壇浦兜軍記阿古屋の夢

あまるん

第1話 胡弓の鳴るところ

 これは歌舞伎俳優Aさんの最後の記事の原稿になります。紙面の都合で一部割愛しますが、彼の偉大な功績に対し賞賛を惜しみません。



 ええ、はい、おっしゃる通り私の得意な演目は「壇浦兜軍記ダンノウラカブトグンキ阿古屋アコヤ」でございます。布団のように厚い豪華な打ち掛けを羽織って、帯を鼈甲のかんざしを左に八つ右に八つ。帯は前にだらりと下げて、一羽の孔雀の羽が開く刺繍があります。舞台に出ると孔雀改めトリの降臨なんて言われることもありますね。

 遊君阿古屋を演じるのは私の子供の頃からの夢でありました。


 師匠に稽古をつけて貰っていた、それも確かでございます。でもね、実は私は舞台の上では一回しか演じた記憶が無いんですよ。私の当たり演目で何回も公演している?そうしょうか……。


 筋立てはごぞんじでしょうが、源氏の家人である清廉潔白天下無双の武士の鑑、畠山重忠はたけやましげただ様が、平家の落武者、悪七兵衛景清かげきよの行方を探し、悪七兵衛景清も頼朝様を狙う。


 まあ、男同士で勝手にやればいいと思うのでしょうが、それじゃ歌舞伎になりませんね。


 それで京都の源氏の拠点であった堀川御所にて畠山重忠はたけやましげただ様は、景清の子を身ごもった恋人の阿古屋あこやの取り調べをしようとしている。失踪した恋人の居場所を言えとね。


 阿古屋は誇り高き遊君。遊び女とも言いますが、単に体を売る女ではなく芸事を極めた自由な女なんです。

 ゆえに取り調べを恐れず、きらびやかな遊君の正装で現れる。そう、男たちに取り囲まれて引っ立てられてくるんです。男たちとのダンス?そう、縄一つなく踊りながら御所に連れてこられる最初のところですね。

 あの時はこう教わるんです。着物の格に負けないように女形ですが体をこう張って、帯を押さえて堂々と歩くようにってね。愛しい人の居場所なんて知りませんという顔で。


 畠山重忠はたけやましげただ様と一緒に取り調べする顔の赤い方は岩永左衛門いわながさえもんですね。悪役なんですが、目をテープで貼って浄瑠璃の人形みたいに眉を動かして、あれはね、役者の後ろに浄瑠璃の人形みたいに黒子がつくんですよ。大体お客様は眉毛が動くたびに喜びます。

 でも私はね、あの人形振りを見るとどうにも心がザワつきます。


 話の流れとしては失踪した恋人の居場所を言えとお侍二人に責め立てられるってわけなんですが、通常の責められ方じゃ無い。

 琴、三味線、胡弓と難しい楽器を乱れずに弾いて、心の乱れを見るいわゆる「琴責め」です。

かげというも月のえんきよしというも月の縁、影清かげきよき名のみにて うつせど袖にやどらず」

 と歌います。これはね、恋人である影清かげきよの居場所は知らないって意味なんです。

 

 ここを歌ったとき畠山重忠はたけやましげただ様がぶれていったんです。そう、月が大きくなって……、虹色の光が月の周りに見える気がするんです。衣装と同じ円筒形で、かんざしみたいな形だけどクネクネしたものが長い首にあるような。

 私は一息吸って、左手で竿を抱きしめて調弦し、バチを下げてしん、とした中に声をあげます。

「翠帳紅閨に枕ならべる床のうち、なれしふすまの夜すがらも、…さるにてもわがつまの、秋より先に必ずと、あだことば人心ひとごころ…」

 本当だったらお客様がいる座席を見ているはずが、いつのまにか私の周りを奇妙なものたちが取り囲んでました。

 植物のようにゆらゆらとしていて、着物の袖を鋏にしたようなものたちです。私は彼らの前で一人で三味線を弾いているんです。

 そこがどこだかは思い出せないんですが、私自身も奇妙な手を持ち、そこにバチを持って楽器を弾かなくてはならなかったような記憶があります。何年もただ三味線を弾いていた気がします。


 そして弾いているうちに、これもまた夢現ですが……。

 目の前にもう一つ舞台があってそこで私と同じ姿のものが三つ目の最後の楽器である胡弓をひいている。

 浄瑠璃の人形のような少し浮いた動きでね。

 胡弓のときも心の乱れを見せぬように、衣装の張りと格を保ったまま不協和音を奏でなければならない。

 師匠の教えでは、ここで潔白を晴らす大事な場面。凛とした趣きのままに、最後に衣装を半面ずつみせる、と言いました。お客様がね、拍手をする間を置くために。

 でも、悔しいことに私が三味線を何度やっても胡弓を弾く私の傀儡が最後の拍手を持っていってしまう。

 三味線はね、帝の寵愛を失う中国の官女の謡曲を歌ってます。顧みられぬと歌う私を誰も見ていない。

 この役は当たり役になって夢のような五年間を過ごした、当時私は取材に答えたようですね。……覚えていませんが。

 

 また久しぶりに声がかかったんです。遊君阿古屋役で。

 でもなかなか最後の胡弓を弾き鳴らすところで師匠からの合格が貰えない。

 あの時の人でないような音はどうしたと。闇の中にいるような色気はどうしたと。

−–ちゃんと彼らに聞かせてきたんじゃないかと。

 

 その師匠の言い方で私気づいてしまったんです。

 師匠も見たんだなと。いや、行ってきたのかもしれない。

 

 大体、歌舞伎で私たちはなぜ奇妙な格好や隈取りで演じなくてはならないのか。

 この帯の広げ方や着物の裾の綿の詰め方、このはすに構える女形の立ち方はなにゆえでしょうかね。

 派手な虹色の円筒形の体……、帯の止め方、この鋏のような袖、あの胡弓の音……。

 ここ最近は毎晩寝る前に考えるんです。どうやったらまた行けるのか。この部分は書かないでおくれ。

 ああ、この像はトロフィーでも歌舞伎の道具でもないですよ。その赤い石触らない方がいいですよ。

 今日は取材ありがとうございました。

 来年の2月はまた公演に入りたいと思います。よろしくお願いします。

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