どうせ死ぬんだったら

ポンコツ二世

どうせ死ぬんだったら

 兵士を乗せた小型ボートは、まるでリバイアサンの背中のように荒れ狂う波の上に乗っていた。俺の乗っていたボートには十人の兵士が乗っている。それが俺が見当たす限りじゃ、十隻、十五隻…。とにかく大群だ。鳥の群れが南の国を目指すように、このヒトの大群にも目的地がある。ノルマンディーとその先にある第三帝国の帝都・ベルリン。ヒトラーの寝床がある場所。

 俺の乗っているボートは静かだ。荒波の音もボートの中では沈黙しているよう。時だけが止まらず前進を続けている。かすかにだが、祈りの声が聞こえてくる。きっと、新兵だ。熟練の兵士はそんなことはしない。彼らは祈りなんて敵の機銃掃射で破られることぐらい知っている。神は無力だ。聖書のようにイナゴの大軍を読んだり、神なるを引き起こすことなんてできない。ただ見るだけなんだ。


 やがて陸地が見えてくる。かつてのノルマンディー人たちはここに王国をたてた。だが、今はただ死の気配だけがそこを占領している。その支配者はただ口を開けて、獲物が来るのを待っている。 

 

 突然、小さな爆発音があちらこちらから聞こえた。ドイツ軍の攻撃だ。何人かが同時に血しぶきを上げた。そして静かに倒れる。俺は身をかがめ、ボートに防いでもらおうとするが無駄だった。なんと、ボートの真正面が開いたのだ‼軍の交換どもは俺たちを突撃させやすいように真正面に出口を作りやがったんだ‼本当の敵は、ナチじゃなくてワシントンの連中だったのさ。おかげで兵士たちはドイツの死神どもの格好の餌食になってしまった。俺は横に滑り込んで海の中に落ちた。本能からくる行動だった。ほかの兵士もそうした。

 だが、海の中も銃弾という怪物が追ってきた。この小さな怪物は海におぼれた兵士たちを最も醜い姿に変えた。血とともに内臓が飛び出す。海の色をまるで人体の血管と同じ色に変える。しかし、俺はそんな光景を気にしない。気にしないというよりは自分のことで精いっぱいだった。多分、ほかの兵士もそうだろう。訓練場で教えられた軍の連帯や規律なんて戦場の前じゃ何の役にも立たない。


 俺は何とか陸に上がり、砂浜に置かれた障害物に身を隠した。海は真っ赤で、かつて人の形であった死体が浮かんでいる。悲鳴、怒鳴り声、鳴き声…。俺は目をつぶる。怖い、怖い、怖い。何も考えたくないのに、脳裏では今まで経験したどうでもいい出来事が浮かんでくる。隣家の畑で野菜を盗んだ記憶、小学校で女子にいたずらをした記憶、初めての恋…。どれもこれも忘れ去られた記憶だった。

 

 するとこんな声が暗闇から聞こえた。戦場で響き渡る威圧的だが、どこか優しい声だった。


   「お前ら何をビクビクしているんだ‼どうせ死ぬんだったらナチの一匹か二匹殺してからにしろ‼」


 その言葉を聞いた瞬間、俺を今まで縛り付けていた恐怖や怯えの鎖がほどけ始めるのが分かった。俺は勇気づけられ、勇敢なる兵士になろうと、障害物からナチのトーチカがある場所まで全速力では走った。前からも横からも、おそらく後ろからも兵士たちはなぎ倒されていく。だが、俺は走り続けた。何発かが俺の何センチぐらいずれたところまで飛んできていた。

 

 俺はトーチカの死角の場所までたどり着いた。ほかの兵士たちも、おそらくは五人がたどり着いた。俺とその約五人の部隊はトーチカの背後に回り込んで機関銃でドイツ兵たちを撃ち殺した。

 俺たちは歓声を上げた。大手柄だ。将軍たちから勲章がもらえる自分の姿を想像した。

 

 その瞬間、視界が真っ暗になった。何の痛みもなく突然真っ暗になった。そのあとの記憶を俺は覚えていない。


 

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