最後の竜を探しに
水城透時
最後の竜を探しに
オルグリムがいなくなった。
オルグリム——俺たちの街の守り神として崇められてきた聖獣。最後のドラゴン。人々は彼を失うまいと、あらゆる手を尽くしてきた。広大な敷地にそびえる頑丈な建造物、完璧な空調管理、栄養バランスを計算し尽くした食事。その甲斐あって、オルグリムは、普通のドラゴンよりもずっと長生きしていた。
俺は生まれつき、「ドラゴンの精霊に祝福された子」と言われていた。めったにないことだが、ごく稀に「精霊に祝福された」と呼ばれる子供が生まれることがある。生まれつき特殊な能力を持っていたり、特定の能力に秀でていたりするのだ。例えば、オルグリムの言葉を理解できるのは、この街で俺だけだった。彼がどこにいるのか、その気配を方角と強さで感じ取ることができた。だから、子供の頃からずっと、俺は彼の通訳を務めてきた。
オルグリムと初めてまともに話したのは、俺が十歳のときだった。ずっと恐ろしい存在だと思っていた。だが、言葉を交わしてみると、意外にも穏やかで、優しい声をしていた。彼は自分のことを「僕」と呼び、俺に対しても柔らかく接してくれた。
「話せる相手ができて、嬉しい」
そう言った彼の表情を、今でも覚えている。俺はすぐに、彼を「オル」と呼ぶようになった。いつしか、俺たちは友達のような関係になった。
それなのに、オルグリムは、俺の知らないどこかへ消えてしまった。
すべての始まりは、街を襲った大地震だった。かつて経験したことのない揺れが街を飲み込み、多くの建物が崩れ落ちた。人々の悲鳴が響き、瓦礫の下敷きになった者も数え切れない。オルグリムの住まう巨大な施設も、その破壊の波から逃れられなかった。
人々は口々に言った。
「オルグリムは倒壊に巻き込まれ、傷を負い、本能的にどこかに身を隠したのではないか」と。実際、地震の直後に彼が空へ飛び去る姿を見た者もいた。
街は混乱した。オルグリムは、もういつ寿命を迎えてもおかしくない年齢だった。もし怪我をした状態で、野生の中で身を休めているのなら、そのまま命を落としてしまうかもしれない。人々の救助が最優先だったが、それが少し落ち着いた頃、軍隊の中から少数精鋭の捜索隊が結成された。オルグリムを探し、街へ連れ戻すために。
そのメンバーに俺も選ばれた。一瞬驚いた。まだ十八歳で民間人の俺が軍の任務に参加するのだ。しかし、すぐに当然だと思った。この任務に俺ほど適した人間はいないと確信していた。俺は彼の気配を感じ取れる。必ず、見つけ出してみせる。
***
早速捜索隊のメンバーとの顔合わせとなった。対面するのは、今回の捜索隊のリーダーであるカイン。四十代半ばの軍人で、表情は穏やかだったが、その眼差しは鋭く、揺るぎない自信が滲んでいた。
「君がナギ君だね。早速だが、今回の捜索隊のメンバーを紹介しよう」
カインが静かにそう言うと、彼の隣に立っていた男たちが一歩前に出た。
「グレンだ」
三十代半ばの屈強な軍人。人間離れした大柄な体格で、無骨な雰囲気を漂わせている。「巨人の精霊に祝福された」人間ということだった。
「ユージンです」
無駄のない動作で名乗ったのは、三十代の軍医。冷静で感情の起伏が薄く、研究者のような佇まいだった。医療だけでなく魔法にも熟達しているということだった。
「ユウマです。何度か会ったことがあるよね」
二十代半ばの青年が柔らかく微笑む。軍医の一人で、他の二人とは違い、親しみやすい雰囲気を持っていた。この人とは面識があった。ドラゴンに対する医療を研究しているということで、何度か通訳を務めたことがある。知っている顔がいてホッとした。
この四人が、俺と共にオルグリムを探す仲間になる。
「さて、君は今回の旅の目的はわかっているな?」
カインが視線を俺に向ける。俺は即答した。
「オルグリムの捜索です」
「その通りだ」
カインは静かに頷いた。そして、次の問いを投げかける。
「では、最優先事項は?」
俺は一瞬戸惑いながらも、当然の答えを口にした。
「オルグリムの捜索ですよね?」
「違う」
カインの声がはっきりと響いた。
「最優先事項は、全員で生きて帰ることだ」
俺は思わず息をのんだ。
「えっと……」
カインは俺の反応を確認しながら、落ち着いた声で続けた。
「今回の任務は軍隊の任務としては取り立てて危険というわけではない。しかし安全が保障されているわけでもない。君はこういった任務の経験はないだろうから、正直、心配ではある。実際、君をメンバーに加えるかは意見が分かれた」
その言葉には、冷静な判断と俺に対する配慮が入り混じっていた。
「だが、捜索に関しては君がいるかいないかで、難易度がまるで違う。君の能力があれば、オルグリムの痕跡を追うことができるだろう。だからこそ、君に入ってもらえるなら心強い」
そう言いながらも、カインの表情は変わらない。
「しかし、楽な任務ではないと覚悟はしてほしい。我々も万全を尽くして君をサポートするが、君自身も自身の安全には十分注意してほしい。生きて帰るのが最優先というのはそういうことだ」
そう言うと、カインは一拍置き、まっすぐに俺を見つめながら頭を下げた。
「それでも、協力してもらえるだろうか?」
