#2 聖教会と獣狩り

 世界で最も信者が多いことで有名な聖教会には、その規模だけに数多の都市伝説が存在する。

 曰く、聖都図書館の禁書はほとんどがポルノである。

 曰く、教皇は悪魔と契約しており、密かに悪魔崇拝をしている。

 曰く、聖教会はペイガングループのマネーロンダリングに協力している。

 どれも他愛もない噂話に過ぎない。いや、だからこそ、嘘の中に真実は紛れ込んでいるものだ。

 ……曰く、異端を探る部署の中には、異端ではなく怪物を狩る秘密部門が存在する。

「まったく火がなくとも煙は立つ時代だけど、一体どこから情報が洩れるんだろうねぇ」

「どうせ、情報部が意図的に流してるデマよ。木を隠すために森を作る連中だもの」

 轟音を立てながら古めかしいエレベーターは下へ、下へと進んでいく。

 ロマーニャ大聖堂。教皇が住まう聖都から北西約五〇〇キロ先に広がる大都市ロマーニャの真ん中に座する大聖堂は、一部を除きそのほとんどが一般公開されていない。聖教会屈指の巨大さを誇るというのに、である。

 その不自然さから様々な憶測が飛び交うが、おそらくはこの地下に何があるのかを言い当てた者はいないだろう。

 チン、というビンテージな音と共に格子状の扉が開いた。先も見えない無数の枝道が薄暗い照明が照らされ、どこまでも続いていた。さながら無機質なコンクリートの迷宮とでも呼べばいいか。

 その中を、グレイとエイハブは躊躇なく歩いていく。道は複雑に入り組んでいた。右へ、左へ、後ろへ、時には止まって三十秒。

 そうして十分ほど歩き、ドアノブの存在しない白い扉が見えてくる。

 グレイは真横のなんの変哲もない壁に、カードを走らせた。ピピ、という電子音が鳴って、幾つかの機器が壁から出現する。静脈認証、光彩、指紋、そして「グレイ・プラム=ウルム」と声紋まで確認するほどの過剰なセキュリティ群は、どれも古めかしい大聖堂からは想像もつかないものばかりである。

続けて、「エイハブ・モカ」、とエイハブも諸所を入力する。

 音も無く、扉が開いた。暗闇に慣れた目を眩しそうに細め、グレイたちは進んでいく。

 広い空間に出た。正面に敷設された巨大なモニターや立ち並ぶ大量のパソコンには無数の情報が流れ 、職員が慌ただしく行き交っていた。

【聖教会 教理省 規律部門 第三号異端調査室】

長々とした役所仕事の呪文染みた名前には名目上、異端審問とは名付けられているが、事実上は黙獣討伐のみに尽力するごく小規模な極秘部署である。

 実行部隊がエイハブとグレイの二人のみと言えば、その規模が分かることだろう。

「毎度のことながら、陰謀論者が見ればきっとひっくり返ること間違いなしよね」

「見えない人からすればここはただの異端審問官の集まりさ。それ以上のことはわからないだろうよ」

「そもそも、異端審問官だって陰謀論者には垂涎ものなのよ」

二人は廊下を進む。しばらく歩き、みすぼらしい木製の扉の前で止まった。

エイハブがノックするよりもはやく、扉がひとりでに開いた。

「やあ、お疲れ様」

 しゃがれた声と共に、痩せた金髪の老人が顔を見せた。

「ハリソン室長。わざわざお迎えにあがらなくても構いません」

 慌ててエイハブは姿勢を改める。グレイは変わらず立っている。

「そういうのは構わないと言っているだろう?入りたまえ」

 古傷だらけの顔でくしゃりと笑うと、ハリソンと呼ばれた老人は扉の奥へと消えていく。顔を見合わせ、グレイとエイハブも続く。

 古めかしい応接室がそこにはあった。軋む床やクリーム色のくすんだ壁はもう何年も昔からこの場所があることを伝え、コーヒーの匂いはどうやっても消えないことだろう。高い天井には木製のシーリングファンが不安定に回っていた。

 そんな部屋を抜けると、室長室にたどり着く。無数の本とそこかしこに奇妙な品々が置かれた、おそらくは室長の趣味が詰まった部屋だった。

「いつ来てもごちゃついてるわね、ここ」

「この部屋で老後のほとんどを過ごしているんだ。少しくらいは許してくれよ」

 カラカラと笑って、急にハリソンは表情を戻した。そこにいるのは好々爺ではなく、一人の役人だ。

「それじゃ聞かせてもらおうか。今回の作戦の顛末を」


「ふむ、『蛙』は確かに情報の通り児童誘拐の犯人で間違いないようだな。まったく、東の果てまで逃げるとは大した度胸だ。後処理はもう完了しているから心配しなくていい。目撃者の処理もついさっき終わった」

 ノートパソコンを見ながら、ハリソンはグレイたちの報告との差異を比べていく。

「随分と派手に殺したみたいだが、そんなに強敵だったのか?」

「グレイが危うく食べられかけました。一般人の避難が終わっていなかったことも含めると確実にトドメを刺す必要があったのは事実かと」

 ボールペンで机を叩きながら、ハリソンは何かを考えるような素振りを見せた。

「ま、そうしておこう。奴の高い跳躍力を考えると狭いバーガーショップで戦おうとしたのも理にかなってはいるからな。仮に一般人が死んでもオレたちの知ったことじゃない」

 暗に一般人など言い訳にするなと告げながら、ハリソンはグレイへと視線を移した。

「貸しひとつ、だ」

「そう」

 さして興味もなさそうに、グレイはハリソンから目を逸らした。

「ま、そういうことだから今度の作戦には君にも参加してもらうことになる。何気、君はうちの最高戦力のひとりなんだぜ?」

「黙獣を殺せるならなんでもいいわ」

 それだけ言うと、グレイは室長室から去っていった。

「やれやれ、若い子ってのは、どうにも難しい」

「あの子が特別厄介なだけだと思いますけどね。それにしても難しい」

 男二人。同時にため息を吐くばかりである。

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