軍神エオティリス、宵闇の地に舞い踊る

秋犬

果てなき夜明けに希望を繋いで

 夕暮れが近づく人気のない山道を、一台の馬車がひっそりと通り抜けていた。革命軍の攻撃が続くアッセリアの国内は荒れ果て、国境は不気味なほど静まり返っている。寂しい峠道を行く馬の蹄の音が、とぼとぼと響いているばかりだ。


「おっと、ちょっと待ちな」


 突然現れた男たちに驚き、馬車の御者は慌てて馬の手綱を引いた。武装した男たちはあっという間に馬車を取り囲んだ。


「何、命まで取ろうって言うんじゃねえ。積み荷をちょいとばかり置いていってもらえねえだろうかってお願いしたいんだ」


 一気に間合いを詰めた野盗のリーダー格と思われる男が、御者の喉元に剣を突きつける。


「ひ、ひいい! しかし、命ばかりは、しかし……」

「何をごちゃごちゃぬかしてる。さっさと失せやがれ」


 御者が急いで逃げ出したところで、野盗たちは慎重に馬車の客室の扉を開けた。


「誰です!?」

「しっ、声をお出しにならないで」


 馬車には、女が二人隠れていた。金髪の少女と、銀髪の中年の女であった。少女を庇うように中年が覆い被さっていたが、野盗たちによって二人とも馬車の外に引きずり出されてしまった。


「へっへっへ、上物が手に入ったぜ」

「あなたたち、こんなことをして許されると思っているの!?」


 少女と引き剥がされて、中年女性が叫んだ。 


「エオティリス、助けて!」


 少女からエオティリスと呼ばれた中年女性は、きっと野盗のリーダー格を睨んだ。


「おやおや、ババアひとりで何が出来るっていうんだ?」

「それとも、俺たちに一人で相手しようって言うのか?」


 野盗たちは声を上げて笑った。こちらの数は、約二十人。それに対して、中年女性は落ち着き払った態度で臨んでいた。


「いいでしょう。貴方たちなど、私ひとりで十分です」


 それを聞いて、野盗たちはまた一斉に笑い出した。


「このババアふかしやがって!」

「どれだけヤり手なんだ!?」


 油断した野盗たちの隙をついて、エオティリスは馬車の方へと掛けだした。それから馬車の下に手を入れ、剣を引き出した。


「おいおい、ババアが俺たちの相手かよ!?」

「お手柔らかに頼むぜ!」


 エオティリスに一番近い男たちが剣を構える前に、エオティリスは野盗たちの間合いに踏み込んでいた。そして躊躇なく、二人に剣を振るい突き飛ばした。


「何っ!?」


 野盗たちの間に、ざらりとした緊張が走った。


 ――この女、只者じゃない。


「……エオティリス、聞いたことがあるぞ」


 野盗のうちのひとりが呟いた。


「アッセリア国の伝説の女騎士団長、通称軍神エオティリス。随分前に現役を退いたと聞いていたが、まさかこんなところでお目にかかれるとは」


 エオティリス・スフェナコ。かつて軍事国家として名を馳せたアッセリアにおいて、騎士団長の名を女の身で受け継いだとされる女傑と知られていた。容赦のない鋭い剣の腕は他を寄せ付けず、王家からも強く信頼されていたという。


「……となると、連れの女はもしや」


 エオティリスに庇われている少女の胸元に輝くペンダントには、アッセリア王家の紋章が刻まれていた。


「……ユーシャンベル王女か」

「王都が革命軍の手に落ちたと聞いていたが、まさかこんなところでお目にかかれるとはな」


 野盗たちの目がギラギラと光った。アッセリア国はその圧政により王都を革命軍に包囲されており、陥落も時間の問題であった。そこへ飛び込んできたお忍びの王女と護衛は、この上ない格好の獲物であった。