軍人である彼が、上からの命令ではなく、俺に”頼む”という形をとった。その誠実さが胸に響く。俺は息を整え、覚悟を決めるように頷いた。
「もちろんです。俺にできることをやります」
こうして、俺は正式に捜索隊の一員となった。
***
カインは端的に説明を始めた。
「オルグリムが飛び去った方角と、高地を好むドラゴンの習性を考えれば、目的地はガダル高原でほぼ間違いない」
そう言いながら、テーブルに広げられた地図を指す。
「ガダル高原は標高約1500メートル。地形は険しく、資源や作物に乏しく、人の手はほとんど入っていない。麓の村までは鉄道が通っているが、そこから先は登山道すら整備されていない。道を切り拓きながら進む必要がある」
俺は地図を覗き込んだ。村から西へ広がる森林地帯を抜け、ガダル高原へ向かう道筋。地図を見ているだけでは実感は湧かないが、楽な旅ではないのだろう。
「食糧は一週間分持っていく。現地調達は期待できない。途中で補給できる場所もないため、計画的に消費しながら進むことになる」
「なるほど……」
想像以上に厳しい旅になりそうだった。
「そして、オルグリムを見つけたら、ユージンの魔法で帰還する」
カインが視線をユージンに向けると、彼は軽く頷いた。
「私の魔法は、事前に準備した魔法陣に対象を瞬間移動させるものです。都市部の施設に魔法陣を設置済みなので、そこにオルグリムを送る予定です」
そう言って、ユージンはさらりと説明したが、それが極めて高度な魔法であることは、カインが補足した。
「ユージンの魔法は貴重な戦力だ。オルグリムを見つけたら、迅速に街へ戻すことができる。しかし、万一見つけられず、遭難するような事態になった場合も全員で帰還することができる」
カインの目が俺を捉える。
「ナギ君の能力が、今回の捜索の鍵になる。最短で進むためにも、君の力に期待している」
責任の重さを実感し、俺はごくりと唾を飲み込んだ。もはや、後戻りはできない。
***
半日、鉄道に揺られ続けた。窓の外に広がる景色は、次第に人の気配を失い、山の影が夜の帳に沈んでいく。麓の村に辿り着いたときには、すでに空には星が瞬いていた。今夜はここで一泊し、明日の早朝から本格的に山へ入ることになる。
道中、ユウマがあれこれと話しかけてくれたおかげで、俺の緊張はかなり和らいでいた。彼の穏やかな口調と、時折冗談を交えた軽やかな語りが、張り詰めた空気をほどよくほぐしてくれる。
「ナギ君の能力が、どんな感じで働くのか気になってたんだよな」
そんなユウマの言葉に、他の隊員たちも自然と耳を傾けていた。やはり、今回の任務の成否は、俺の力に大きく左右される。全員が真剣な眼差しを向けるのも無理はない。
「基本的には、オルグリムの気配を方角と大雑把な距離で感じ取れるだけです」
そう説明しながらも、俺の胸には一抹の不安があった。気配は遠くにいるほど弱まる。今のように大きく距離が開いてしまえば、どこにいるかを感じ取るのは難しい。もし、麓の村に着いてもオルグリムの気配が感じられなかったら、どうすればいいだろうか?
「その時はその時だ」とカインが言った。
「ドラゴンの巨大な体は、木々の生い茂る場所には不向きだ。いるとしたら高原地帯だろう。なら、まずはとにかくそこを目指せばいい」
理に適った答えだった。確かに、オルグリムが森の奥に身を潜めているとは考えにくい。ならば、最初から彼がいそうな場所を目指せばいい。
俺はゆっくりと息を吐き出した。
大丈夫だ。明日になれば、きっと何か手がかりが掴める。
そう思うことで、少しだけ心が落ち着いた。
***
朝から始まった登山は、想像以上に過酷だった。
麓の村を出発し、山道へと足を踏み入れる。最初は緩やかな斜面が続いていたが、徐々に傾斜がきつくなり、道は獣道のように細く、険しくなっていった。足元にはぬかるんだ泥と無数の木の根が絡み合い、一歩進むごとに足を取られる。湿った土の匂いが鼻をつき、朝露を含んだ葉が衣服を濡らしていく。
目を上げれば、無数の枝葉が空を覆い隠し、まだ日が昇ったばかりだというのに、薄暗さすら感じた。遠くでは鳥の鳴き声が響くが、それすらもどこか遠ざかるように聞こえる。
皆、無言で歩を進めていた。
軍人たちの歩調は乱れず、一定のペースを保ち続けている。俺も必死に食らいつこうとするが、どうしても遅れがちになってしまう。荷物をグレンが持っていてくれるのにも関わらず、だ。身体が重い。呼吸が浅くなり、次第に足が鉛のように動かなくなっていく。アップダウンが激しく、せっかく登ったと思ったらすぐに下ってしまう。その繰り返しがひどく堪える。
カインは適宜休憩を取ってくれた。だが、そのたびに「俺のせいで皆の足を止めてしまう」という思いが胸を突いた。
「すみません……」
申し訳なさに、自然と頭を下げる。すると、皆が笑いながら口々に言った。
「いい休憩になるよ」
「俺が軍隊に入ったときなんか、もっとヘボかったぞ」
グレンが肩をすくめながら、軽く言った。
「ま、後で一発、オルグリムの気配を見つけりゃチャラだよ」
