの時もあった。メンバーですらイマイチだったと振り返った演奏でも、「あのセッションよかったなー!」と後でLINEをくれた。
久々に会えて嬉しかったはずなのに、、そんなふうに向き合ってくれた人に、どうして要らないことを言ってしまったんだろう。
きっと、最近自分の活動がうまくいっていないのに対し、身近な人が新たな創作を始めようとする知らせに、焦りと不安を覚えたからだ。
まだ菜々の手の温もりが少し感じられる缶ビールと自分のワンカップをシンクですすいで、ビンとカンの袋に詰めた。
その日は、あまり眠れなかった。
3
7月上旬。もう夏も真っ盛りだった。
集合場所の駅では、夏になると噴水エリアへの立ち入りが許可され、主に子どもたちが水浴びを楽しんでいる。
そんな無邪気な姿を見ながら、日野の車を待っていた。
15時集合って昨日確認入れといたのに、15分くらい経っても全然現れない。
基本的に日野は運転中は電話に出ないけど、灼熱の駅で機材を持って放置させられると、会社のオンボロで空調のない工場を思い出すので、早く来て欲しかった。
30分経っても来ない。流石に電話した。
「あーゴメンゴメン!今向かってるから!あと5分くらいで着くからいつものとこで待っててー」
結局日野と染谷が乗った車が現れたのは、15時45分。
「あのさ、、運転中連絡取れないのは仕方ないけど、遅れるって分かったならその時点でどっかで止めるなりして連絡してよ」
「ごめんってば。家出る時携帯のマップで見たらもうちょい早く着くって書いてあったんだけどなー。あとガソリン切れちゃってて。入れてたら遅くなったわ」
メンバーの機材を載せて運転してくれているのは日野なので強くは言えないが、時間にルーズなのは本当になんとかしてほしい。
「まあまあ。とりあえずスタジオの時間に間に合えば結果オーライやん。時間何時だっけ?」と染谷。
練習時間の管理をしているのも自分だった。もちろん事前に共有はしている。
「今日は16時半から19時。あそこ遠いから普通に間に合わんって、、とりあえず遅れるって電話するわ」
うんざりしながら、いつもの番号に電話をかける。
「あ、すみません。今日16時半から予約の結城です。少し道が混んでいて、、ぴったりに伺うのが難しそうです。申し訳ありません」
「あぁーいいよー。今日はたまたま後ろに他のバンドいないからずらせるけど、つっかえてたらその分損しちゃうからねー、気をつけてね」
「はい、はい、、すみません。また後でよろしくお願いします」
日野が流石に申し訳なさを感じたのか、いつもより運転速度が速く感じた。
結局スタジオに着いたのは17時。30分遅刻した。
「はい、いつものマイク2本とACタップね。コントロールルームにいるから時間になったら声かけてー」
気さくな店長が対応してくれた。ここで自分たちの新曲をレコーディングしたので、それ以来何回か来ている。
「…それでさ、先々週賢人が作ったデモだけど、メロをこうしたほうがいいんじゃないかって思って録音したから聴いてくれ」
日野がiPhoneのボイスメモで、鼻歌のメロディーを流した。
「んで、メロがこうなるじゃん?そしたら賢人はABメロをこれで歌って、サビはどうしようかな、、まだ考え中」
「デモに1コーラス分のメロも入れたし、楽器構成も伝えたじゃん。あのアイデアは?」
「あれね。サビまで聴いたけどさぁ。なんかダサいっつうか、稚拙っていうか。ありきたりすぎない?」
「そこまでいうなら、いいサビメロのアイデアあるの?」
「いや、今はないけど。それは合わせながら考えようぜ」
タックスマンズでは、最近は日野と二人で曲を作ることが多い。
厳密には、自分のアイデアに少しずつ日野のアイデアを足して行った作品が増えてきた。
「ほら、お前の曲ってギターとメロはかっこいいけど、何か活かしきれてない気がするんだよな。もうちょい俺にも曲作りさせてよ」と言われたのが始まり。
日野の持ってくるアイデアは、良く言えば斬新。悪く言えば前衛的。
確かに、どの対バンでも真似できないようなアイデアは日野からどんどん出てくる。
でも、、ここ最近は特に、自分の作品が魔改造されている気がしてならない。
1つ前の曲なんかは、採用された自分のアイデアといったらギターソロくらいで、あとの構成はほぼほぼ日野のアイデアだった。
日野は結構満足気に、その曲を演奏している。でも自分は、、なんだか腑に落ちない気分だ。
今日の曲も、なんとなくそうなりそうな気がした。