「少しでも王女様に近づいてみな。みんな剣の錆にしてやる」

「構うものか。相手はひとりだ、かかれ!」


 リーダー格の合図で、野盗たちは一斉にエオティリスに斬りかかった。


「私を誰だと思っている!?」


 野盗たちがエオティリスの退路を塞ぐより先に彼女は後方に飛び退き、彼らの剣を空振りさせる。


「何!?」


 攻撃が外れたことで虚をかれたひとりの背後にエオティリスは回り込み、背中に大きな一撃を加えた。


「このクソアマが!」


 エオティリスは振りかざされた剣を受け、返す剣で二人を倒した。かつて稲妻に例えられたエオティリスの剣の速さと鋭さに野盗たちは慄き、間合いをとった。


「これで五人、こちらはひとりだが?」

「ええい、王女さえもらえればこっちのものだ! やっちまえ!」


 一斉に飛びかかってきた野盗たちの真ん中で、エオティリスは剣を構え直す。


「来るなら、来い」


 エオティリスは野盗たちの剣を次々と弾き、その身体の中心に剣を叩き込んでいった。


「王国騎士団の早朝鍛錬より生温いぞ」

「クソっ、ババアのくせに!」


 大勢が倒れた今、残されたリーダー格は意地でエオティリスに食ってかかった。


「お前は少し、骨があるようだな」

「よくも舐めやがって!」


 リーダー格の剣をエオティリスは受ける。中年女性とは思えない膂力りょりょくにリーダー格は慄き、どうすればエオティリスに勝てるかを必死で探った。


「私は剣を持つ者には妥協しない。全力でかかってこい」


 リーダー格も多少の剣技の心得はあった。しかし、どこへ剣を放っても隙のないエオティリスには先回りされる未来しか見えなかった。


「ええい、ままよ!」


 男が女に勝てるのは腕力である――そう判断したリーダー格は真正面からエオティリスに飛びかかった。いくらエオティリスとはいえ、本気の男の力には敵わないとリーダー格は判断した。


「なるほど、悪くない」


 再びエオティリスは後方に大きく下がった。更にリーダー格は踏み込んできたが、エオティリスは後退を続ける。思いがけない動きにリーダー格が翻弄されたところで、エオティリスは剣を構えた。


「大きな力は空間に解き放つべし、そう私は教えている」


 横から入ったエオティリスの剣撃を、前方に気をとられていたリーダー格はよけきれなかった。脇腹に一発、そして胸に大きく一撃をもらってリーダー格も倒れた。


 盗賊たちを倒したエオティリスが顔を上げたとき、王女の悲鳴がこだました。王女を拘束した男は、ひとり不適な笑みを浮かべている。


「ご苦労でした、エオティリス」


 盗賊団だとばかり思っていた男たちであったが、そのうちのひとりはリーダー格の命令に背いて、後方でエオティリスに隙が出来るのを待っていたようだった。


「お、王女様……!」


 エオティリスは再度剣を構える。


「アッセリアの情勢が悪くなったと聞いて、国境を張っていた甲斐がありました。ここを王女様が通られると情報が入ったもので、大勢引き連れてやってきてみれば大当たりじゃないですか」

「貴様……バージェス国の間者だな!?」


 アッセリアは革命軍の攻撃に晒されていたが、その革命軍を支援しているのはアッセリアを攻略したい隣国のバージェス国でもあった。


「流石、元騎士団長ですね。でも、あくまでも『元』ですよね」


 エオティリスは間者の隙を探った。しかし、それまでの野盗くずれとは違いバージェス国で完璧な教育を受けた間者の剣技の腕は桁違いであった。それに圧倒的な力の差があったとはいえ、二十人前後の人数と斬り結んだ後のエオティリスは体力的に不利であった。


「この手を離しなさい!」

「王女様、僕がしっかりお連れしますから大人しく馬車に乗ってくださいね」


 エオティリスは何とか剣を叩き込めないか、間者の隙を探った。しかし、間者はエオティリスとの間に王女を挟んで隙を見せることはなかった。そうこうしている間に、間者は王女を攫おうと馬車のほうへ向かう。


「助けて! エオティリス!」


 王女の悲鳴に、エオティリスは歯がみする。その悔しそうな顔を見て、間者は自身の勝利を確信した。


「流石の軍神エオティリスも、人質がいれば手も足も出まい。王女も守れない騎士団長など、何の役にも立たないな」


 そう宣言して、間者は王女を馬車の客室に投げ込んだ。エオティリスは、動くことができなかった。


「王女様!」

「残念だったなあエオティリス! 僕の勝ちだね!」


 間者が客室の扉を閉めようとしたとき、それまで大人しくしていた王女が扉を蹴り上げ、間者に飛びかかった。


「っざけるなあ!!」


 王女の手はいつの間にか短刀が握られていた。咄嗟に間合いをとった間者はたかが王女と一瞬侮ったが、即座にその考えをうち捨てた。


 ――この女、王女ではない!?