そう、俺の不安は現実のものとなっていた。麓にたどり着いても、結局オルグリムの気配は感じられなかった。そのため、当初の予定通り、まずは高原地帯に向かうことになった。自分の能力が唯一の頼りだと言われたにもかかわらず、今の俺はただの足手まといでしかなかった。その歯痒さが、焦りとなって喉の奥に引っかかる。
そしてもうひとつの不安——オルグリムは、もう死んでしまっているのではないか? 気配を感じられないのは、そのせいではないか? 考えまいとしても、疑念は消えず、重くのしかかる。山道は続いていく。進めど進めど、答えはまだ遠かった。
***
夕方、日が沈む前に携行食を広げ、簡単な打ち合わせを行った。焚き火を囲い、それぞれが手早く乾燥したパンや干し肉を口に運ぶ。食事をしながら、カインが現在地を確認し、今後の進行について話した。
「今のところ、順調にガダル高原に向かっている」
そう言われて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。現在地は、高原へと至る手前の森林地帯。今日一日で、ここを半分ほど抜けたらしい。
「ということは、明日には森を抜けられる……?」
ぼんやりとそう考えると、少し気が楽になった。その頃には、オルグリムの気配を感じられているだろうか。目を閉じると、思った以上に身体が疲れていたのか、すぐに眠気が襲ってきた。焚き火の番を免除してもらえたのはありがたい。その夜は、久しぶりに熟睡した。
***
翌朝、ついに変化があった。かすかに、オルグリムの気配を感じたのだ。寝起きのぼんやりした頭が、一瞬で覚醒する。これまで何の手がかりもなく、焦りばかりが募っていた。だが、今は違う。確かに、あの独特の存在感が感じられた。
だが、違和感があった。目指すガダル高原は西にある。なのに、オルグリムの気配は南から感じられた。
俺は迷った。けれど、このまま何も言わずに進むわけにはいかない。意を決して、皆にそのことを伝えた。隊の面々は、一瞬黙り込んだ。
「南……?」
カインが確認するように呟き、ユージンは地図を広げる。グレンは眉をひそめ、ユウマだけが俺の言葉を信じるように頷いた。
「……信じるしかないな」
カインがそう言い、全員が南へ向かうことになった。俺はようやく隊の役に立てそうでホッとした。だが、しばらく進んだあと、俺は背筋が凍る思いをした。
——気配が、消えた。
もともとか細かった気配が、ふと途切れたのだ。言うべきだった。すぐに報告するべきだった。だが、俺は焦りから、それを黙ってしまった。すぐにまた感じ取れるはず。もう少し進めば、再び手がかりが掴める。そう信じて、俺は黙って歩き続けた。
だが、ダメだった。
時間が経つにつれ、俺の歩みは鈍くなっていった。足元の岩を踏み外しそうになりながら、気配を探ろうとするが、何も感じられない。
「ナギ君、どうした? さっきから様子がおかしいぞ」とカインが言った。
言葉が出なかった。わかっていた。俺は、もう誤魔化せないところまで来ていた。口の中がカラカラに乾きながら、俺はついに正直に打ち明けた。実は、少し前から気配が消えた、と。
「少し前って、どこだよ」
しんと静まり返った中、グレンの低い声が響いた。
「正確に言え」
背中に冷たい汗が流れた。俺は気配が消えたあたりの地形の特徴を説明した。その言葉に、ユージンが静かに息をついた。
「かなり前じゃないですか。つまり、私たちはその後、しばらく無駄に歩き続けていたというわけですね」
その冷たい声が、胸に突き刺さる。グレンが俺を睨む。
「なんで、すぐに言わなかった?」
言葉に詰まる。
「……すぐにまた感じられると思ったんです」
その瞬間、グレンが歯を食いしばった。
「ふざけんなよ、お前……!」
吐き捨てるような声に、俺は縮こまる。ユージンは、呆れたように静かに息をつき、冷たい目で俺を見ていた。ユウマは、ただ悲しそうに俺を見つめていた。
「カイン……どうする?」
グレンの苛立った問いかけに、カインは俺から目を離さず、落ち着いた声で言った。
「まずは戻る。そして、もう一度進路を確認する」
全員が無言で頷く。カインは深く息をつくと、俺に向き直った。
「ナギ君。気配を見失ったこと自体は、問題じゃない。問題なのは、それをすぐに報告しなかったことだ」
カインの目が鋭くなる。
「君は俺たち全員を危険に晒した。迷うことは誰にでもある。だが、その迷いを隠して突き進むことは許されない」
静かに告げられる言葉が、胸に突き刺さる。
「二度と、こんなことはしないでくれ」
その瞬間、涙が出そうになった。情けなかった。ただでさえ足手まといなのに、信用すら失ってしまったかもしれない。
***
隊は再びガダル高原を目指し、歩みを進めていた。先ほどの叱責以降、誰も俺の失敗を掘り返すことはなかった。皆、無言のまま淡々と歩を進める。俺も黙々とついていく。余計なことを考えないように、ただ足を前へ運ぶことだけに集中する。それでも、皆の速度についていくのは相変わらず厳しかった。ペースを落としてもらっているのは明らかで、そのたびに焦りが募る。休憩のたび、ユウマが軽口を叩いて雰囲気を和ませようとしてくれるのがありがたかった。
