34話
息も絶え絶え、地面に仰向けになって荒い呼吸を落ち着ける。
「あれ……どんだけ……不味いんだよ……」
「はは!良薬は口に苦し、と言うじゃないか。治るためには必要な犠牲だよ」
「それはそうなんだけどさ……」
にしたって、苦い、不味い。この世の味じゃない。
あやうくあの世に行きかけるところだった。
それでも生きているあたり、死なない程度には調整してくれたんだと思う。
なら味を美味しくしてくれ、と思わないでもないが、終わったことを今さら気にしても仕方ない。
「待たせーー何をしたのじゃ、伊神」
タイミング良く、もしくは悪く、母さんが帰って来た。
戻ってそうそう、俺の状態に気が付いた母さんはキッと伊神を睨み付ける。
「治療を、ね。それより早かったね。もう良いのかい?」
「妾達にはそれだけで充分じゃ」
「後悔が残らないのなら良いよ。ナツキ、これから君の母親を天に送るけど、もう少し休んでからにするかい?」
「いや、大丈夫だ」
2人が話してる間に呼吸は落ち着けた。
そうは言っても倦怠感は消えないため、のっそりとした立ち上がりになってしまったが、見送るだけなら支障はない。
問題ないと言葉だけではなく、体で示せば伊神は笑みを浮かべた。
「じゃあ、さっそく行こうか」
伊神を先頭に再び戻って来た俺達は家の中には入らず、その入り口で止まった。
てっきり中に入ってやるもんだと思っていた俺は予想が外れ、伊神に問い掛ける。
「中には入らないのか?」
「入らないよ。この家と一緒に行きたいそうだからね」
「この家と?」
「ずっとここに居ったからのぉ。もはや体の一部のような物じゃ。逝くのなら大事な物と逝きたい、それは人は出れしも抱く物だとは思わぬか?」
大事な物。その言葉にズキリと心が痛む。
悪意あっての言葉じゃない。それは分かってる。
だけど、その中に俺が居ないんじゃないかと感じてしまう。
それは違うと分かっているんだ。
持って行ける物の中から選んだだけだと。それでも、俺じゃないのかと、悲しみが心を襲う。
これは醜い嫉妬だ。誰よりも、息子の俺よりも長く、一緒に居た家に俺は嫉妬してしまう。
家に嫉妬するなんて馬鹿だと、俺自身、思ってる。
この気持ちを表す言葉が見つからない。
それでも文にするのなら、兄弟に親を取られた子供の気分だ。
自分がこんなに嫉妬深いなんて、この時まで気が付かなかった。
これは果たして家庭環境のせいか、生来のものなのか分からない。
モヤモヤとした気持ちで家を見詰める俺の頭に手が置かれる。
「可愛らしい嫉妬じゃのぉ」
「可愛らしいもんじゃない。醜い嫉妬だ」
「ふはっ!自覚できてるだけナツキはマシじゃ。世の中には気づくことも出来ぬ者が多い。其奴らに比べたら、可愛いものじゃよ」
「そうかよ……」
母さんには何を言っても通じそうにない。
これが年の功か、なんて思えば頭を小突かれる。
「ただの体験談じゃ」
それ、ほとんど意味が変わらない。とは思うが、口に出したらいけないのだろう。
それを言ったら考えることもそうだが、ツッコまれることもなかった。
安堵の溜め息を吐き、ふと気付く。
さっきまであった嫉妬がなくなっている。
あんなにモンモンとしていたというのに、あっさりと消えてしまった。
思わず笑う。
「ありがとう、母さん。お陰でスッキリした」
「妾は何もしとらん。ナツキ自ら解決したのじゃよ」
「なら、そうしとく」
「解決したのなら、さっそく始めても良いかな?」
タイミングを狙って伊神が会話に入る。
待たせてごめん、と謝れば気にしてないと伊神は笑う。
「そもそめやるのは僕じゃないしね」
「は?」
ここまでやる雰囲気だしておいてやらないのか?
思わず口をあんぐりと開いて見詰めてしまう。
「じゃあ、任せたよ、ナヨ」
「最後ぐらい、妾の手で送ってやりたいからの。ナツキ、伊神、下がっておれ」
いつになく真剣な声。
咄嗟に後退れば、横目で確認した母さんが声を発する。
厳かで神秘的な声で読み上げられる言葉は分からない。
唯一分かるのはそれが歌であることだけ。
場に満ちる神聖な空気。
涼やかな空気が頬を撫でる。
この空間にあってなお、爽やかさを感じる空気を。
ゴクリと鳴る喉。これから起こることに、母さんの姿に俺は畏怖した。
曲調が変わる。厳かな物から軽やかな物へと。
異変。この地に留まる救い切れない魂が解放され宙に浮く。
その姿がハッキリと目視できた。
魂だけの姿で顔は見えない。
だけど、とても清々しい笑みを浮かべていると、何故だか分かる。
終盤。地震と共に空間の崩壊が始まる。
あまりの震動に思わず尻餅を付き空を見上げた。
遥か遠く、頭上に入る大きな亀裂。
真っ白い線が走り、その先に青空を覗かせる。
終演。母さんが唄い終わると同時に視界全てが白に覆われる。
咄嗟に目を閉じるが、それに何の意味もなかった。
無音。白い世界で俺はただの1人ぼっちだった。
周囲に人の気配はなく、いつまでこうしていれば良いのかも分からない世界。
終わりの来ない世界に恐れを抱き始めた頃、突如体が揺さぶられる。
驚きからびくりと体が震え、それからゆっくりと目を開ける。
「へっ?」
思わず漏れ出た間の抜けた声。
だが、それも仕方ないと思う。
気が付いたらそこは見知らぬ森の中だった。
先程まで居たあの空間も、家も、何処にも見当たらない。
慌てて周囲を見渡せば、すぐ近くに母さんと伊神の姿。
2人に俺は慌てて聞く。
「なあ!さっきまで居たあの空間は!?母さんは!?夢だったのか!?」
母さん達は顔を見合せ笑った。
「大丈夫じゃ。あれは夢でもなければ幻でもない」
「そうそう。ちゃんと残った彼等も、君の母親も送り届けることが出来たから安心しなよ」
「良かったぁ~」
思わず体の力が抜ける。
あれが夢じゃないと、ちゃんと救うことが出来たのだと、知ることが出来て安堵した。
やっとこの因縁が終わった。
まだ病魔が残ってるとは言え、1つの決着を付けることができた。
その事実を噛み締めるように2人に向けて言う。
「助けてくれてありがとう!」
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