一乗寺下がり松の決闘・その後

石束

布団とダンスと天下無双

 今日は、朝からお日様が出たので、外で大きな方の掻巻(かいまき 袖付きの綿入れ。掛けて寝るタイプ寝具、後世の掛布団の原型)を干しました。

 綿がぎゅっと詰まっていいて、とても重かったけれど、半日も干せば、ほかほかになるはずだから。

 あの人はケガをしていて、足が悪いから、ゆっくり寝かせてあげたい。

「……」

 せんせい、喜んでくれるかな。


◇◆◇


 その子供を見かけたのは、痛む足を引きずってどうにか「ねぐら」にたどり着いた時だった。

 集落から少し離れた人気のない草原で一人でいたその子は、鞘に入った見すぼらしい刀を持っていて、それを右手で頭上に掲げていた。

 ――否。掲げようとして、ふらついていた。


 最初は野伏(のぶせり)か、と警戒したのだ。

 連中は、負け戦の落ち武者を襲って止めを刺し、あるいは行き倒れたものから、刀、やり、金品に服まで、洗いざらいはぎとる。本来は絶対的な強者である武士が何らかの事情で弱ったところを狙って行う物取りだから、スキを見抜く目があれば、力の多寡は関係ない。

 むしろスキを見抜く目端こそが、肝要だった。だから、子供の野伏もべつに不思議でもない。


 だが、その子供は少し違っていた。刀を、それもどう考えても細い腕と小さな体ではどうしようもない太刀を、高く掲げる事を繰り返し、繰り返し、……果たせず、よろめいて転んでいた。

 いつからやっていたのかもわからない。体中、傷だらけだった。

 それでも、なお止めない。ただ無心に、おおよそ出来るはずもない無駄な行為を繰り返している。

 ……しばらく、その姿を見ていて、得心した。

「ややこ踊りの稽古か」

 十年ほども前、出雲阿国が三条河原で踊って評判をとり、その後、京で大いに流行った、あの踊りだ。刀を持つのは女の子が男の子のふりをして踊るからで、あの娘もその類(たぐい)と見える。

 ただ、今の流行は子供ではなく、大人の女が男の扮装をして踊るので、昔ほどには流行っていない。

 それにしても。

 稽古とは人にその道を指導されてこそ、身につくものだ。ヘタな指導を受ければヘタになる。この世で一番のヘタが誰かといえば、それはもう、何も知らずに自己流の稽古をしている自分自身だから、師を持たずに稽古をすることはヘタにしかなりえない。

 そのことは、誰にも教わらずにただ山の中で木剣を振るしかなかった自分自身が、誰よりわかっている。


◇◆◇

 

 ――舞台で見た、他の子供みたいに、うまくできない。


 何回目か、わからないくらいに転んで、転んで、転んだ。それでも何とか立ち上がる。でも、刀が重くてまたふらつく。

 でも、できる様にならないとごはんを食べさせてもらえない。通しで踊れるようにならないと、今晩は家にも入れてもらえない。

 どうしよう……どうしよう。

 そんな言葉ばかりが、頭の中をぐるぐる回る。へたりこみそうになりながら、それでも、もう一度――


「……おい。おまえ、名は何という?」


 ふと、気が付くと、目の前に背の高い男の人が立っていた。おどろいて、体が硬直した。見上げるような大男だった。髪はぼさぼさで、来ている衣もぼろクズ同然。怖い、怖いけれど、一日稽古していて、体が疲れきっていて、その場から動けない。

 そんな風に、言葉を発することも出来ずに固まっていると。

 どすん、とその男が地面に腰を下ろした。あわせて、何やら白いものを脇に置く。

「名前は、なんという?」

 伸び放題の髪の隙間から男の目がのぞいていた。丁度こちらの目と同じ高さ。

「い、いおり……」

「そうか、いおりさんか」

 さん? 「さん」付けなんて生まれて初めてされた。

 男はばさりと、白くて重そうなもの――立派な掻巻をその場に広げた。

「まず、その上に立って」

 もう、何が何だかわからないまま、言われた場所に立つ。

「背筋をまっすぐ、足はこの位置、腕はこの角度……」

 男は座ったまま、いおりの姿勢を整える。出来るだけいおりの傍から離れ、辛うじて手が届く場所から、そっと手を当てる。

 そして「よし」と言って、いおりから離れた。


 ――え?