俺の失敗による時間のロスは、確実に響いていた。本来なら今日中にガダル高原に入る予定だったが、日が傾く頃になっても、森の中を抜けきれずにいた。やがて、カインが歩みを止めた。
「今日のうちに高原へ入るのは無理だな」
彼は地図を確認しながら、淡々と告げる。
「予定よりも少し遅れているが、概ね順調ではある。明日の午前中には高原に到着しているだろう」
誰も文句は言わなかった。ただ黙って頷き、それぞれの荷物を調整しながら、次の一歩に備えていた。俺は唇を噛みしめる。俺は足を引っ張ってばかりだ。
それでも、立ち止まることはできない。前へ進むしかないのだ。俺は拳を握りしめ、こみ上げる悔しさを必死に飲み込んだ。
***
朝日が東の空の中ほどまで昇った頃、俺たちは森林地帯を抜け、ついにガダル高原へと辿り着いた。最後の急な傾斜を登り切ると、視界が一気に開ける。目の前に広がる光景に、思わず息を呑んだ。美しさと厳しさが同居する場所だった。
遠くまでひろがる草原が緩やかに波打ち、その先には、切り立った山脈が静かにそびえ立っている。朝日に照らされた山肌は淡い金色に染まり、頂には雪が残っている。冷たく澄んだ空気が肌を刺し、歩き続けた疲れも一瞬で消し飛ぶような、凛とした感覚が体を包んだ。
振り返ると、深い森が眼下に見える。霧が立ち込める木々の海、その間を蛇行する川が光を反射しながら静かに流れている。はるか遠くで、鳥の鳴き声が風に乗って届いた。足元に目を向けると、短い草が朝露に濡れてきらめいている。その冷たさが靴の先を濡らし、足元をひんやりと冷やした。
この高原の風景は、吸い込まれるほどに美しい。しかし、その静寂の中にあるのは、人間の手が届かない厳しい世界でもある。ここでは誰も守ってくれない。ただ己の足で立ち、進み続けるしかない場所——。
目の前に広がる世界の圧倒的なスケールを前に、俺はただ、冷たい風に吹かれながら、遠くの山々を見つめていた。
そのとき、確かに感じた。オルグリムの気配が、確かにそこにあった。昨日感じたものとは比べものにならないほどはっきりと、力強く、確実に。全身の神経が研ぎ澄まされる。これは、間違いない。
俺は息をのんで、振り向いた。
「……います! オルグリムの気配を感じます! 昨日よりも、ずっと強く!」
その言葉に、隊の空気が一瞬で変わった。カインがすぐに反応し、ユージンが鋭い視線をこちらに向ける。グレンが大きく肩を鳴らしながら、警戒するように身構えた。ユウマは少し緊張した面持ちで息を整えている。
「今度は間違いないんだろうな?」
グレンさんが確認するように問いかける。
「はい、間違いありません。もしも気配が消えたら、すぐに報告します」
そう答えると、グレンはしばらく俺を見つめた後、「よし」と短く頷いた。
「行こう」
カインさんがそう一言だけ言い、俺の肩を軽く叩く。その声には、わずかながらも労いの色があった。
「ナギ、やったな」
ユウマさんがにっこりと笑い、親指を立てて見せた。短いやり取りだったが、隊の皆が俺の言葉を信じてくれているのが伝わってきた。
カインから確認が入る。
「方角は?」
「……あちらです」
俺は即座に指をさす。高原の緩やかな丘を越えた先、遠くの山脈の方角を指していた。
「距離は?」
昨日よりははるかに強いものの、それでもまだ微かだ。遠いのではないかと思う。けれど、オルグリムは負傷しているかもしれないし、衰弱して気配が弱まっている可能性もある。
「正確にはわかりません……昨日より強いですが、それでもまだかなり弱いです。遠くにいるのかもしれません。ですが、オルグリムが弱っているのだとしたら、意外と近くにいる可能性もあります」
隊の面々が一瞬沈黙し、それぞれが考え込む。風が吹き抜け、草原の草がざわめいた。
「……なるほどな」
カインが短く頷く。
「まずは方角を頼りに進むしかないな」
俺は深く息を吸い、改めて指先の方向を見つめた。オルグリム、すぐに助けてやるからな――。
***
オルグリムは、呆気ないほどすぐに見つかった。
隊を先導しながら、俺は慎重に高原を進んだ。微かな気配を頼りに、丘を越えていく。もっと遠くにいると思っていた。いや、そう思いたかった。だからこそ、次の瞬間、目の前に広がった光景に息を呑んだ。すぐそこに、オルグリムがいた。
緩やかな丘を越えて、開けた草原のただ中に横たわる巨大な影。こんなに近くにいたのに、この気配の弱さ。
驚きよりも、ぞっとするような不安が胸をよぎる。まるで、ここにいることすら薄れてしまいそうなほど、オルグリムの存在感は弱々しかった。
生きているのか? いや、確かに気配はある。かすかだが、確かに。オルグリムは、眠っているようだった。その巨大な身体は、ゆっくりとした呼吸に合わせてわずかに上下している。かつては聖獣と呼ばれた威厳を残しながらも、今はただ、静かに風に身を預けるように横たわっていた。
俺は思わず足を止め、後ろにいる皆に小さく手を振った。
「……起こさないように」
誰ともなく囁き、全員が慎重に距離をとる。オルグリムを前に、俺たちは慎重に相談を始めた。
「どうする?」
カインさんが小声で問いかけると、全員がオルグリムを見据えながら考え込む。
