37話

「で、話ってなんだよ?」

「殴った後にそれいうかな、ふつう」

「からかった伊神が悪い。おれ悪くない」

「なに、その理論。まぁ、間違ってないんだけどさ」


「さっきのはけっこう効いたよ」と腹を擦りながら言う伊神に、それはそうだろ、と同意するように俺は頷く。

自分でも信じられないぐらい、凄い音がでたしな。

この小柄な体のどこにあんな力があるというのか。伊神が言っていたことがあながち嘘ではなかったことに驚いた。


「これってさ、やっぱり体が変わった影響だよな?男の時に、こんな威力だせなかったし」

「そうだね。今の君って、半ば人を辞めているからね。身体能力が常人どころか、アスリートすら超えてるんじゃないかな?」

「マジかよ……」


自分の手の平を見下ろし、手をグーパーと閉じたり開いたりするが、全然そんな力があるようには見えない。

鍛えてないでこれだけ強いのに、鍛えたらいったいどうなってしまうのか。

興味と同時に、同じくらい恐怖があった。

無意識にヘタリこむ耳と尻尾。伊神が微かに笑う声がした。


「それも含めて話をしに来たんだ」


顔を上げる俺の視界に、優しく微笑む伊神の顔が映る。


「ナツキ。いま、君の目の前には2つの道がある。1つは人の、もう1つは人外の、この2つがね?」

「そんなこと本当にできるのか……?」

「出来るよ。そこは信じてくれて良い。証拠を見せろ、と言われたら証明はできないけどね」


思わずジト目を向けてしまう。

おい、最後に不安になるようなことを言うなよ。そこさえなければ、不安なく悩めたのに。

抗議するように伊神に言えば、笑い声が返ってくる。


「言っても言わなくても、どちらにしたって不安になってたと思うよ?僕ができるのは口約束しかないんだし。なら、先に言っても問題はないよね?」

「否定できないのが困るな……」


実際、俺自身いわれてなかったとしても不安に感じて聞いていた気がするし。

なら、最初から言われていた方がマシか?

なんとも言えない微妙な表情を浮かべつつも、考えることは今後のことだった。

当初の目的を考えるなら、迷う間もなく人一択だ。そうすれば日常に戻れるし、もう不可思議なことに巻き込まれることもない。

だけど、俺はその選択肢を選ぶことに迷っていた。

それは母さんーーナヨの存在だった。

前世で母さん1人おいて亡くなり、再会したと思ったらまた離ればなれになるなんて、言葉にできないほど辛いはずだ。

目を瞑れば思い出す、俺の死に際に駆け寄る母さんの必死の形相と悲痛な叫び声。

あの時は無知でよく分からないまま亡くなってしまったけど、親不孝なことをしたと、今は申し訳ない気持ちで一杯だ。

親孝行もできないで去るのもどうかと思うし、もう1人にさせたくないと思っている。

なんだよ。答えは最初っから決まってるじゃん。

悩んでたのが馬鹿らしくなる。

俺は1度大きく息を吸って、吐く。

傍らにいる伊神に向けて、空を見上げながら言った。


「俺さ。母さんと一緒に居ることにした」

「へぇ、人に戻りたくないんだ?」


人に戻りたいとも、人外でいたいとも言っていないのに、あっさりと決めつけてくる。

まぁ、間違ってないんだけど。

それでも、こうもあっさりと言い当てられるのはあまり良い気分じゃない。

なんか、まるで分かっていたような反応なんだよな。

母さんにしろ、伊神にしろ、心読めるヤツ多すぎないかと思いつつ、俺は疑問に答える。


「戻りたいよ。戻りたいさ。でも、もう暫くはこの姿で過ごすことに決めんだよ。せめて、親孝行ぐらいしてからでないと戻れない。前世では悪いことしちゃったからな」

「それで人に戻れなくなったとしても?」


その問いには答えず、俺は空から顔を逸らし、ニコニコと笑う伊神に顔を向けて逆に聞く。


「なぁ、それっていつでも出来るんじゃないか?」


ここに来て、初めて伊神の瞳が細まる。


「どうしてそう思ったのかな?」

「疑問は2つだ。1つ目、どうして選択肢が2つしかなかったのか。人に戻せると、伊神は言っていただろう?」

「まぁ、そうだね」

「それってさ、いつでも出来るんじゃないか?」

「へぇ、期限があるとは思わなかったんだ」

「そこで2つ目なんだよ。あんたさ、期限については何も言ってなかったんだよ。あるなら絶対に言ってないとおかしい筈なのに。自覚してたかどうかは分からないけど」

「なるほどね。うん、これは確かに僕が悪いかな?」


もしかして、予想が外れていたかと、身構える俺の前で悩む素振りを見せた伊神は、急にニコリと笑う。


「おめでとう。正解だよ。そう、ナツキの言ったとおり、いつでも出来るよ。なら、どうして視野を狭めるようなことをしたのかって、疑問に思うよね?」


またもや心を読まれた。読心術が使えるなんて聞いてないけど、俺がただ読まれやすいだけなのか。

頷く俺に、伊神は話を続ける。


「ナヨからの頼みなんだ。選択肢を狭めることで人に戻って欲しいってね。それが元からの君の願いでもあるし、ナヨの願いでもある」

「母さんは本当にそれで良いって言ったのかよ?!」


思わず声を荒らげてしまう。胸を衝く強い怒り。伊神が悪くないと分かっているのに、胸ぐらを掴む勢いで迫り責め立てしまう。

なのに、伊神は怒りすらせずに優しく声を掛けてくる。


「縛られて欲しくないんだってさ。ナツキにはナツキの、鏡として、人の生を過ごして欲しいと、そう言っていたよ。生きてることが分かれば、それで良いんだってさ。面と向かって言う勇気がないし、引き留めてしまいそうだからって、僕にお願いしてまでね?」


なんだよ、それ。

思わず力が抜け、倒れそうになり、伊神が慌てて抱きかかえてくれる。

俺は感謝の一言も告げずに伊神の胸に顔を押し当てた。

せっかく、悩んだ末に母さんと居ることに決めたのに、母さんが望んでいないなんて。

長いこと会えなかった子供だぞ?ずっと居たいんじゃないのかよ。

俺の気持ちも考えずに1人だけ満足するなんて酷い母親だ。

あぁ、なのに。ちくしょう。俺を想ってくれる母さんの気持ちが嬉しくて仕方ない。

きっと辛い選択だったろう。スゴく悩んだはずだ。

それでも、俺のためを想って決めてくれた母さんの想いが、優しさが心に染みる。


「ぁあ」


溢れだす涙。止めようなんて、止められるなんて考えられなかった。

そんな余裕はなかったし、溢れだす感情が思考を奪う。

わんわんと泣く俺を、伊神はそっと抱き締めてくれた。

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