先輩は変わった

葉生

第1話

就活は嫌いだ。

思ってもいない美辞麗句を口にするのは、まあいい。自由時間をどんどん奪われていくのも、まだいいだろう。しかし、なんども不合格になる――いわゆる「お祈り」メールを受け取るのは、想像以上に応える。あたかも、自分には価値などないような、ぐずぐずと生きていくしかないような、そんな絶望的な気分にさせられる。


(そういえば、あの先輩は……)


こういう気分になると、私は一人の先輩を思い出す。美しかった、かっこよかった一人の先輩を。


その人、夕菜先輩とどこであったのか、今でもよく覚えている。大学生協の書店だ。ついでに言えば服装まで覚えている。彼女はレザーのジャケットに、スリムなデニムパンツをはいていた。この2つは彼女のすらりとした姿によく似合い、それはそれは見ごたえがあった。……それはともかく。

私は大学生になったのだから、本でも読まなければという思いに駆られ、書店を当てもなくさまよっていた。とはいえ書棚は広く、ざっと見ただけでは何を読めばいいのかわからない。すると、夕菜先輩が声をかけてきた。

「君、新入生?」

「は、はい」

かなり裏返った声だったと思う。夕菜先輩はそれを聞き、微笑むと(なんと罪な微笑みだっただろう)、棚の本を勝手に紹介し始めた。

「新書コーナーを選んだのは良い選択だ。ここは入門者向けの本が多いからね。とはいえ、それでもおすすめの順番というものがある……」

夕菜先輩は私を振り返って、専攻を聞いてきた。

「中国文学科です、文学部の」

「中文か、ふむ」

それを聞くと、本棚から素早く何冊かの本を取ってきた。

「例えば、この『李白と玄宗』は良い本だけれども、難解で専門用語も多い。初心者にお勧めなのはこっち、『魯迅から劉慈欣へ』とか『漢詩を知るための52章』とかかな」

「は、はぁ……」

促されるままに、とりあえず『魯迅から劉慈欣へ』という本を読んでみる。……なるほど、ちゃんとした内容の割にそんなに難しくなさそうだ。これなら何とかなりそう。暗闇の中に、一筋の光が差したような気分になった。

「あ、ありがとうございました!」

私は上ずった声でお礼を言った。対する夕菜先輩は、「なに、いいよいいよ」といって、大して気にも留めていないようだ。

「可愛い後輩のためなら、これぐらいはね」

「後輩、って……?」

「申し遅れたね」

夕菜先輩は芝居がかった動作で一礼すると、私に向き直った。

「あたしは宮城夕菜。この大学の3年生。専攻は中国文学。……一応、あなたの先輩ということになる。よろしくね、後輩ちゃん」

「よ、よろしくお願いします……」

これが、私と夕菜先輩の付き合いの始まりだった。


……


数日後、私は中国文学科の研究室にいた。理由はもちろん、夕菜先輩に会うためだ。

「先輩、先日はありがとうございました」

「ん」

興味ない風に、夕菜先輩は生返事をする。それでも失礼とは感じないのだから、これも一つの才能かもしれない。と、夕菜先輩は近くの机を指さした。

「それ、私の机」

見ると、何冊もの本が積みあがっている。中国文学や歴史の本が多いみたいだけど、他にも様々なジャンルの本があった。

「私は研究室の雑用を請け負う代わりに、机ひとつと、研究室の本棚を自由に使う権利を与えられている……いわば封土だね、その机は。わが研究室は身をもって中華帝国を体現している、というわけさ」

「はぁ……」

いまいちよくわからなかったけれど、中国文学科での夕菜先輩の立ち位置は分かるような気がした。自由、独立、ついでに知的。なんと素晴らしいものだろう。これこそ私の想い描いたキャンパスライフそのものではないか!

「先輩」

「何だい?」

夕菜先輩はゆっくりと、私の方を向く。私は一瞬怖気づいたが、それでも、言った。

「どうしたら、先輩みたいになれますか?」

長い沈黙があった。やがて夕菜先輩はぽつりと答えた。

「一朝一夕にできることではないね、それは」

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