4畳半の閉ざされたセカイ

六伍六

プロローグ

ひと月前、婆さんが逝った。 七十六歳――老衰と呼ぶには少し早い。その命を削り取ったのは、静かに蝕んでいた病だった。

婆さんは穏やかな人だった。どこか神秘めいた空気を纏い、孫のミナがよく「お婆ちゃんって不思議ちゃんだよね」と笑っていたのを思い出す。本を愛していた。病床に伏してなお、「本を持ってきてくれ」と俺に頼んだ。その声はか細かったが、瞳の奥には変わらぬ知の渇望が宿っていた。

「私が死んだら、部屋には入らないで。」

それが婆さんの遺言だった。

あの四畳半には、婆さんが大切にしたものたちが眠っているのだろう。着物、手紙、読みかけの本――誰にも触れさせたくなかったのかもしれない。その思いを噛みしめるたび、遺された言葉の重みが胸に響いた。

墓前に花を供え、俺は膝を折った。夕陽が墓石を朱に染め、風が枯れ草をそよがせる。静寂の中に婆さんの気配を感じながら、そっと呟く。

「婆さん、今日も部屋には入ってねぇぞ。嘘じゃねぇよ。お前に言われた通りだ。最後まで守り通してやるつもりだ。」

自嘲気味に笑うが、その笑いは空っぽだった。

五十二年寄り添った妻を失った痛みは、いまだ俺の胸にぽっかりと穴を開けたままだった。墓石に触れた指先が冷たい。その冷たさが、寂しさと重なる。

「じゃあな、婆さん。また来るよ。」

踵を返す。夕陽が背を染め、長く伸びた影が地面に溶けていった。

婆さんのいない家へ帰る。今日も四畳半の小さな部屋を守りながら、静かに日々を重ねていく。

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