「すぐにでも確認したいですが……急に起こしたら、敵だと思われて攻撃されるかもしれません。……オルグリムは、寝起き、あまり良くないんですよね」
そう口にした瞬間、隊の皆が少しだけ笑った。
「無理に起こさず、このままユージンさんの魔法で街へ送り返すことはできませんか?」
俺がそう提案すると、ユージンが静かに首を振った。
「それは避けたほうがいいですね」
淡々とした口調だった。
「何も知らないまま、いきなり街に送り返されたら、向こうで暴れられる可能性があります。それこそ大惨事になりかねないですね」
「だな。起こすにしても、慎重にやらねえと」
グレンさんが頷く。
「まずは、今の状態を確認しよう」
カインの言葉に、ユージンが双眼鏡を取り出し、慎重に覗き込んだ。
「……見える範囲では、外傷はなさそうです」
その報告に、俺はほっと息をついた。少なくとも、血が流れている様子はない。
「だが、内臓や筋肉を痛めている可能性はあります」
ユージンが冷静に付け加える。
「起きるまで待つしかないか……」
ユウマがぼそりと呟く。
「起きたら、俺がすぐに話しかけます。できるだけ驚かせないように」
俺がそう言うと、カインさんが静かに頷いた。
「それでいいだろう。しばらくは待機だ」
俺たちは、静かに身を潜めながら、オルグリムの目覚めを待つことにした。
***
しばらくして、オルグリムが目を覚ました。大きな身体がわずかに動く。長い尾が草をかすめ、金色の瞳がゆっくりと開かれる。その瞬間、冷たい空気が引き締まったように感じた。
俺たちは慎重に様子を伺いながら、刺激しないように注意する。だが、飛び去ってしまう前に、こちらの存在を知らせなければならない。
俺はそっと息を整え、一歩前に出る。そして、ゆっくりと手を上げた。オルグリムの視線がこちらに向く。気づいた。
「オル!」
彼の名を呼ぶと、オルグリムは驚いたように目を瞬かせた。
「……ナギ?」
俺は息を切らしながら、彼のすぐそばまで駆け寄る。
「無事だったかい?」
そう問いかけると、オルグリムはしばらく俺を見つめたあと、ゆっくりとまばたきした。
「……こんなところまで、僕を探しに来てくれたのか?」
その声は、どこか信じられないというような響きを帯びていた。
「当然だよ……! 皆、心配して——」
その言葉を遮るように、オルグリムは微かに微笑んだ。
「心配をかけて、ごめん」
彼の声は、申し訳なさと、どこか安堵の色を滲ませていた。
「オル、大丈夫か? 怪我はない? 疲れてない?」
駆け寄った俺は、オルグリムの顔を覗き込みながら矢継ぎ早に問いかけた。
「さあ、街まで帰ろう! すごい魔法を使える人も来てくれてるんだ。すぐに——」
言いかけた俺の言葉を、オルグリムは静かに遮った。
「……ごめん、僕はここにいたいんだ」
俺の胸が、一瞬冷たくなった。
「え?」
意味がわからなかった。帰りたくない? なんで?
オルグリムは穏やかな顔で、ゆっくりと続けた。
「僕は、地震の日、自分の意思でここまで来たんだよ」
「怪我をして逃げてきたわけじゃないのか? だって、お前、建物が崩れたんだろ?」
「うん。でも、大した怪我じゃないよ。あの程度なら、僕にとっては全然平気だ」
崩れた建物で怪我をしたわけじゃない? なら、どうして——?
「僕の寿命はもう長くないんだろう?」
オルグリムの声は、どこか静かで、悟ったような響きを帯びていた。俺は言葉を失った。
「最後に飛び出したかったんだ、人間の街から。自然の中で、自由なままで、静かに死にたかったんだよ」
オルグリムは、ゆっくりとまぶたを閉じた。それは、俺が知っているオルグリムのままの、優しく穏やかな表情だった。なのに、どうしてこんなに遠い存在に見えるんだろう——。
「君たちがすごく良くしてくれたことには、感謝しているよ」
オルグリムは静かに言った。その声は、いつもの優しさに満ちていたけれど、どこか遠い響きを持っていた。
「僕なんかのことを尊敬してくれたし、食べ物や体調の管理もしっかりしてくれた。多分、本当の寿命よりずっと長く生きられたんじゃないかな」
ゆっくりと、穏やかに話すその言葉に、俺は何も言えなかった。俺たちは、オルグリムのために最善を尽くしてきたつもりだった。彼が少しでも長く生きられるように、快適に過ごせるように。
「でも——孤独だった。ドラゴンは、僕一人だった。僕と対等な存在は、誰もいなかった」
オルグリムの金色の瞳が、ゆっくりと空を見上げる。
「ずっと前からつらかったんだ。でも、みんなが一生懸命やってくれてるから……言い出せなかった」
その言葉が、心に鋭く突き刺さる。俺たちはオルグリムを守ってきた。でも、それは本当に彼のためだったのか? オルグリムは、ゆるく息を吐いた。
「魔がさしたって言うのかな。地震が起きて、建物が崩れて、見上げたら、星空があったんだ。そのとき、衝動的に飛び出してしまった。考えるより先に、気持ちが動いたんだ。気持ちよかったよ。ただ風に乗って、思うままに飛んで……そのまま、ここまで来た」
彼は静かに視線を遠くへ向ける。
「君たちのことは、気にはなっていた。でも、それでも、ここにいたかった」
