36話

逃げ出した俺は気がつけば社の前へとやってきていた。

別に、狙ってここに来た訳じゃない。ただ、なんとなくここに来ただけ。

社の階段を登り、中程の位置で後ろを振り向く。

目の前に広がるのは、広い境内と大きな鳥居、そして森の木々。夜のため山下の光景は見れないけど。でも、あのとき母さんが見ていたのはこんな景色だったんだな。

そのことが嬉しかった。思わず笑みを浮かべ、俺は階段に腰かける。

たしか、こんな感じに座っていたはずだ。

初めてあった時、母さんはなんて言ってたっけ。


「はぁ、たった数日前のことなのに思い出せないな」


記憶力に自信はないけど、それでもインパクトのある出会いだったから覚えてるもんだと思ったけど、ここ数日が濃すぎたんだよな。

母さんの出会いから、村の件まで、一生に1度あるかないかの出来事を立て続けに経験した。

まさかこうなるとは、あの時は俺は知らなかっただろう。なんて、テンプレ染みたことを言う日が来るなんて。人生なにがあるか分かったもんじゃない。


「あっ、これもテンプレか」


思わず声をあげて笑ってしまう。気晴らしついでに空を見上げれば、あの時と変わらない綺麗な夜空が広がっていた。

そういえば、ちゃんと見たのはあの日以来だっけ?今までは見てる余裕なかったもんな。

空に向けて右手を伸ばせば、幼くも綺麗な手が影を作る。

この姿にもすっかり慣れてしまった。最初はあれだけ困惑したのに、数日もあれば慣れてしまうんだと、人の適応力の高さに感心する。

いや、今は人と言えないか。下ろした右手で優しく耳を触る。

いまだに耳の位置には違和感を感じるんだよな。

あるべき場所にないというのは、数日では慣れない。

それに尻尾も。ゆるりと揺れる尻尾を軽く叩く。


「お前、もう少し自制心を持てよな」


ないから小っ恥ずかしい目にあったんだぞ、と尻尾を叱る。

誰かに見られていたら確実に変な目を向けられるが、今ここにいるのは俺だけだ。なら、多少へんなことをしても問題はないだろう。

そんな風に尻尾と戯れながら夜空を見ていると、砂利を踏む足音がした。

俺がそちらを振り向けば、その先に立っていたのは伊神。

周囲を伺うが、伊神の他には誰も居なさそうか。


「からかいにでも来たか?」

「僕はそれでも良いんだけどね。今回は真面目な話だよ」

「だろうな」


今の伊神からはからかう雰囲気がなかった。

その時点で察してはいたけど、口にされたことで確信した。

向き合うように立ち上がろうとした俺を伊神は手で制止して、そのまま社の階段を登り俺の横に腰かける。


「中々いい景色だね。毎日この光景が見れるナヨが羨ましいよ」

「なら、ずっと居れば?」

「ははっ、そうしたいのは山々だけど無理なんだ。ごめんね?」

「うざっ」


両手を顔の前で合わせて小首を傾げて謝るとか、煽ってるとしかおもえないんだけど?

抗議するように伊神の腹を小突く。ちょうど良い高さにあったからやってみたけど、思ったよりも効いたみたいで伊神が腹を抱える。


「いたっ。君、だいぶ母親に似てきたね。これ、世界取れるよ。世界」

「それ褒めてるのかよ」


俺が呆れてため息を吐けば、伊神は「ほんとほんと」と言いながらけろっとした表情で顔をあげる。

全然ピンピンしてるじゃん。なにが世界が取れるだよ。敵1人にまともなダメージ与えられてない時点で、世界は取れねぇよ。

胡乱げな眼差しで見れば、伊神は慌てて両手を振って否定する。


「嘘じゃないって。そもそも、比べる相手がおかしいよ。僕を普通の人と同じじゃないからね。普通の人ならそのパンチ1つで弾け飛ぶよ」

「そんな危ないはずないだろ!?」


この子供の腕のどこに、そんな破壊力を秘めてるっていうんだよ。

自分の腕を指差して抗議するが、伊神は優しく笑うだけ。逆にそれが信憑性を増して不安になる。そんな訳ないよな?


「さて、茶番はここまでとして。本題に入ろうか」

「ーーーなぁ、1発いいか?」

「ん?それはどういう……」


伊神の返事は待たずに俺は構えを取り腕を振り抜く。いわゆる正拳突きという技で、腕を後ろに引いた状態から力をこめて相手を貫くわざだ。

目標は言うまでもなく伊神。場所は腹だ。


「世界を取れると言ったよな?なら、お前で試させてもらう!」


この拳に籠めたのは伊神に対する鬱憤。自分が出せる限界まで力を籠めて繰り出された拳は無防備な伊神の腹に当たり、ドン!と衝突音を辺りに響かせた。

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