 いおりは驚いた。今まで、満足に持ち上げることも出来なかった太刀が、まるで重さがなくなったかのように、頭より高い位置に掲げられている。

「軽いだろう? 人の体には『芯』がある。その芯の上に正しく乗せれば、重いものを持ち上げることができる」

 だけど、それは一瞬。太刀の先がホンの少しずれただけで、いおりは背中から後方へ倒れた。

 ぽすん。と、柔らかい感触が彼女を受け止める。草原に敷かれた掻巻だ。

「固い場所でも体の使いようで痛くない転び方ができる。だが、それには稽古がいる。ちゃんと上手に転べるようになるまでは、柔らかい場所でやった方がよい」

 いおりは、すぐに立ち上がった。

 もう一回確かめたかった。自分はちゃんと太刀を頭の上に掲げられたのかを、確かめておかないではいられなかった。

 だけど、現実は非情だ。すぐにふらついて、また掻巻の上に転がる。

「もう一度やるぞ。――背筋をのばして、足の位置はこうで、腕はこう。顔を上げなさい。俺の目をみて、もういちど」


 繰り返し、繰り返し――繰り返し。

 男の指導は、続く。ただ、少しずつ、姿勢を整えるのが言葉だけになり、やがて言葉も少なくなっていく。いおりは、静かに集中していった。

 

◇◆◇


「通しで全部踊れないと家に入れてもらえない」

と、娘――いおりさんから聞いたのは、不覚にも日が暮れようという頃合いだった。梅の花にも早いこの時期だ。野宿は辛かろうと、身をひそめている「ねぐら」に連れ帰った。

 薄いかゆをつくり、釣った魚を焼くと、それはもう目を輝かせてむさぼるように食べる。そして、そのまま、寝てしまった。

 無理もない。おそらくは今日だけではなく毎日、来る日も来る日もあそこで踊りの稽古をやっていたのだ。満足に食べることもできないまま。

「……」

 筵(むしろ)の上に丸く体を縮めて眠る娘の上に、稽古に使ったのとは別の一回り小さな掻巻を被せると、ぐっと体を伸ばして寝返りをうった。

 青白かった頬にようやく血が通って、赤みが差してきた。

「……」

 さて、どうしたものか。


◇◆◇


 翌朝。

「へ? わたしが、お侍さんに、踊りを教えるんですか?」

 大地に腰を下ろした大男は、口をへの字に曲げたまま、こくりと頷いた。

「俺は踊りは素人だ。刀の持ち方は教えられるが、踊りはよくわからん。むしろ、踊りはいおりさんの方がうまかろう」

「ええと、そうなのか、な?」

 なんとなく言いくるめられたような気がしたが、ともあれ、いおりは、自分が知っている踊りの事を、つっかえつっかえ、説明した。

 その後で、男――「お侍さん」はよく乾いて軽そうな棒切れを持ってきた。

 それは蓄えていた薪から選び出したものである。

「踊りの稽古はこれでやる」

「でも、重い太刀をもたないと」

「動きを覚える時は――型の稽古は軽い方がいい。重い太刀を持ち上げる稽古はべつにやる」

「ええと……はい」

 そんなこんなで、いおりはお侍さんに踊りを教えながら、同時に自分の稽古をすることになった。

 ちなみに「重い太刀を持ち上げる稽古」の方は、いおりが持ってきた刀の二倍くらい重いお侍さんの刀を持ち上げることになって、大変さは増した。


◇◆◇


 春になった。 

 

 いおりの踊りが上達したかどうかは、自分ではよくわからない。せんせいは上手になったように思う、とほめてくれた。

 なお、お侍さんのことを、いおりはこっそりそう呼んでいる。「先生と呼んでいいですか?」と聞いたら「弟子は取らない」と断られたので、こっそりとである。

 結局家には帰らなかった。拾われっ子だったし、何かといえば、すぐに出ていけと言われたしで、里心もわいてこなかった。ただ、遠目に様子をみながら「商売」のやり方だけを勉強した。

 少し離れた縄張りが重ならない小さな市で、いおりは「ややこ踊り」を踊って、時々お金をもらえるようになった。いおりの「ややこ踊り」は小さな評判になって人が集まり、市が終わると売れ残りをもらえたりした。