「…やっぱりサビは、元のデモのままで行かない?わかりやすいのがいいよ」
「いやぁ、あれはちょっとダサいって。なあ染谷?」
「え?あぁ、メロのことはあんまわからんけど、その通りかもな」
なんだよそれ、、じゃあ「ダサくない」フレーズを今すぐにでも聴かせてくれよ。
染谷は、曲作りに関してはほとんど関与していない。自分や日野がこう叩いてと頼んだフレーズを叩く。
無駄がないプレイと言えるかもしれないが、遊び心もないと思う。
何より、作曲陣に比べると練習への熱量が違う。
今日の日野のように大遅刻はしないものの、練習中特段意見するわけでもなく、暇さえあればスネアに携帯を乗せてインスタを見るかタバコを吸いに行くかしている。
そんな、モチベーションや方向性が色々とずれ始めてきた時期だった。
休憩時間になり、日野と染谷がおすすめのタバコの銘柄を話しているところに割って入った。
「あのさ。今の曲、最初に送ったデモの構成とメロで進めたい。俺的には、それが一番演奏しやすい」
「うーん、あのままかぁ。どうしてもって言うならいいけど…俺はやっぱりもう一工夫欲しいかな」
「日野がひと工夫欲しいって言いだしてからもう2週間経ってるし、浮かんだのってさっき聴いた鼻歌のやつだけでしょ?あれ正直、イマイチなんだよね」
「いやいや、絶対あっちのメロの方がいいって!歌い出しなんだから特にわかりやすくないと。あとサビもちょっとなあ」
「…日野が今日中にサビメロのアイデアが湧かなかったら、最初の案で歌わせてくれ」
その後も1時間ほど合わせたりしたが、進展はなかった。
「お疲れー。今日も進んだなぁ。これは来月のライブで受けるやろー」日野がシールドを8の字巻きしながら楽しみそうに言った。
「それより今日帰りに飯行かん?こないだ会社の近くでラーメン屋見つけたんだけどスープが超濃厚で、、」と染谷。
「…全然進んでないやろ。呑気すぎるわ、二人とも」
「えっ?」二人同時に振り向く。
「デモ共有して2週間経って、まだサビ前までもろくに固まってない曲制作のどこが進んでんだよ。むしろ後退してるわ」
冷房のせいではないひんやりとした空気が流れる。
「お前のデモをブラッシュアップしてる最中じゃん。後退はしてないやろ、少なくとも」
「じゃあ、退化って言った方がいい?サビまでできてるのにわざわざバラしてまた組み直して、、メロも結局何にも生まれなかった」
「…あのさ、確かに賢人が毎回デモとか歌詞とか考えてきてくれるのはありがたいよ。でも俺らはワンマンバンドじゃないんだからさ。作品作りはみんなでやらなきゃ」
日野の言葉に嘘はないし、その気持ちは持っているはずなのに、今日の大遅刻のこともあり、素直に引き下がれなかった。
「みんなって、ほぼほぼ俺と日野じゃん。染谷からフレーズ案が来たことなんてない。最近の曲だって、デモなんて形だけで、構成はお前のやりたい放題の曲ばっかなの、気づいてない?」
「そりゃあ、デモがイマイチだったらそうなるやろ」珍しく日野が怒っていた。
「そしたら、次はデモから何から全部日野が作ればいいよ。そしたらイマイチじゃなくなるんだろ?」
「いやデモは、、お前の使ってるソフトのことなんて知らんし。それは無理」
「…んで、染谷は?新曲についてどう考えてるの?」
作曲の話になるといつも口をつぐむ彼にも、いつもイライラしていた。
「うーん、作曲のことは良くわからんし、俺はとりあえず出てきたフレーズを叩くことだけできればいいかなって」
袋小路とは、多分こう言う状況のことを言うのだろう。
「もういい。来月のライブは、この曲入れるのやめよう。初期の曲とかカバーとかで固める感じで」どうせ完成しない曲を作っても時間の無駄だと思い、そう提案した。
「まあフロントマンがそう言うならいいけど、、あの曲、素材はいいと思うんだけどなあ」
結局日野が、あの曲を魔改造したいのか維持したいのか、意図が読めなかった。
「んで、スタジオ代いくらだって?」と染谷。
「いつも通りなら4000円くらいだけど遅刻したからわかんない。聞いてくる」
部屋を出て、iqosの匂いが漂うコントロールルームに入った。
「おつかれー。なんか揉めてた?笑」
そういえば、このスタジオはコントロールルームから全ての部屋の映像が撮られてるんだった。
「あー、、はい、ちょっと曲の作り方で色々と」
「あるあるだねぇ。あのバンドは、結城くんが曲作ってるんだっけ?」