俺は、何か言葉を探した。けれど、胸の奥が重くて、何も出てこなかった。
「人間の足で、ここまで来るのは本当に大変だったと思う。ありがとう。でも——ごめん。僕は、街に戻るつもりはない」
彼のまなざしが、ふっと悲しげに揺れる。
「いつまでも一人で生き続けることに——疲れちゃったんだ」
オルグリムは、静かに微笑んでいた。その表情があまりにも穏やかで、俺は息が詰まるような気持ちになった。
「……みんなと話してくる」
そう言って、俺はその場を離れた。オルグリムは何も言わなかった。ただ、静かにこちらを見送っていた。
***
丘を越えて隊のもとへ戻ると、皆が心配そうにこちらを見つめていた。俺の様子を見て、何か良くないことがあったと察したのだろう。皆の前に立ち、言葉を選びながら、オルグリムの言葉を伝えた。
「……オルグリムは、街には戻りたくないと言っています」
俺はオルグリムの言葉をそのまま伝えた。誰も言葉を発しない。ただ、信じられないというように、皆が俺を見つめていた。しばらくの沈黙の後、カインが口を開く。
「……そうか。ならば、オルグリムの意思を尊重しよう。我々だけ帰還するべきだ」
俺は、カインの言葉に思わず食い下がった。
「待ってください……! 俺は、なんとか説得したいんです!」
必死の思いで言うと、カインさんは静かに首を振った。
「ナギ君の気持ちはわかる。しかし、街は今も復興に追われている。君がここにこだわるのは、向こうで待っている人たちのためになるのか?」
痛いほど冷静な指摘だった。オルグリムのことを考えると、どうしても簡単に諦めることはできなかった。だが、街もまた、大きな地震で傷つき、人々が懸命に立ち上がろうとしている。俺は唇を噛みしめ、静かに頭を下げた。
「……一晩だけ、時間をください」
カインは俺を見つめ、短く息をついた。
「……一晩だけだ」
それが、最後のチャンスだった。
***
オルグリムのそばへ戻ると、彼は静かに空を見上げていた。高原の風が優しく吹き抜け、彼の大きな体を撫でていく。
「オル」
俺が声をかけると、オルグリムはゆっくりと顔を向けた。
「一晩だけ、一緒にいさせてくれないか?」
オルグリムは一瞬だけまばたきをしたあと、微笑んだ。
「もちろんだよ」
その言葉に、俺は安堵し、隣に腰を下ろした。そこからは、穏やかな時間が流れた。
昔の話をした。子供の頃、俺が初めてオルグリムと話したときのこと。彼が俺の言葉を理解したときの驚き。俺がオルグリムを「オル」と呼び始めた日のこと。
夜が更け、星が鮮やかに輝き始めた頃、俺は最後の説得を試みた。
「オル……俺じゃダメなのか?」
オルグリムは静かに目を細めた。
「孤独がつらいなら、他の街からドラゴンと話せる人間を探してこようか? 偉い人と話して、きっと何とかする。俺だけじゃなくて、もっとたくさんの人が、君の気持ちをわかるようになるはずだ」
けれど、オルグリムは首を横に振った。
「ごめん、ダメなんだ。……君が嫌いなわけじゃないよ。むしろ、大好きだ。君と話せて、本当に楽しかった。……それでも、ダメなんだ。人間がいくらいても、ダメなんだよ」
オルグリムは少しだけ考える素振りを見せたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そうだね……例え話をしようか。犬がいるとするだろ? 君にすごく懐いてくれていて、いつも尻尾を振って、一生懸命に君のために頑張ってくれる。君もその犬のことが大好きだ。でも、それと”人間の友達”は、また全然別の存在だろ?」
俺は息を呑んだ。
「もし、人間の誰もいない世界で、たくさんの犬が一生懸命世話をしてくれるとして……無理に寿命を延ばしてまで生きる意味が、どれだけあるんだろうね?」
オルグリムは優しく微笑んでいた。
「……そうか、わかったよ」
俺はオルグリムを見つめながら、静かに言った。これ以上、何を言っても無駄だった。いや、そんなことは最初からわかっていたのかもしれない。
「さよなら、オル」
オルグリムは少し悲しそうに目を伏せた。
「ごめん」
「いいよ。どうしようもないことだ」
それは、本当にどうしようもなかった。俺はゆっくりと立ち上がり、オルグリムのそばを離れた。振り返ることはしなかった。少し歩いたところで足を止め、空を見上げた。
高原の夜空は澄みきっていて、無数の星が広がっていた。夜風が冷たく、けれど、その冷たさが心地よかった。胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱えながら、ただ星を見つめた。
***
しばらくそうして過ごしていると、足音が聞こえた。振り向くと、ユージンがそこにいた。用を足しにでも出てきたのだろうか。彼はこちらを見て、少し驚いたような顔をした。
「……ナギ君、まだ起きていたんですか?」
俺は軽く肩をすくめた。
「なんとなく、寝る気になれなくて」
ユージンは俺のそばまで歩み寄ると、空を一瞥し、静かに尋ねた。
「……ダメだったんですか?」
その一言に、俺は苦笑を浮かべた。
「……はい」
俺はゆっくりと息を吐き、オルグリムに言われたことをそのまま伝えた。