 せんせいは、いおりのそんな話を伸びた髪の隙間で少しだけ笑いながら聞いてくれた。

 そんな日が、これからもずっとつづくと、いおりは、思っていた。


◇◆◇

 

 こんな日が、いずれ来るとわかっていた。

 慎重に準備した「ねぐら」だったが、人の痕跡はそう簡単に消せない。だから、この場所が、吉岡の残党どもに察知されるのは時間の問題だった。

 寄せ手が10人ばかりなのも、予想の範囲内。


 だが――

「……」

 視界の隅に天日干しされた掻巻が見える。子供の身にはさぞ重かったろうに。やっと、恵まれた陽の光に当てようと一生懸命運び出してくれたのだ。

 自分の分を差し置いて、こんな大男の掻巻を。

「……」

 油断という他ない。

 せめて、いおりさんを、どうして俺は、ここから遠ざけておかなかった――


 俺と、そして自分の太刀を両手に持って、背後に立っているいおりさんを視界に収めて、襲撃者がせせら笑う。


「オイ小僧。なんだ?忠義立てでもするつもりか? 知っているのか、この男の正体を! こいつはな。お前と同じくらいの歳頃の子供を情け容赦もなく切り殺した『人でなし』だぞ!」


 そのとおりだ。

 この俺が、吉岡一門との最後の戦い、あの一乗寺下がり松の決闘で、当時12歳になったばかりの吉岡源次郎を切り殺したのは、たかだか三月前の事。


「言い分があるのなら言ってみろ! 宮本武蔵!」


◇◆◇


「そんなん! ずっと前から、知っとるわ!」


 どうしても、黙っていられず。

 気が付けば、いおりは声の限りに叫んでいた。

 せんせいはいおりを殴らなかった。役立たずと罵らなかった。ごはんを食べさせてくれた。太刀の持ち方を教えてくれた。市に行って踊りができたのも、それでご飯が食べられるようになったもの、ぜんぶぜんぶ、せんせいのおかげだ。

 寂しくなって同じ布団に潜り込んでも、追い出さずに、一緒に寝てくれたのも、せんせいだけだった!

 いおりにとっては、せんせいだけが、特別だった。


 それは、市に行くようになって、噂話を耳にするようになっても、欠片も揺るがなかった。

 京では、剣術の名門、吉岡一門と流浪の武芸者・宮本武蔵の抗争の噂でもちきりだった。

 宮本武蔵とは鬼か魔か、剣術名家の当主を相次いで討ち果たし、なお百の門弟を相手に大暴れして、その際、当時12歳でしかなかった名目上の後継ぎをいの一番に切り殺した、と。

 そのうわさが、根も葉もないたわ言だろうが、それとも、まぎれもない真実であろうが。 ――今ここにいるいおりにとっては、何の関係もない事だ!


 そう――覚悟はすでに、決まっている。


「わたしは! せんせいと一緒にいられるなら、殺されたっていいんだ!」


◇◆◇


「――けっ! おい! 相手は手負いだ。押し包んで仕留めろ! そうすれば、敵討ちの誉れと『天下無双』の肩書は俺たちのものだ!」

 10人の討手は、騒然、片足を引きずる武蔵に襲い掛かる。


 手にした刀を握り締め、しかし、抜けずにいたいおりが息をのんだ瞬間。

 黒い轟雷が、迫る左右2人の頭蓋を同時に破砕した。


「もはや、後顧に何の憂いもなし」


 それは、鉄の鞘に入ったままの大太刀だった。おそらくは大の男であっても、振るうに困難なそれを、武蔵は軽々と頭上に振り上げた。

 討手は思わずひるみ、そして相変わらず足を引きずる武蔵をみて、雄たけびを上げながら切りかかる。

 だが、その一振り、その二振りが空を切る。

「何をしている! 相手は手負いぞ!」

 水が流れる様に、風の行く様に。

 武蔵の体裁きにはよどみがない。

 片足の不自由をものともせず、間合いを操り、敵の過誤を誘う。かわるがわる打ちかかりながら、誰一人、武蔵の体に刃が届かない。


 余人は知らず、いおりには、はっきりとわかっていた。

 それは、いおりが伝えた踊りの足さばきだった。

 ケガをして無理をおして動けば、ケガはいつまでたっても治らない。しかし、じっとしていると体が固まる。無理をせず、しかも衰えぬように動かねばならぬ。

 武蔵はそのために、いおりの「ややこ踊り」を学ぶのだと言った。だから、いのりも一生懸命に踊りの事を伝えた。そして、二人で相談しながら、工夫して踊り方を変えて、二人して一緒に踊った。

