2.謎の少女たち

 細い道を通り、高架下のトンネルに差しかかる。

 トンネルの中から女性たちの話し声のようなものが聞こえる。

 ヤンキーだったら迂回を考えるが、そうじゃないならこのまま通過してしまって大丈夫だろう。

 そう判断し、右に折れ、トンネルの入り口を通過しようとしたところで、

 俺はその光景を目にした。

「……っ」

 息を呑み、思わず、足を停める。

 なんと、トンネルの中は壁やら地面やらが半壊していた。

 素早く視界を動かして確認するも、潰れた車などは見当たらない。事故が起こったわけではないようだ。

 しかし、ならば残る可能性としては重機でも使わない限り、こんな有り様にはならない。

 このトンネルは家からコンビニに向かうときに一度通過している。行きしなに見たときには工事中の貼り紙はなかった。いつも通りの正常なトンネルがあっただけだ。

 トンネルには二人の女性がいて、こんな異様な光景の中で平然と会話をしていた。

 二人の女性のうち、一人は小学生くらいの年齢だ。

 その顔立ちと桃色の髪の毛から西洋人だとわかる。

 もう一人は日本人で、年齢は二十歳前後だろうか。

 すらりと背が高く、スタイルが良い。おまけに眼鏡をかけていて、美人だった。

 彼女のほうは普通のスーツ姿だったが、少女の装いは異質だった。

 黒色の蔦のようなものが幾本も首の辺りまで伸びており、それが網目模様を作って、全身が網タイツのようになっている。

「ほら、もうさっさと任務を終わらせちゃいましょう」

「わかってるわよ、ていうか、私に指図しないでくれない? 組織の立場で言ったら私のほうが上なんだから」

 眼鏡の女性が先に喋ると、それに対し、少女のほうが上から目線に言い返す。

「わかってますよ、あなたはスペシャルナンバーですから」

「ふん」

 西洋人だが、少女の日本語は使い慣れているみたいに流暢だ。

 対照的な二人だな、と思う。

 いや、そんな呑気なことを考えている場合ではないだろう。

 こんな異質な空間からは一秒でも早く立ち去るべきだ。

 彼女らが何者なのかはわからない。新手のギャングかもしれない。

 だが、何者であったところで関わるべき存在でないのは明らかだ。

 引き返そうと思ったところで、俺はもう一つの異質な物の存在に気づく。

 トンネルの真ん中にタコのような形をした真っ黒な物体が落ちていた。

「くたばりなさいっ!」

 掛け声とともに少女はその黒い物体に向かって、野球ボールくらいの大きさの球体を投げる。

 当たると、黒い物体は渦潮のような螺旋を描きながら、瞬く間にボールに吸い込まれていった。地面にはそのボールだけが残る。

 ビニール袋を掴んでいた手が思わず緩む。

「任務完了!」

 少女がそう言うのと同時にビニール袋が落ちた音が響いた。 

 少女はこちらを振り向く。

 俺も目を見開いた。

 彼女らの奥の壁に、さっきの黒いタコと同じ性質の物体が張りついているのが見えた。

 大きさはさっきのよりは格段に小さい。米粒くらいだろうか。

 それがこちらに飛んできた。

 俺はなす術もなく、硬直する。

 驚愕する少女の目の前で、その黒い物質は俺の口の中に飛び込んだ。

「……ん、ごくんっ」

 反射的に呑み込んでしまった。

 遅れて、眼鏡の女性がこちらを振り向いた。

「どうしたんですか?」

 驚愕の表情を続ける少女に問いかける。

「こ、こいつ、今、クロアメーバを呑み込んだのよ」

「そんなことあるわけないじゃないですか。それが本当だったら今ごろ人としての原型を留めていませんよ」

「でも、本当なのよ!」

 二人は何か言い争いをしているみたいだ。

 いや、俺のことか。

 非現実的なことの連続に現実感が追いついていない。

 二人とも、今さっき俺が呑み込んでしまった、よくわからない物質について、話しているのか。

 クロなんとか、とか言ってたっけ……。タコじゃないのか?