「オルは、ここに残りたいって言いました。寿命を延ばしてまで、生きる意味がないって……人間と一緒にいることが、孤独を埋めるわけじゃないって……」
自分で口にしながら、その言葉の重みを改めて噛み締める。
「……結局、俺は何の役にも立たなかったんです」
そう呟くと、ユージンは少しだけ視線を下げ、静かに言った。
「ナギ君がいなければ、我々は無理矢理にでも連れて帰っていたかもしれません。彼の意思をきちんと聞いてあげられただけでも、大きな成果です。君は確かに役割を果たしました」
ユージンの声は、いつもと変わらず淡々としていた。けれど、そっけないと思っていた彼が、こんなにもはっきりと俺の行動を肯定してくれるとは思わなかった。
「……そう、でしょうか」
思わずそう返すと、ユージンはふっと目を細めた。
「ええ」
それ以上、彼は何も言わなかった。俺は少しだけ、肩の荷が軽くなった気がした。
***
そのとき——オルグリムの気配が変わった。突然、ふっと弱々しくなる。まるで、風が消えゆくように。
「……オル?」
嫌な予感がして、俺はユージンとともに駆け出していた。オルグリムは、さっきまでの穏やかな表情のまま、しかしその金色の瞳にかすかな不安の色を宿していた。
「なんだかね、急に疲れが出ちゃったみたいだ。これでお別れかもしれない……。思ったよりも、寂しい気分だ。ナギ……怖い……そばにいてくれないか……勝手なことばかり言って、ごめん」
その言葉に、俺は迷わず彼の元へ駆け寄った。
「俺はここにいる、オル!」
そのまま彼のそばにしゃがみ込むと、オルグリムはゆっくりとまぶたを閉じ、弱々しく微笑んだ。
「ありがとう……ナギ」
その一言に、胸が熱くなる。俺は来てよかった。そう心から思った。
「朝日が……見たいな」
オルグリムがぼそりと呟いた。朝まで持つのかわからない。
「皆を呼んできます」
ユージンが静かに言い、すぐに駆け出していった。しばらくすると、足音が複数響き、隊の皆が駆けつけてきた。
「状況は?」
カインさんが即座に判断を求める。
「弱っている。すぐに治療を」
ユージンさんが冷静に答えると、カインさんは頷き、鋭く指示を出した。
「グレン、準備を」
「了解」
グレンが荷物の中から黒いケースを取り出し、地面に置いた。ユージンがその上に手をかざす。
「展開」
低く呟くと、手が淡い光を帯び、ケースがゆっくりと展開し始めた。圧縮されていた機材が一気に膨らみ、見る間に巨大な医療装置へと変化する。
「ユウマ、調整を頼む」
「任せて」
グレンが組み立て、ユウマが手際よく装置の調整を進める。同様に、いくつもの機材がユージンにより展開されていく。
俺には、専門的な知識も、治療の技術もなかった。だからこそ、俺にできることはただひとつ。
「オル、もう少しだからな。皆が全力で助けてくれる。だから——だから、諦めるなよ」
懸命に、オルグリムに声をかけ続けた。俺の言葉がどこまで届いているのかはわからない。それでも、彼の瞳がうっすらと開き、微かに微笑んでくれた気がした。
***
朝日が、ゆっくりと地平線の向こうから昇り始めた。空が深い蒼から淡い金色へと染まり、冷たかった夜の大地が、温かな光に包まれていく。
美しかった。オルグリムも、荒い息を吐きながら、その光景をじっと見つめていた。彼の最期の時に、この光を見せてあげられてよかった。
――そう思った、その瞬間だった。
南の方角から、何かの気配を感じた。ぞくりとするような、けれど、どこか懐かしさを感じさせる気配。俺は驚いて振り向いた。
その時、見えた。はるか遠く、朝焼けの空を滑るように飛ぶ、大きな影。ドラゴンだ。
「オル! 見てくれ! ドラゴンがいる!」
オルグリムの瞳が、わずかに揺れた。彼はゆっくりと首を持ち上げ、俺が指さした方を見つめた。
そして、次の瞬間、巨大な雄叫びが、高原に轟いた。
それは、誰もが聞いたことのないような、魂の叫びだった。この場にいる誰もが、オルグリムの生きたいという意思を感じ取った。
「オル! 生きたいんだな!」
俺は全身で叫んだ。オルグリムは、静かに俺を見た。金色の瞳に、力が戻っていた。
「ありがとう、ナギ」
ゆっくりと、けれどはっきりと、彼は言った。
「……ああ、僕は生きたい。あのドラゴンと、会って話をしたい」
朝の光が、オルグリムの大きな身体を優しく包み込んでいた。オルグリムの言葉に、胸が熱くなった。さっきまで死を受け入れようとしていた彼が、生きたいと、そう口にした。
「まずは、体の回復が先決だ」
俺は力強く言った。
「オル、今のままじゃ動くのもやっとだろ? 街に戻って、ちゃんと治療しよう」
オルグリムはしばらく黙っていた。
「……そうだな。ありがとう。頼んだよ」
少し照れたように微笑みながら、オルグリムは静かに頷いた。彼はついに、街へ帰ることに合意した。
俺たちは急いで帰り支度を整えた。ユージンが魔法陣を展開し、オルグリムを囲むように光の紋様が浮かび上がる。
「転送する」
ユージンが短く告げると、淡い光が視界を包んだ。次の瞬間、俺たちは街へ帰還した。
***
街へ戻ったオルグリムは、すぐに治療を受け、養生した。彼の生命力は徐々に回復し、やがて自分で体を動かせるようになった。