「はい。でも最近のはそうでもなくて、日野と二人で作ったりするんですけど、なんかしっくりこなくて、、」
「なるほどねぇ。結城くんは役割としては、コンポーザー兼フロントマンだよね。それって重圧がすごいポジションだけど、同時に自分の世界を解放できる位置でもある。その位置にいる人が気持ちよく音を鳴らせない状態は、やっぱりよくないよねぇ」
コーヒーを啜りながら言われたその言葉は、かなりグサっときた。
「そうですよね、、でも、シンガーソングライターみたいに、一人で全部できる自信もなくて、、店長さんのその画面に写っているのが、DAWっていうんですか?」
「そうだよー。これはPro Toolsっていうソフト。結城くんたちの曲はもちろん、ここで制作された曲は全部このソフトでレコーディングからマスタリングまで処理してる」
画面の構成が、自分がデモを作るアプリと少し似たものを感じるが、やっていることは全然わからない。カラフルな波?みたいなものが何行も並んでいる。
「これで、、たとえばオリジナル曲を作る人も、いるんですか?」
「そりゃあいっぱいいるよ。これと違うソフトだけど、LogicとかCubaseとかは、一人で音楽を作る人は結構な割合で持ってるよ。Cubaseはちょっと高いけどねー」
「はぁ、、難しそうですけど、でも少し面白そうです。あっ、忘れてた。今日のスタジオ代はいくらですか?」
「2時間半の予約だから4500円だねー。集金したらまた来て。二人にもよろしくねー」
「はい。またすぐに戻ります」と足早に後にした。
「今日は4500円だって。いつもなら3等分するけど、、日野、今日結構大幅に遅刻したし少し多めに出せない?」となんとなく言った。
「いやいやいや、普通に3等分で良いじゃん。毎回運転してるしなんなら俺少なめでもよくね?」と、痛いところをつかれた。
「…1500円な?はい、ちょうど。また喫煙所にいるわ」
染谷はこういうギスギスした場面からはいつもスッと立ち去る。
もう、潮時かもな、、
「…ん?賢人?」
「はいこれ、1500円。今日はお前が精算しといて。飯もいい。今日は電車で帰る」日野に1000円札と500円玉を押し付けた。
「電車ってお前、、その荷物で最寄りまで歩くの?駅までなら送るけど、、」
「きつかったらタクシーでも捕まえるわ。お疲れ」
重い扉を力任せに開けて、蒸し暑い外に出た。
「あれ?もう精算終わったん?日野は?」染谷が煙を吹かしながら驚いていた。
「日野に精算任せた。俺は電車で帰る。飯は二人で行ったらいいよ。お疲れ」
ギターをエフェクターで合計15キロほど荷物があるのに歩こうとする自分を染谷は止めようとしたが、振り切ってスタジオの角を曲がった。
19時とはいえ、夏の夜は非常に蒸し暑かった。
大きな荷物を抱えているので、引越し業者かと思うくらい汗をかいた。エフェクターが重すぎて、5分おきに持ち手を変えないと持たなかった。
駅までだけでも、日野に送って貰えばよかったかなあ。
でも、もう、いいや。
スタジオまで日野の車以外の方法で来たことがなかったので、電車の本数や時間を全く知らなかった。
なんとか駅のベンチに着いて、携帯の乗り換えアプリを起動し、最寄りまでの時間を検索する。
1時間もかかるのか、、高いし。
30分後に、ローカル線っぽい赤い電車が到着して、機材を引きずって乗車した。
あぁ、そういえば大学の頃はこうやって移動してたな。
今よりギターもエフェクターも重いものを使っていたのに、今日の方がずっと重く感じた。
汗だくで帰宅し、いつものように玄関に機材を置いて、バスルームに。
10分ほどシャワーを浴びながらこのあと打つLINEの文章を考えていたが、まとまったものは思ったよりシンプルになった。
5分で髪を乾かし、残量20%の携帯を開き、タックスマンズのグループLINEを開く。
「今日で、このバンドから抜けます。タックスマンズとしての活動を、終了したいです」
文章だけ打って、10秒くらい、指が止まった。
もう、懲り懲りなんだ。
シュポッ、っと送信音が鳴り、ホーム画面に戻り、電源を切った。
3年間全力で打ち込んだ活動に終止符を打って、アラームを6:15にセットして寝た。
F 野紅 優 @nobeniyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Fの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます