File:02 月見里樹 その②

04

「噂どおりのカオスですね」


 そこら中をキョロキョロ見渡し、箍音たがねは思ったことをそのまま呟く。

 旧横浜、改め新東京――コンビニエンスストアや自動販売機、不動産屋やラーメン屋など日本の都市部らしい光景が続いたかと思えば、いきなり中国語で書かれた看板が立っていたり、トルネードの如き肉柱を削るケバブの屋台が現れたり。街を行き交う人々の肌の色も決して一つではなく、まさに混沌と表現するに相応しい景色が広がっている。

「外国の人も多い……というより、外国の人の方が多い?」

「支援で来てる人たちが集まってるわけだから、自ずと街並みも多国籍に染まるよ。勿論元々ここにいた人たちや、旧東京から避難してきた人たちだっているけど――ほとんどは皆、関東圏から脱出しちゃった」

「『裁定者ジャッジメンター』が現れやすいから、ですか。でもそれって、全国の何処にいても同じじゃないですか? 関西だって北海道だって沖縄だって、もしかしたら決戦の舞台になるかもしれないのに、ここじゃないから安全なんて誰にも言いきれませんよ」

「確率的には少しマシなのも事実だから。ちょっと離れた場所に『シティ』が――決戦要塞都市なんてものがあれば、わざわざそれでも近くにいたいなんて思わない。こういうのは個々人の気持ちの問題じゃないかな、きっと。それに」

 また隕石が落ちてきても堪んないだろうし、と。

 言われて思わず見上げた空、浮き上がる生命樹は雲に隠れている。

 あの生命樹の下、あと七回。日本のどこかで決戦の火蓋が切って落とされる。

 言うなれば、あと七回は日本のどこかが、必ず更地になりかねない被害を受ける。

 決戦要塞都市『街』は、あくまで最終的な誘導場所に過ぎないのだから。

 だが捨てられるモノなのだろうか――そう簡単に、自分の生まれ育った地を。

 そこまでして、たった数パーセントの違いに賭けてみたいものだろうか。

 それは魔法少女として戦う箍音には、よく解らない感覚であった。


「そういえばいつきさんの地元ってどこなんですか?」

 考えても答えが出なさそうだったので、箍音は思いついた質問を投げる。

 あくまで「そういえば訊いたことなかったな」程度のつもりで、けれど。

「地元かぁ……そうだなぁ、秘密ってことにしとこうかな」

 まっすぐ前を見たまま、樹は何の気も無さそうにそう答えた。

 握る掌が若干強張ったことに気付けず、箍音は更に追究を重ねようとする。

「別に笑ったりしませんよ。私の地元だって、都会だとか口が裂けても言えませんし」

「コンプレックスの問題じゃなくて。とにかく今は、秘密にしときたい気分なの」

「じゃあヒント! ヒント教えてください! 名産品とか! 私は蜜柑ですよ!」

「あはは、ダーメ。ほら、お店着いたよ? 暑いし早く入ろう?」

「ちょっと!? なぁんでそう誤魔化そうとするんですか!?」

 ガクガクと揺すられながら、樹は「あはは」とどこか乾いた笑い声で。

 宙のずっと向こう側と、同じくらい黒い瞳を箍音に向けて囁く。


「地元を地元だって、思ったことがないから」

 

 人差し指を唇に近付け、悪戯っぽく笑って見せた。

 その意味を箍音が知るのは、今からもう少し先の未来。


05


「こんなところにいたか、嬉野うれしの

 

 防衛省秘匿特殊課対終末部拠点【クロニクル・クレイドル】は、一見すると山に埋まったダムにしか見えない施設である。もちろんダムとしての機能もちゃんと保持している――というより、表向きは文字通りただのダムだ。しかし、その下に深さ約500メートルにも及ぶ、巨大な基地が隠匿されていて、それこそが【クロニクル・クレイドル】だということを知っているのは、この国でもごく一部の人間だけである。