俺もまた、次の旅に向けて準備を進めていた。
あの日、オルグリムと共に街に戻ってすぐ、俺は隊の皆にあのドラゴンを探しに行きたいと告げた。カインには、自分たちは街の復興を優先させなければならないと断られてしまったが、俺は自分一人でも行くつもりだった。
「一人で行くだって?」とカインは眉を顰めて言った。無謀にも程があると。
四人は少し話し合い、俺に向き直った。そしてカインは言った。
「しょうがない、ドラゴンを探し出すどころか、もう一体見つけた大手柄だからな。これも何かの縁だ。俺たち四人で、一人で旅できるだけの技術を身につけさせてやる」
「ただし、厳しいぞ」とニヤリと笑った四人を見て、俺はとんでもないことになったと思った。
カインからはサバイバル術を学んだ。野営の仕方、食糧の確保、獣の足跡の見分け方。彼は「このあたりの山とあっちの高原では条件が違うが、基礎さえ押さえていれば応用が効く」と言って、忙しい合間を縫って俺に実践をさせた。カインは決して怒鳴ることはなかったが、その目は常に厳しかった。訓練中にふと油断すると、「そんなことで生き残れると思うか?」と冷淡に言い放たれる。俺は悔しくて何度も泣きそうになったが、不思議と彼の言葉が頭に焼きついて離れなかった。
グレンは護身術を教えてくれた。ナイフの使い方、急所を狙う方法、危機を察知するコツ。しかし、彼の指導は厳しさを通り越して、もはやスパルタだった。「力のない奴が生き延びるには、相手より一瞬でも速く動くしかない」と言い、俺にナイフを持たせた瞬間、いきなり拳が飛んできた。反射的に身を引くと、「遅い」と言われ、次の瞬間には足を払われて地面に転がされる。何度倒されても手加減はなかった。訓練の最後、なんとかナイフを構えてみせると、グレンはふっと鼻で笑い、「まあ、旅の間に何度か痛い目に遭えば、少しはマシになるだろう」と言った。それが彼なりの合格の証だったらしい。
ユージンからは魔法を習った。方向感覚を失わない術、植物から水分だけを抜き出す術、物体を圧縮する術。しかし、彼の指導は徹底的に理詰めで、甘さの一切ないものだった。「魔法は感覚で使うものじゃありません。理論を理解していない者に、魔力は扱えません」と最初に言われ、俺は分厚い魔道書を渡された。実践に入る前に、ひたすらページをめくらされ、原理と構造を叩き込まれた。物体を圧縮する術は空間操作術という比較的高度な術らしく、特に苦労した。旅に便利だと思って頑張って習得したが、体積は小さくなっても重さは変わらないと知ってちょっとがっかりした。それと同時にあれだけの医療機器数台を運んでいたグレンの怪力に改めて驚嘆した。割と短期間で術を習得できた俺を見て、ユージンは「筋は悪くありませんね」とだけ言った。彼なりの褒め言葉なのだろう。オルグリムを移送する魔法も、努力次第で手に入るかもしれないと言う。そうなったら、オルグリムを連れて自由に旅することも夢じゃない。
ユウマは応急処置を叩き込んでくれた。切り傷や骨折の手当て、薬草の見分け方。しかし、彼の指導は優しげな雰囲気とは裏腹に、容赦がなかった。「怪我人は待ってくれない。モタモタしてると、それだけで命が消えるぞ」と言われ、俺は止血処置をしながら時間を計られた。少しでも遅れると、「遅い、もう出血多量で死んでる」と冷たく言われ、最初からやり直し。焦ると手元が狂い、包帯を巻き直すよう指示される。「適当に巻いておけばいいと思ってるのか? そんなもん、動いた瞬間に外れるぞ」とため息混じりに言われるたびに、悔しさで歯を食いしばった。だが、その甲斐あって、今なら野外で多少の怪我なら何とかできる自信がある。ユウマは最後に、「よく頑張ったな」と微笑んだ。その笑顔が、これまでの地獄の訓練の中で初めて俺を救ってくれた気がした。
こうして、皆の力を借りながら、俺は旅立ちに向けて力をつけて行った。
ある日、オルグリムの様子を見にきたユウマが声をかけてきた。
「なあナギ君、道に迷ったあの時、南の方から感じた気配……あれって、結局あのドラゴンだったんだな」
思わず足を止めた。確かに、あのとき感じた気配は弱く、すぐに消えてしまった。でも今ならわかる。
「とても遠くにいたから、気配も弱かったし、すぐに消えてしまったんですね。まさかオルグリム以外に、ドラゴンが生き残っているなんて……」
俺が言うと、ユウマはにっと笑った。
「で、いよいよ、あのドラゴンを探しに行くんだって?」
「はい。これは俺にしかできないことですから。オルが寿命を迎える前に、必ず探し出して見せます」
「そうか……頑張れよ! オルグリムのことは俺に任せとけ!」
しっかりとその言葉を受け止め、俺は旅立ちの準備を続けた。
朝日が昇る中、荷物を背負い、街を出る。
ひんやりとした朝の空気が頬を撫でた。振り返れば、見慣れた街並みが朝日に照らされている。
さあ、行くぞ。待っていてくれ、オル。必ず探し出して見せるからな。
(終)
最後の竜を探しに 水城透時 @wondersp
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