アルストロ・メリア
月影いる
いつも通りの日常
何か建っていたであろう建物の瓦礫の上に、少女がひとり、佇んでいる。
_ここには何もない。誰もいない。
かつて、世界を滅ぼしたのは二人の少女だった。
「待って!待ってよお!!」
草木生い茂る森の中。息を切らしながら駆け抜ける少女がいた。
彼女の名前は流霊架(るちか)。
青く鈍く光る髪の毛が左目を隠すように覆っている。腰くらいまで伸びていそうな後ろ髪を躍らせながら前を駆ける少女を必死に追いかけている。
「早く早く!先生のところまで競争だよ!」
肩につくくらいのうねる金髪をなびかせながら前をゆく少女は元気よく駆ける。
彼女は千流架(ちるか)。
流霊架と似たように右目を隠すように輝く金髪が覆っている。
彼女は息を切らすことなく、軽快に流霊架のはるか前をゆく。
穏やかな風が頬を撫で、暖かな陽の光が彼女達をあたたかく包み込む今日この日。
「到着ー!!また私が勝っちゃったね!!」
先頭を維持していた千流架が一軒の家の前に到達した時、くるっと振り返り森の中へ向けて大きな声をあげた。
ガチャリ…
ふと、扉が開いた。
「あらあら、随分と早いわね」
中から一人の若い女性が出てきた。
「先生!こんにちは!」
千流架が満面の笑みを浮かべ、元気よく挨拶をする。
「こんにちは。千流架。相変わらず元気でよろしい」
ニコッと優しく微笑みながら女性は言う。
「えへへ。先生に会いたくてそっこーで来ちゃったよ!」
少し照れくさそうにする千流架。和やかな雰囲気が二人を包み込む。
「はあ…はあ…や、やっと着いた…!」
突如として聞こえたか細い声に二人は少しびっくりした後、ゆっくりと彼女の元へ歩み寄る。
「流霊架!もー遅いんだから!毎回私の圧勝じゃあ勝負にならないし…」
少し不満そうに腕組みしながら千流架は流霊架を責め立てた。
「だって…千流架速いんだもん…私走るの苦手なんだよお…」
疲れ果ててその場で倒れ込む流霊架。
青白い肌からは想像できないほど溢れている雫が頬をつたって流れている。
そんな二人を見て、先生と呼ばれる女性はゆっくりと口を開いた。
「流霊架。よく頑張ったわね、お疲れ様」
横たわる彼女の頭を優しく撫でながら微笑む。そして、千流架の方を向き、目線を合わせると、
「千流架。あのね。誰しも得意不得意があるんだよ。自分ができることが相手も当たり前にできると思ってはいけない。押し付けてはいけないよ。」
穏やかな口調で話した。
でもただ穏やかなわけではなかった。何処かしら力のこもっているような、不思議と圧力を感じる話し方だった。
「あ…」
千流架は圧倒されたのか小さく声を溢して後ろへ半歩下がる。
先ほどまで流霊架を少し冷めたような目で見ていた表情とは一変して、戸惑ったような、恐怖を感じているようなそんな表情を浮かべている。
少しの静寂が永遠に感じつつあったその時、千流架が気まずそうに口を開いた。
「あの…先生、ごめんなさい。私、走るの好きで…でも流霊架は苦手なの知ってたのに…流霊架もごめんねええ…」
俯きながら涙ぐんでいる彼女は声を震わせ搾り出すように言う。
それを見た女性は再び優しい笑みを浮かべて千流架の背中をゆっくりとさすった。
「大丈夫。大丈夫よ。そうやって少しずつでも周りのことを、人のことを知って寄り添っていくの。えらいわね。謝ることも、自分の行いを反省することも、誰しも当たり前にできるわけじゃないんだよ。でも千流架はそれができる。すごいことよ」
静かに、穏やかに声をかける。
その頃には流霊架の激しかった呼吸も落ち着きを取り戻していた。起き上がり、
「ううん。大丈夫だよ。私こそ、いつも遅くてごめんね」
少し申し訳なさそうに笑って言う。
それを見て千流架はガバッと流霊架に覆い被さるように抱きついた。二人は地面に勢いよく倒れ込む。
「うわーん!なんでそんなに優しいのお!流霊架は悪くないんだから謝っちゃダメだよお…!」
「ちょ…ちょっと千流架!いた…痛いって!!もー!!」
二人の笑い声と一人の泣き声が混じり再び和やかな雰囲気が戻ってきた。
「これからもずっと…ずっと二人で支え合って生きてね」
優しい眼差しで二人を見ていた女性が微笑みながら小声で呟いた。
その言葉は二人の耳には届いていなかっただろう。
「さて!」
女性がパンッと手を叩きながら大きな声をあげた。
騒がしかった二人も一斉に女性の方をみる。
「お勉強、始めようか」
女性が扉に手をかけながら二人を見て微笑んだ。
「「はーい!!」」
二人の元気な声が響く。
砂煙をパンパンと払いながら二人は建物の中へと駆けて行った。
これが彼女達の日常。
女性の家まで競争して、一緒に勉強をする。
心についてとか、人の気持ちとか、思いやりとか。女性は彼女達にたくさん教えた。
時には一緒に料理をしてみたり、昼寝をしたり。本を読み聞かせることもあった。
そんな穏やかであたたかい日常。
彼女達はこの女性と過ごすことがとても好きだった。
この日もいつものように、二人で女性の家まで競争していた。
そしていつも通り千流架の圧勝。
「流霊架ー!!!私は到着したよー!ゆっくりで大丈夫だからねー!!」
流霊架の姿も未だ見えないがいつも通りに声をかける。
…?