 ダムから放流された水は途中で二つに分岐し、都市を丸ごと改造した『街』を左右に下ることで、決戦要塞都市と他の都市を――生活圏と戦場を、明確に隔てているのである。

「ぴゃあぁおっ!?」

「落ち着け」

 その【クロニクル・クレイドル】の最深部、セグメントXと呼ばれる特殊階層にて。

 仄かな光がぼんやりと周囲を照らす空間で、休憩がてらに呆けていた嬉野は。

 背後より突如かけられた声に、ギャグみたいに跳び上がってから振り返った。

「え、ええ、荏原えばらさん……!? び、ビックリさせないで下さいよぉ……!」

「何を言うかと思えば。個室ならまだしも、ここは一応共有スペースだぞ」

 溜息を吐きながら手元の缶コーヒーを開ける、涼しいを通り越してツンドラの如き目つきをした女性――荏原は嬉野の上司にして、タシマ係立ち上げメンバーの一人である。彼女の低めの声は、ほとんど何もないこの階層で、舞台役者かと思うくらい良く通った。

 それはそうですけど、と。反論しようとした嬉野はギョッとする。

 よく見ると荏原はその手にレジ袋を提げており、しかも中では缶コーヒーとサンドウィッチがガサガサ音を立てて揺れているではないか。

「ちょ、ちょっと荏原さん……! な、なんですかそれぇ……!」

「昼食だが。あるいはサンウィッチとコーヒーだが。見てわからんか」

「そ、そうじゃなくてぇ……! こ、ここは飲食禁止ですよぉ……!? も、もしもアレに何かあったら、どうするんですかぁ……!」

「くだらん。サンドウィッチの一つや二つで、が今更どうこうなったりするものか。アレに干渉できるのは魔法少女と『裁定者ジャッジメンター』と、そして一部の例外のみ。ここができる以前に散々試したことだろうに」

「そ、その時は、私はまだいませんでしたよぉ……」

 セグメントXは特殊階層だ。セキュリティの強固さ故に人気がないというだけで、休憩スペースでは断じてない。ともすれば言い分こそ自分が正しいはずなのに、何故だろう。全く強く出られないのは。荏原の持つ威圧感がそうさせるのか、それとも上司を前にあまり強く出られないのが嬉野という人間であるからなのか。

「はぁ、もういいですぅ……。ところで、私に何か用ですかぁ……?」

「『街』の防衛システムの改修案を作ってきた」

「わっ……!」

 投げて寄越されたUSBを危うくキャッチし、嬉野はタブレットを起動させる。

 コードで繋げて中のファイルを開くと、そこにはズラリと新案が並んでいた。

「遮断壁、誘導壁……さ、炸裂壁? し、新規武装案は少ないですねぇ……」

「通常兵器の効果の是非が判らん以上はどうしようもない。だが、無ければ無いでやり方はある。主力である魔法少女が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、ステージを整えるというやり方に切り替えるなら、こっちの方が断然いい。まだ草案だが」

「な、なるほどぉ……た、確かに受け取りましたぁ……」

 ではキリもいいのでそのまま退散――しようと、こっそり脚を動かしていたのを見られていたのか、若干の圧が込められた声が鋭く「お前、どうしてここにいた」と。

 怒られているわけではないのだろうが、それでも嬉野は縮こまりながら答える。

「さ、さっき『街』の通行履歴を眺めていたんですけどぉ……そしたら、い、樹先輩と箍音ちゃんが、外に出ていったんですよぉ……。相模原さんに確認したら、新東京にむかったとか、なんとかぁ……だからつい、なんとなく来ちゃいましたぁ……」

「随分と暇をしているみたいだな」

「そ、それが樹さんの仕事なのでぇ……」

「お前に言ったつもりだったのだが――なぁ、嬉野」

 いつの間に開封したのか、サンドウィッチをモシャモシャと頬張りつつ。

 荏原の涼しい目は険しく細められ、それをジッと見つめていたものだから。

 釣られて嬉野の視線も、さっきまでぼんやり眺めていた、に向けられる。

「聴こえるか、お前には。『星黎廟アストラロ・ゼーレ』の声なんてものが」


 ――まるで巨大な心臓が展示されているみたいだ、と嬉野には思えた。

 二人の視線の先にあるそれは、全長およそ30メートルはあるだろうか。青白く照らされた水の中、無数のコードに繋がれた巨大な岩。その表層に露出した、十の水晶を繋ぐパスのような文様は時折脈打ち、生きているかのように点滅を繰り返している。

 十六年前、東京に堕ちた隕石の正体。

 セグメントXに秘匿された最重要機密。

 この【クロニクル・クレイドル】が作られた意味。

 遠い宇宙から送り込まれた、あまりに大きな預言の書。

 人類と魔法少女が、何より最優先で護らなければいけない星の心臓。

 それが『星黎廟』――破壊された瞬間、問答無用でこの星は消滅する。


「い、いえ……まったく……」

「私にも聴こえん。相模原にも、三峰にも、どんな精密な機械にも」

「はぁ……まぁ、そうでしょうねぇ……」

「だが知っての通り、この世でこいつの声を受け取ることができる者が、一人だけいる。そのおかげで私たちは『裁定者』の存在と、魔法少女の出現を知り、今の今までこうして生き永らえることができた――おかしな話だとは思わないか」

「おかしな話、ですかぁ……?」

「チグハグだと言っている。宇宙意思だか何だかよくわからん存在が、本気でこの星と人類を滅ぼすべきだと思っているのなら、こんな石ころを送り届けてまで、チャンスの一片すら与える必要は本来ない――少なくとも私なら、そうしただろうさ」


 最初の『裁定者』、メタトロンこと【ザ・ファースト】。

 赤く染まった空を覆うほど、巨大な翼を広げる黙示録の獣。

 聖書曰く、神が一週間で世界を創造したというのなら。

 それは一週間で世界を破壊できた。魔法少女さえいなければ、きっと。

 最初の継承者がこの世界に現れ、命を尽くして相討ちに持っていかなければ、今の未来は無かった――他の『裁定者』も同じだ。それ単体で人類などどうにでもできただろう。

 だが『星黎廟』は告げる。『裁定者』の顕現する日と、魔法少女の居場所を。

 この世界で唯一、その予言を受け取ることができる、たった一人の預言者に。


「【ザ・ファースト】は強大な敵だった。人類に勝てる見込みなどなかった――にもかかわらず、倒せるだけの可能性を『星黎廟』は告げた。あまりに解せない。わざわざ教えることに何の意味がある。あいつらはいったい何がしたい。何を考えて『星黎廟』なんてものを寄越してきた。それが私には解らない」

「そ、そうですねぇ……や、やっぱり、裁定だからじゃないですかぁ……?」

 おそらく何かしらの意見を求められている、と感じた嬉野は遠慮がちに。

 やはり視線は『星黎廟』に向けつつ、選ぶように言葉を紡ぐ。

「ため、試してるんですよぉ……それさえ込みで、きっと……与えられる情報を、動かせる駒を、ちゃんと活用できればクリアできるはずだ、ってぇ……。む、無慈悲かもしれませんけどぉ、理不尽ではないんじゃないでしょうかぁ……宇宙意思って存在も、たぶんですけどぉ……」

「ふむ、裁定だから、か。そういう考え方もアリか」

「ぜ、全員が必ず落ちる試験なんて、誰も本気で取り組みませんしぃ……。き、きっと、そういうものじゃないんじゃないでしょうかぁ……? うぅ、宇宙意思のどうこう、それは私にも、わかりませんけどぉ……」

