羽を吐くひと

華周夏

羽を吐くひと

世界的に、様々な奇病が増えている。特に重篤な病は、身体から美しい花が咲く『花咲き病』肺にホログラムの結晶が育つ『虹色結晶病』咳き込むと純白の羽を吐く『羽根吐き病』この3つの奇病を治す術は見つかっていない。そして、重度の難病指定で今の日本で安楽死が有効とされるのは、この3つの病だけだ。

高萩暁は、医師だ。偶々見た最新の奇病の論文。一番信じがたかったのは『羽根吐き病』だった。この病は、天使が人の中に隠れるそうだ。咳がとまらなくなり、血を吐き、症状が進むと血がついた羽根を吐く。最後は背中を裂くように両翼を現し、天使のように空へ帰る──この御時世に天使? ありえない。クローン技術、月への移住が可能な今、世界的な問題の奇病が、こんな抽象的な、非現実的な書かれ方をされていたことに暁は驚き、同時に鼻白んだ。花? 結晶? 天使? 未知に対する恐怖心だ。そう思っていた。

随分と咳が続く彼の妻の雪の為に、暁は薬を処方したが改善しなかった。総合的な検査を知り合いの医師に依頼した。診断結果は暁の受け入れられるものではなかった。

「残念ながら、羽根吐き病です──奥様は特別隔離室へ……」

「雪は私が看護する。定期検診にも来る。雪を家の敷地からは出さない。検診は防菌保護マスクで来る。それでも駄目か? 」

暁の涙声に『わかりました』と医師は頷いた。帰宅すると雪は寝室に籠った。啜り泣く雪に、暁は雪の傍らに座り、口づけた。

『感染してしまうわ……』

『その時はその時だ。構わない』

抱きしめ、雪の髪を撫でた。もう泣くのは最後だ。一番辛いのは雪なのだから。

***

いつしか雪の咳は、血が混じるようになり、血を吐いた。ついには羽根を吐いた──。彼女の吐いた羽根は調べても何の生物にも属さなかった。血液を拭えば純白の羽根。ただ、MRIでも、CTでも、超音波検査でも、雪の身体からは何も写らない。

「ねえ、あなた。私、このままでいいの。仕方がないよ。いつか来る終わりに怯えてベッドにいるより、庭でお芋を育てたり、お花を植えたりしたいな」

『とにかく、安静に』と担当医に厳しく言われてきた。本当は、もう最後だと、雪と思い出作りをしたい気持ちが暁にもあった。けれど、雪の死期を早めるようなことはしたくなかった。だから、いつかの夢を見る。

「きっと元気になるよ。元気になったら、雪が降ったら雪だるまを作ろう。春は花見だね。夏は花火。2人でラムネでも飲もう。それから、それから……」

涙に混じって言葉がでない。雪には不自由で残酷なことは強いているのは解っている。それでも、暁は雪には、生きて欲しかった。

「……私は君と一秒でも一緒にいたい。だから、君には不自由だけど、ここにいて欲しい。いつ新薬が見つかるかも知れない。だから……諦めないで欲しい。酷なことだとは、解ってるんだ。……これ、タンポポ。生粋の在来種だ。白花だよ。」

暁は白いタンポポの素焼きの鉢を、雪に手渡す。

「ありがとう。嬉しい」

ベッドの上の彼女は穏やかだった。毎日タンポポに語りかけ世話をしていた。もう、モルヒネを打っている。以前のように激痛に苦しみ、羽根を吐くことは少なくなった。それでも、時は過ぎていく。雪は終わりへの階段を一歩づつ昇っていく。別れは明日かもしれない。病の進行を見ているしか出来ない。暁は、医師として、夫として何も出来ない無力感に苛まれた。あまりにも残酷な病だと思った。

***

「伝えなきゃいけないから、言うね」

ある、晴れた日。雪の神妙な面持ちに暁は頷いた。

「私ね、この病気になること、何処かで気づいてた……」

雪はゆっくりと言った。

「──私は遺伝子研究をしてきた。生物の尊厳を無視したの。私が仕事としてやってきたことは、パンドラの箱を開けることだった。摂理と言う物の一線を越えた。だから、私は罰を受けた……」

暁は雪の手を握りしめ、潤んだ声を荒げた。

「だからって、君だけが、罰を受けていいはずがない! 」

雪は膝をつきベッドに伏して肩を震わせる暁の髪を撫で言った。

「あなたを置いていくのはつらい。それに、研究所の皆は、もう遠くへ行ってしまって、私が最後よ。皆、それぞれ3つの奇病を発症したわ。皆、死ぬまで研究者ね。自分を検体みたいに記録を残した。データは私のパソコンに入ってる。あとは、お願い……。」

そう言い、雪は大きな瞳で暁を見つめた。

「──取り敢えず、お茶を、淹れよう。」

「ええ。」

暁は紅茶を淹れ、雪の背中にクッションをあてた。甘味は金平糖。雪はこれが大好きだ。雪は金平糖をカリリと噛んだ。

「懐かしいね。美味しい……。」

そして、俯いた顔を上げて、暁を見つめて涙をこぼした。

「あなたと、おじいさんとおばあさんに……なりたかったなぁ。そんな未来が……欲しかったなぁ……」

雪は泣きながら、もう温くなった紅茶を飲んだ。随分痩せてしまい、肌が蒼白い。

『奥様が好むものを少しづつ食べさせて下さい。』

そう、いのちの灯りが尽きようとしている雪へ、担当医のアドバイスだった。

「研究所の皆は、自分のいのちを誰かに託したかったのね。いつか……読んで。この3つの病は、人を選ぶみたい。私と一緒にいて、あなたが感染しないのはあなたが『正しい人』だからよ」