「本当にクソだからアッセリアの悪口ならどれだけ言ってもいいけどな! ババアの悪口だけは許さないんだから!」

「カセーア、よしなさい」


 エオティリスからカセーアと呼ばれた少女は、客室から飛び出して短刀を捨てた。そして野盗たちが持っていた剣を拾い上げ、間者と対峙する。


「お、囮だと!?」

「ああ、バージェスの連中も国境の外で手ぐすね引いて待ち構えているのはわかっていた。ただでさえ革命軍の奴らは王家の命を狙っている。とにかく彼らを欺くのが我々の責務だ」


 エオティリスの声が夕暮れの峠道に響いた。


「そこで偽王家の情報をあちこちに流し、本物の王家には別の道を行ってもらうことになった。まさかこんなに簡単に引っかかるとは……バージェスも大したことないな」


 エオティリスとカセーアは再度剣を構えた。それまで王女のふりをしていた少女の殺意は、止めどなく間者に注がれていた。


「畜生! 女二人に何が出来るっていうんだ!」


 間者は先に消耗しているエオティリスを倒そうと剣を構えた。しかし、そこにカセーアが割って入る。


「二人じゃない……一人だよ」

「どけ! 女のくせに生意気だぞ!?」


 間者はカセーアを斬り倒そうと次々と剣を繰り出した。アッセリアを倒すために幼少期から剣技を叩き込まれていた。ここで若い女に負けたとあっては、今までの苦労が水の泡だ。


「あんたも苦労したんだね、でもアタシだってそうさ」


 カセーアの剣に力が入った。孤児であるカセーアは、幼少期から暗殺者としてアッセリアで秘密裏に育てられてきた。しかし任務に失敗したことで殺されそうになっていたところを救ったのが、エオティリスだった。


『こいつは私の元で再教育して、必ず役に立つ人間に仕上げると約束する』


 その日から、カセーアはエオティリスに一生を捧げる覚悟を決めた。結婚をしなかったエオティリスもカセーアを娘のように可愛がり、誰よりも厳しい稽古をつけた。


「だからね、アタシはこのババアを悪く言う奴だけは許さないんだ!」


 カセーアの剣が間者を追い詰めていた。少女と侮っていた者に遅れをとったことで、間者の剣に次第に焦りが混じり始めていた。カセーアの剣を受けてじりじりと後退する間者の背後に、更に強い殺気をまとったエオティリスが現れた。


「そろそろ終わらせよう。名誉ある犬死にか、屈辱の撤退か選べ」


 カセーアとエオティリスに挟まれて、間者は剣を下げた。彼女たちの目的は陽動であるため、これ以上の戦闘は無意味であった。


「……次に会うとき、絶対貴様らを殺す」

「それなら名前を教えてくれよ、アタシはいつでも待ってるからさ」


 まだ構えを崩さないカセーアを、間者はきっと睨み付けた。


「アデーロだ。覚えてろ」


 そう低く呟いて、アデーロはひとり横へ飛んで姿を消した。しばらく辺りを警戒していたエオティリスとカセーアだったが、他に追っ手がいないことを確認して剣を下ろした。そうして、まだ立ち上がれないでいる野盗たちには目もくれず馬車へと戻った。


「へへへ、うまく行きましたね」


 真っ先に逃げ出したはずの御者が、いつの間にか戻ってきていた。


「ああ、貴殿の情報操作のたまものだ。感謝する」

「なあに、鬼の軍神エオティリス様に言われちゃあ敵わないな」


 エオティリスたちの他に、陽動部隊はあちこちに放たれていた。その馬車には全てアッセリアの精鋭部隊が乗り込み、事前に逃走の計画がいくつも漏れたように見せかけていた。今頃、何事もなければ王家の一族は無事に海の上にいるはずだ。


「しっかし、バージェス国が直々に出張ってくるとはついてないですね!」

「いや、おかげでカセーアの本気も見れて楽しかったぞ」

「あ、そうやってまた子供扱いする!!」 


 馬車に乗り込んだエオティリスとカセーアは、そのままバージェス国へ進むことになっていた。アッセリアに戻っても彼らを待ち受けているのは革命軍による処刑だけであるなら、いっそ二人とも別の地で暮らした方がいいというアッセリア王家からの温情であった。


 バージェス国も王家ではない彼女たちを拘束する理由はなく、二人は国々を巡って遠くの地へ移り住むことにしていた。


「しかし、これからどうするってんだよ。アタシ人殺ししかできないよ?」

「ふむ……それでは、本格的に裁縫でも習ってみるか?」

「えー! 針は勘弁だよ!」


 客室で悪態をつきながら、カセーアはエオティリスの腕をしっかり握っていた。母の温もりを知らないカセーアにとって、エオティリスは安らぎを教えてくれた唯一の女性であった。


「よかった、ババアが無事で」

「そのババアというのを止めないか、私にはエオティリスという名前がある」

「やだよ、アタシはアンタが好きなんだから好きにさせてよ」


 揺れる馬車の中で、カセーアはエオティリスの温もりを求めた。エオティリスはカセーアをその腕に抱えて、額にキスをした。


「よく頑張ったな」

「はあい、ふふふ」


 二人を乗せた馬車は夜道を進んでいた。しかし、その先が明るいことをエオティリスは確信する。カセーアという未来を手に入れて、エオティリスもカセーアと同じように優しく微笑んだ。


〈了〉


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