 そんな事を言えば、そもそもどうしてこの星が滅ぼされなければならないのか。

 宇宙意思が、はたしてどこにいるどういった、どれくらいの規模の存在なのか。

 それさえ嬉野には解らない――解らないが、ただ一つ言えることがあるとすれば。


「上位者気取りの連中がろくでもないのは、宇宙のどこも同じですねぇ……」


06

「うへぇ……まだ上手く呂律が回ってない気がする……」

 

 犬のように舌を晒しながら、箍音はそう呻くように呟いた。

 お昼ごはんに選んだいい感じの店――新東京で一番辛いと自負するラーメン屋の看板メニュー、インフェルノ激辛ラーメンが彼女にもたらした被害はあまりにも大きかった。

 自販機で買ったペットボトルの水を差し出し、樹は苦笑いを浮かべながら。

「辛いの得意なのかと思ってた、あんな店行きたいなんて言うから」

「こういうのは好奇心ですよ、好奇心――ぷはぁっ! でもやっぱり、冒険なんてするもんじゃないですね。それより樹さんが得意だったことに驚きました。なんでしたっけ、あの……コキュートス激辛ラーメンでしたっけ。よく完食できましたね」

 それは「全てが凍てつく辛さ!」とまで銘打たれた、あの店で最強の辛さを誇るラーメンだった――はず、なのだが。頬が紅潮する、汗が流れる等の生理現象こそ観測されたものの、対面に座していた樹は苦しむ素振り一つ見せず、ただ淡々と「美味しいね」と啜り続けていた、ある種異常な光景が今も箍音の網膜に焼き付いている。

「美味しかったよ」

「……そうですか」

 微妙に質問の答えにはなっていない気がしたけれど。

 大人の余裕とか、決してそういう差ではないことはなんとなく理解できたので、箍音はそれ以上を訊かないことにした。樹さんってもしかして不感症だったりするのかな、と。思春期特有のハチャメチャに失礼な考えを抱いたりもしたが、やはり口には出さなかった。

「この後はどうする? さすがにレモンパイは、まだ食べられなさそうだけど」

「そう、ですね……しばらくは無理です。移動するのは問題ないんですけど、なにせまだ胃の調子が……メラメラしてます、バーニングです」

「おっけー。次はもっとちゃんと、美味しそうなお店にしようね」

「というか、樹さんはどこか行きたいところとかないんですか? 新東京、あんまり来たことないって感じでしたけど、気になるところとかあれば全然付き合いますよ」

 申し訳ないですし、と――箍音としては、それはあくまで樹のことを少しでもよく知っておきたい一心からの提案だった。どんなものに興味があるのか、どんなものなら興味を惹けるのか。新東京に出てきたからには、家の中にいるだけでは決して収穫できない情報も集めておきたい。

 しばし無言のまま、樹はジッと箍音の目を見つめていたが、やがて。

 何か地雷でも踏んでしまったのではないかと、戦々恐々するくらいの間を開けて。

「ならさ、ちょっとだけ私の我儘に付き合ってもらっていい?」

 ――果たして人が我儘を言う時、そんな顔をするだろうか。

 どこか憂鬱そうに。まるで当の本人すら、あまり気乗りしていなさそうに。

 三ヶ月という期間の中、今まで一度も見せたことがない表情だったから――思わず無言で頷いた箍音に「ありがとう」と微笑んで、お礼とばかりに優しくその手を握る。

 そのごく自然な動作に一瞬跳ねあがった心臓を、精神で無理矢理抑えながら。

「が、ガイドブック開きますね」

「お願い。でも載ってるかな、お花屋さんなんて」

「はい。えっと、お花……えっ? お花屋さん、ですか?」

「うん、まぁ。やっぱり手ぶらってわけにもいかないと思うから」

 カフェとか雑貨屋とか、ましてファッション関係の店でもなく、花屋。

 選択の真意を掴み損ねて、小さく首を傾げる箍音に、樹はクスクスと笑みを零して。


「近くまで来たんだし、挨拶くらいはしておかないと」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る