 いおりが踊る「ややこ踊り」が最早、最初に教えられたものとは別物になっているように、武蔵のそれは今、多数を相手に戦う「体裁き」へと昇華していた。


「ええい囲め! 逃がすな!」


 その声にようやく、武蔵は

「いおりさんっ!」

と名を呼んだ。

 いおりは武蔵に向かって、自分の太刀を投げた。それを武蔵が受け取る。


 いま、武蔵の両手に、一本づつの太刀がある。

 剣術は、多くの場合、一振りの刀で行われる。それは単純に、鉄の塊である刀が重く、片手で振るうに適していないという、至極当然の「理」によるものだった。

 それを覆して二本の太刀を持つのであれば、その「理」をこえる「利」がなければならない。

 たとえば、多人数に敵対する場合のけん制。だが、力が足りず片方の刀を持て余すなら、それも意味がない。一本の刀の戦い方をこそ極めるべきであろう。そのような考え方のもと「二刀流」は、見た目が派手で珍しいばかりで、やる程の意味はないと誰もが言った。


 だが、今こそ、武蔵の手には二刀がある。


 ――人の体には『芯』がある。その芯の上に正しく乗せれば、重いものを持ち上げることができる。


 いおりは、覚えている。

 出会った時に、彼はそう言った。いおりは彼に学んで、重い太刀を頭の上に掲げることができるようになった。

 だから、ゆえにこそ、それは必然。

 万人の「理」は、すでに、彼、宮本武蔵の「理」ではない。

 いおりだけは先生が――宮本武蔵が二刀だろうと軽々と扱えると、知っている。


 草原に、砂塵を巻いて、竜巻が起こった。

 左を打ち、右を払い。前に巻き上げ、後ろに撃ち落とす。

 まるで彼だけが、世界でただ一人、万有引力の軛(くびき)から解放されたかのように、二本の太刀は自在に宙を舞った。


 それは力ではない。しかし技だけでもない。

 それは一つの到達、あるいは一つの境地。

 天と地と、一合無二たる圓明の体現。


 いおりは、ただ、その姿を見つめていた。

 ずっと踊りを通して武蔵をみていた少女には、それが激しくも美しい舞に見えた。


 これが天下無双。これが宮本武蔵。


 ――誰より強い、わたしの、せんせい。


◇◆◇


 襲撃から3日が過ぎた。


「俺は、いおりさんの先生には、なれない」

 村はずれの街道で、いおりは「せんせい」と向かい合っている。

「俺には、いおりさんを導いてあげるためのものが、なにひとつ足りていない」

 踊りという意味ではない。勿論、剣術ということでもない。

 人と争い、誰かを倒し、そのために手段を択ばず、何かほかの手段があると考えもしなかった自分が、どうして、誰かに道を示せるというのか。

「だけど、どこかで、自分が誰かの先生になれるとわかったら、きっと、いおりさんを弟子にする」

 髪はすでにきれいに結い上げられている。服もこざっぱりしている。でも、足は変わらず、引きずったままで、それでも、武蔵は旅立ちを決めた。

「それまで、ひとりで頑張れるか?」

 口を一文字に引き結んで、いおりは頷いた。

 武蔵もまた、うなずいた。

「いおりさんは、えらいな。俺も、負けないように、がんばってくるよ」

 そういって、地べたに座っていた武蔵はゆっくりたちあがった。

 

 いおりは武蔵の顔を見上げた。もう、最初にあった時の怖さは感じない。そして今なら、彼を見送れる。きっと待つことだってできる。

「……」

 いおりにとって武蔵は見上げるほどに大きいが、それでも、彼だって何かを見上げている。

 それほどに、世界は、とても広くて高いのだ。


 青空と白い雲の下、旅立ちの道は、ずっと遠くまで、続いていた。


 完

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