暁は自分の何が正しいかは解らない。ただ、雪は治療法を見つけて欲しいと言う。

『私は君がいなくなったら何を糧に生きれば良い? 私には君しかいないのに……君がいなくなる日を思って悲しみに押し潰されそうなのに。』

暁は口にしそうだった言葉を、ぬるい紅茶で流し込んだ。

***

暁は、眠る雪に語る。

「あの夏を憶えてる?まだ拙い、若い恋だった。──街から避暑に来ていた私は、君と出会った。君は私に笑いかけ、度胸試しだと、村の子と一緒に崖から光る川の水面へ飛び込んだ。君は誰より眩しかった。けれどある日、私が気にとめたのは濡れたTシャツから透ける君の女性のフォルム。胸の膨らみ。細い腰のライン。私は無言でシャツを脱いで君に羽織らせた。君は顔を真っ赤に染め、走り去った。次の日から君はモジモジして、洒落たワンピースを着るようになった。川に飛び込まなくなった代わりに私におやつをくれた。陶器の器に入った金平糖。入道雲、夏草。蝉時雨。君。全てが輝いていた。

ある日の夕方、君が訪ねてきたね。『いいものを見せてあげる。』そう言い君は私の手を掴み叢の闇を分けいっていった。その先にあったのは、幻想的な蛍火。あまりの美しさに私は息を飲んだ。

私と君は、毎日蛍を見に行った。私はいつしか、蛍の灯の中、君の横顔を見ていた。昼の明るく笑う君、私と蛍だけが知る、儚さが漂う君。君は羽化する前の蝶なんだと思った。

君が街へ帰る日、君は『あげる』と蝶の飾りのネクタイピンをくれた。この場所にそぐわない派手な車が、君を迎えに来ていた。古くて広い彼女の別荘に住む、おばあさんに、君は、『長生きをして』と言い、私に君は、

『ずっと忘れない。あなたが好きだった』

私は髪を綺麗に結った君に、

『また、いつか』

そう、不確かな約束をしかできなかった。

『私を忘れないで』

涙声で車の後部座席から身をのりだし私に手を振る君は、泣いていた。

***

再会は時が流れてから。行きつけの喫茶店。静かなジャズがかかる軽食も美味しい店。大学の貧乏講師には、料金も美味しい店だった。そこで再会した君は、利発な、けれど、儚さも残す瞳で、私を見つめて、

『暁、さん? 』

君の、持っていたアイスティーのグラスの氷が揺れた。

『蝶のピン。お守りなんだ。君も蝶になった。綺麗になった。』

君は私の言葉に頬を染めて俯いて、気のせいよ、と言った。

『小麦色の肌で、川に飛び込む君も、川辺でワンピース姿で佇む君も、蛍を見て目を細める君の横顔も、綺麗だった』

覚えたての煙草に火をつける。珈琲が美味しかった。

***

それから、沢山の時間の空白を、記憶の隙間を、そして、幼さを残す私達には埋める術が解らなかった、もどかしさを満たす為に飽きるほど抱き合った。けれど、結婚しても、子供は出来なかった。原因は私にあった。検査で無精子症だと解った。私は『雪はまだ若い。別れたかったら、とめない』と言ったが君は、『暁さんがいればいい』と、私を抱きしめた。私は、『ありがとう──』と言った。産声をあげることのない悲しい子供の代わりに精一杯、君だけを愛そうと思った。腕の中の君は私を見つめて言った。

『暁さんは私の初めての家族。最後の恋人。一緒に幸せになろう? 』

そう君が隣で笑うから、私は、泣きながら頷いた。

***

最近、雪の背中のふくらみが少し大きくなってきていた。雪が一番つらいから、暁はいつも笑っていようと思う。泣くのはトイレでいい。

「玉子粥だよ、食べられそう? 」

ありがとう。美味しい。そう雪は微笑み、窓の外を見て、

「暁さん。私、ずっと幸せだったよ。……このタンポポ、庭に植えて。暁さんは……生まれ変わったら何をしたい? 」

「君にもう一度会いたい。恋人になって、一緒に年をとりたい」

「私もよ。……ずっとあなたを待ってる。きっとあなたは素敵なおじいさんになるわ。」

「君は世界一可愛いおばあちゃんになるよ。」

ありがとう。私、幸せだったよ。またね。大好きよ。ずっとあなたを愛してる。雪が泣きながら笑うと、白い翼が肩甲骨を裂いた。細く白い手で窓を開け、雪は白い羽根ではばたいていく。『行かないでくれ! 』そう叫けんだ痛みも光の中に吸い込まれていった。白昼夢のようだったけれど、

『また、いつか──』

雪の淡い囁きと、天使の羽根がそこに残った。


それから暁は、タンポポを庭で育てた。毎日世話をした。雪の残した子供のように慈しんだ。そして──真っ白なタンポポが一面に咲く庭で、暁は花に抱かれるように息を引き取った。3つの奇病の新薬を作り、世界的な医学賞を受賞する知らせが届く前の日だった。享年60歳だった。

 いつか、妻に聞いた。

『60歳は生まれ直しの年なの。全てが0に戻るのよ、と。生まれ変わったらまたあなたに会いたいの。だから待ってるから、あなたは私を見つけてね。』

穏やかに雪は笑っていた。





《了》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

羽を吐くひと 華周夏 @kasyu_natu0802

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