あれ、と千流架は首を傾げた。
いつもなら私の声を聞いた先生が扉を開けて出迎えてくれるはずだ、と。
今日はそれがない。もしかして眠ってしまっているのかな、と千流架はおとなしく流霊架の到着を待つことにした。
木々が風で揺れている音がする。なんだかいつもより心なしか静かな気がした。
千流架はドカッと座り込むと一人、大きく広がる空を見た。
雲がゆっくりと流れ、時々太陽に被さって光を遮ったりしている。
ゆっくりと息をして、目を閉じた。
少し経った頃、遠くからガサっと物音がした。
目を開き、森の方へと視線を送ると流霊架が走ってくるのが見えた。
いつも通りへろへろになりながらヨタヨタとゆっくり走ってきている。
「おーい!流霊架!あとちょっとだよー!!」
すくっと立ち上がると手を空へ突き上げながら応援する。
「はあ…え、えへへ…到着…」
そう言うと流霊架は息を切らしながらニヤッと笑って倒れ込んだ。
「お疲れ様!この前よりも早くなったんじゃない?」
笑いながら流霊架に問いかける。
喋るのも精一杯な流千架は言葉にできないような言語を発しながら地面に突っ伏している。
「ねえ、流霊架。先生が出て来ないんだ。お昼寝でもしているのかなあ?」
流霊架は顔だけ少し動かすと千流架の方を見て扉の方へ視線を送る。
まだ、誰も出てくる気配がない。
女性の家は変わらず静かさを保ち続けている。
少し落ち着いたのか流霊架がむくりと起き上がる。
まだ息は安定はしていないが女性のことが気になっているようだ。
「千流架…先生を呼びに行こう」
おもむろに口を開き、扉の前に立った。そして扉をゆっくりと開け始める。
千流架は少し驚いたような表情を浮かべてから焦った口調で
「待って!先生から勝手に入らないでって言われているよ!昔怒られたでしょ!」
と投げかける。
「そうだけど。でも」
流霊架は止まらない。
千流架は突然の流霊架の行動に困惑している。かつて二人は女性が目を離している隙に家の中に勝手に入ってしまったことがあり、強く注意されたことがあった。それなのに。誰よりも怒られることに恐怖を感じていたであろう流霊架が自分から率先して家の中に入っていったのだ。
「…流霊架。」
少し不安そうな表情で小さく呟くと流千架に続くようにゆっくりと家の中へ入って行った。
家の中は暗くてよく見えなかった。どうやらカーテンが全てしまっているようだ。
いつも見慣れているはずの場所が全く知らない場所のように感じる。
明かりをつけようとスイッチを押すがなぜかつかない。
仕方なく千流架は扉の近くにあった窓のカーテンを開け、外の明るい陽の光を受け入れた。
目の前に流霊架が立ち尽くしているのが見える。
「流霊架…」
歩み寄ろうとした時、今まで暗闇でよく見えていなかった部屋の様子がはっきりと視界にうつる。
そこは、知っている場所ではなかった。
いや、知っていたと言った方がいいのか。壁中に大きな鋭い傷跡がいくつも残っており、二人が勉強に使っていた椅子やテーブルはほぼ原形のないまでに残骸へと成り果てていた。
楽しく勉強していた、そんな過去が存在しなかったかのように、否定するかのように。
ふと、何かを踏んだ気がして千流架は足元を見た。床には元々壁に貼ってあったであろう三人一緒に写っている写真がガラス片と共に無惨にもバラバラに散らばっている。
どうにも例えられないような不穏な空気を感じる。
千流架は止まらない悪寒を感じながら流霊架の方を見る。
「…一体、これは…」
流霊架も現状を理解できていないような虚な表情を浮かべ、ただただ困惑している。
そして、ハッとしたように
「先生…先生は!?」
と焦ったように探し始めた。
この部屋の感じからして不吉な予感は拭えなかった。
千流架も慌てて流霊架に続き、探し始める。
薄暗い部屋の窓を一つ一つ、開けていく。
どの部屋も壁や床、家具は傷だらけで瓦礫や残骸が転がっている。
足元に気をつけながら千流架は女性が無事であることを祈りながら探す。
_ドタッ
何処かから大きな音が聞こえた。
その音の鳴る方へ千流架は急ぐ。
ある部屋の前まで来た時、流霊架の姿が見えた。
部屋の前で膝をつき、呆然としている。
「流霊架!」
急いで駆け寄る千流架の目に焼きついたのは、壁に大きくつけられた傷と大きく広がった血溜まり。
そして_先生だったもの。
相当な衝撃を受けたのか、女性の右腕はもげて体には大きな鋭い傷跡が残っている。
それは深々と、奥の壁の模様が見えるくらいの大きなものだった。
_とてつもないほどの重力を感じる。
寒気なんて通り越して血の気が全て引くような。体が鉛になったかのように重く苦しい感覚が千流架を襲う。
…言葉が出ない。言葉にできない。
こう言う時はどうすればいいのか、わからない。
先生はそこまで教えてくれなかった。聞いたとて、もう二度と、二度と答えてなどくれない。
ただ、真っ赤な血溜まりを作り上げた先生の亡骸を彼女達は見つめることしかできなかった。
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