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 早くどうにかしないと。

 早く逃げないと。

 直感的にそう思った。

 俺が何も言わないでいると、眼鏡の女性のほうも訝しみ始めた。

 綺麗な切れ長の目を細くして、射抜くように俺を見つめる。

「一応、拘束しておきましょうか」

 眼鏡の女性が提案する。少女は端からそのつもりのようだった。

 ヤバい。

 状況の把握は何ひとつ出来ていないが、とにかくここにいてはいけない。

 トンネルに背を向け、全速力を振り絞る。

 すると、一歩目でつまずいた。

 暗い中で足場がよく見えていなかった。

「待ちなさいっ!」

 後ろから少女の怒声が響くのと同時に俺は転倒する。

「痛ってぇ……」

 尻餅をつきながら少女らのほうに目をやる。

 全身を覆う網目模様が欠陥のようにドクドクと脈打っている。

 少女はその場で膝を腰の位置まで上げ、地面を踏みつけた。

 耳がおかしくなるほどの轟音を立てながら、アスファルトが地割れしていく。罅は少女の足元から私のすぐそばまで到達して止まった。

「………」

 もはや声を発することも出来ない俺の下に彼女らは歩み寄ってくる。

 強がりではなく、俺の頭はこの場においても冷静な状態のままだった。

 ここまでではないが、昔からイレギュラーなシチュエーションには慣れている。

 恐怖心は感じていない。

 死への抵抗はあるが、それは生存本能によるものだ。望みはかなり薄そうだが、その本能に従い、俺は最後まで生きる道を模索する。

 近づいてくる二人の様子を観察する。

 少女に怪力を与えているのはあの網目模様のスーツなのか。

「さて、どうしましょうか?」

「殺処分でいいでしょ? どうせ、世界には何の関係もない、一般人なんだし」

「いえ、やはりひとまずは拘束でいいしょう」

「面白くないわね」

「怒られるのは私だけじゃありませんよ」

「怒られるくらいなら大した害じゃないし、別にいいわよ」

 関係性はやはり少女のほうが上らしい。眼鏡の女性はさっきからずっと敬語で話している。少女の様子は一見すると、駄々をこねているようでいて、精神年齢のほうは見た目と同じくらいなのかもしれない。

 少女のほうは俺を殺そうとしいて、眼鏡の女性がそれに反対している構図のようだ。

 なら、ここを生き延びるためにはひとまず眼鏡の女性のほうに希望をかけるべきか? 

 いや、短絡的にそう決断することも出来ない。彼女らがどういう存在なのか、俺は何も知らない。殺されずに拘束されたあとで、どんな目に合わされるのか、わかったものじゃない。

「マアヤさんに指示を仰ぎますか?」

「私のあのババア嫌いなのよね」

「口が悪いですよ。万が一聞かれたらどうするつもりです? それよりも」眼鏡の女性はこちらに顔を向ける。「あなたはさっきから一言も発しませんね」

 発言権が回ってきたが、情報が足りていない以上、下手なことを言うべきではない。

 必死に頭を回す。

「弁解の機会をくれるんですか?」

 相手がどの程度こちらに譲歩してくれるのか、まずはその質問をする。

「あなたが何を言ったところでこっちの決定は変わりません。ですが、最後に残す一言くらいは聞き入れてあげましょう」

 皮肉の一言でも言ってやろうと思ったが、彼女の目を見てやめる。これまで何人も人間を殺してきたのか、殺伐とした瞳だった。だがその中にも、多少なりの慈悲があるように見える。

「すみませんが、拘束する場合でも両足は切り落とさせてもらいます。抵抗されると厄介なのでね」

「……そうですか」

 俺は目を瞑った。

 万策尽きた、と思った。

 ここから俺がどんな手を打ったところで、状況は変わらないだろう。二人の決定を変えることが出来るとは思えない。

 あの人の遺言を無視する形になってしまうが仕方ないだろう。俺としては、むしろやっと死ねるという想いもある。すべてを諦めたその瞬間、突然少女のほうがうめき声を上げながら顔を歪めた。

「ぐっ」

 直後、俺は背中に強烈な瘴気を感じた。

 軽く、何かが中空から降り立つ音が、後ろから聞こえる。

 続いて、こちらに近づいてくる足音。

 足音が迫るごとに正面の二人の表情は歪んでいく。

 視界の端から、一人の少女が姿を現した。足音と瘴気の持ち主は彼女らしい。

 さすがの俺も恐怖心を感じる。

 それほどまでの威圧感だった。

 顔を上げて、姿を確認する。

 年齢は俺と同じくらいで、非の打ち所のない、整った容姿をしていた。

 幼い少女と同じスーツを着ていたが、彼女の網目模様はさらに顔の近くまで迫っており、しかもその一本一本の脈が太かった。

「α28。何しに来たのよ、遅れてきて」

 警戒心を露わに、幼い少女が問いかける。

「マアヤから指令が入った。直ちに戻るように、と」

 言ってから、彼女は地面に座り込む俺にちらりと目を向けた。

 そのまま視線を幼い少女のほうに戻す。

「今からそいつを拘束する必要があるのよ」

「マアヤは言っていた。早く戻れ、と」

 反論する幼い少女に対し、機械的にさっきと同じ台詞を繰り返す。

「くっ」悔しそうに唇を噛んだあと、幼い少女は俺と彼女に背を向け「行くわよ」と眼鏡の女性に合図をした。

 眼鏡の女性は一瞬立ち止まって、俺たちのほうに目をやってから、何も言わずに幼い少女に従った。

 二人の姿はトンネルの奥へと消えていった。

 何故だかわからないが、俺には何の処分も下されなかったようだ。

 あるいは、と俺は瘴気を放つ彼女に目をやる。

「………」

 さっきの二人に代わって、俺は彼女から何か拷問を受けるのかもしれない。

 そんなことを考えたが、彼女は遠くに視線を向けたまま、俺のほうを見ようともしない。

 言葉一つ発さず、表情は石膏のような能面を保っている。

 彼女が何を考えているのかはわからない。

 だが、逃げるなら今しかない、と思った。

 俺はなるべく音が出ないように立ち上がると、ビニール袋も置き忘れたまま、後ろを窺うように小走りで駆け出す。

 しかしいつまで経っても、彼女は追いかけて来なかった。

 気づけば家に到着していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る