黙獣の復讐者

トマトと鳩と馴鹿の煮込み物

一章 獣狩り

#1 ハンバーガーと獣狩り

 バーガーショップは休日の昼間とあってか、注文するまでに些かの時間を要していた。もっとも、メガネをかけた男はさして気にした様子もなく、あらかじめ決めていた注文をしていく。

「七ツ星特大ビッグバーガーのセットを。飲み物は……ジンジャーエール、ポテトはLサイズかな。それで、君は何にするんだい?」

 結んだ長い白髪を揺らしながら、男は背後に佇む少女へ振り返る。

「……ホットコーヒー」

「いいのかい?ここは僕のおごりだぞ?」

 黒い喪服の少女はムスッとそっぽを向いた。

「やれやれ、うちのお嬢様は食が細い」

 苦笑いを浮かべながら、男は注文を終えた。

 男の司祭平服キャソックがはためき、香の匂いがバーガーショップに舞う。神父がバーガーショップに並んでいるのは、あまり聖教会に馴染みのないこの地においては奇妙な光景だった。


「しかしグレイ、本当にそれだけでいいのかい?ポテトなら少しあげてもいいよ?」

 白髪の神父はおおよその人類が食べることを想定していなさそうなサイズのハンバーガーを頬張りながら、グレイと呼んだ対面の少女へと問いかけた。

 笑えば可愛らしいであろう顔を少女は不機嫌そうに歪め、刃物のように鋭く赤い瞳が神父を睨んでいた。黒い喪服から浮かび上がる身体のラインは、おそろしく細い。艶やかな黒髪と相まってか、シスターというよりも死神のようである。

 神父に喪服の女。東南の島国にあっては、ただ店にいるだけで浮いてしまうことだろう。だが、二人も、そして他の客もさして気にした様子はなかった。それが国民性によるものなのか、はたまた二人の小細工なのかは分からない。

「……あのね、エイハブ。私、必要なカロリーは取ってるの」

 神父をエイハブと呼んで 、グレイは苛立ちを隠さずカロリーバーを齧った。ちなみに店内は持ち込み禁止である。

「第一。そんな炭水化物の塊のどこがいいわけ?どう考えても身体に悪影響しかないじゃない」

「おいおいグレイ、美味しいものってやつはどう言い訳しても身体に悪いもので構成されてるんだよ?何よりも偉大なのは、どこの国に行ってもこの店は同じ味だってことだ。世界の果てに行ってもマニュアルは同じ。辺境で神に祈りながら怪しい現地料理を食べずに済むことの偉大さを君は……」

 神父が毎度変な料理屋で腹を壊していることを思い出してうんざりしながら、少女は話を遮った。

「だから太るのよ」

「ぶっ⁉ゲホッな、なななにを言うんだ君はァ!僕ぁこれでもちゃんと絞ってるんだぞ!」

「そう。これ以上聞いたらこれもジャンクフードの味がしちゃうから黙っててちょうだい」

「はぁ、君は手厳しいね。……食事を楽しむくらい許されると思うよ?」

「いらないわ。そんなの許されない」

 その言葉はまるで自分自身に言い聞かせるようで。

 そんな二人の背後でまた一人注文を終える。

「あーチーズバーガーを三つ。ライスとチキンのセットを。ドリンクはドクペのLで、ナゲットを三十ピース」

 なんの変哲もないただの注文。強いて言えば些か量が多い程度。

 しかし、二人は一斉に振り返った。数瞬前までの和やかな雰囲気はもう見られない。

「……どうだい?」

 トーンを変えたエイハブの言葉にグレイは答えず、真っ赤な瞳をじっと細めた。

 スーツ姿の男だった。出張なのだろう。金髪の髪や白い肌はこの土地の人間ではないことを如実に示している。相応の地位にはいそうな、されど肥満体型ということを除けば無個性という言葉がよく似合うありふれた顔の会社員。

 だが、グレイはじっと注文を待つ男を見つめ続ける。数秒経って、ようやく口を開いた。

。はぁ、一週間張った甲斐があったわ」

 エイハブは悲しそうに目を伏せた。だが、それも一瞬のことであり、どこからともなく銀色の長剣と聖教会の細緻なレリーフが施されたネイルガンを取り出し、グレイへと手渡した。

「あのレベルなら私ひとりで十分ね。そこでハンバーガーでも食べてていいわよ」

「僕ァ今の一言でとても不安になったよ」

 魔改造されたネイルガンの弾倉を確認し、一瞬だけ眼を瞑ると、グレイは十字を切った。それから音も無く男の背後へと歩き出す。

 そして、手慣れた仕草でネイルガンを押し当て、冷たく告げた。

「動くな。我々は聖教会が教理省規律部門、第三号異端調査室です 」

 真っ昼間のバーガーショップが、水を打ったように静まり返った。一斉に視線がグレイへ、そして握るネイルガンへと吸い寄せられる。もっとも、当人が気にした様子はなく。

「ミリアルド・コーネリアス。貴方には異端関与及び、児童誘拐の疑いが掛けられています。異端者と認められた場合、一切の権利の主張は認められませんが、それまでに弁護士を付けることはできます。どうか大人しくご同行願います」

 グレイにとっては言い飽きた酷い警告文テンプレート。だが、遠い地の人間からすれば都市伝説でしかない異端者の逮捕現場である。

 異国の言葉が、徐々にざわめきとなって店内に広がっていく。

「い、異端審問官だと……!なぜ、ここまで!」

 もっとも、言われた当の本人にそんな些事を気にする余裕などなく、脂汗を垂らしながら後退る。すぐに会計カウンターが背中に触れて、逃げ場がないことを理解したらしい。

「まさか、聖教会の支配地でなければ追ってこないと思ったのかしら」

 ニタリと。少女は嗜虐的な笑みを浮かべた。

「わ、わたしはペイガン銀行本部の内務課長なんだぞ⁉」

「知ってるわ」

「き、き、君が行っている行為はペイガングループに対する明確な不利益を招くことだ。聖教会への融資の取りやめだって、電話一本で可能なんだぞ!」

「そう。でもそれは私の考えることじゃない」

 一切の感情が乗っていない冷たい声だった。

 観念したのか、ゆっくりと男は手を上げる。

「楽で助かるわ」

 グレイが男の右手を掴もうとした瞬間、男は暴れ出した。

「お、おあぁあああああああ!」

 火事場の馬鹿力とでもいえばいいか。一瞬の隙を突いて少女を殴り、蹴り、レジにボールペンにハンバーガーにその場にある全てを少女に投げつけ、走り出す。

 直後、男の腹にグレイの足がめり込んだ。

 そんな、とでも言いたげな男の表情の通り、グレイには男の足掻きが意味を成していなかった。

 体重百五十キロはあるだろう男の身体が一瞬宙に浮き上がる。淀みのない動作でグレイは男の腕を折り曲げ、そのまま組み伏せた。

「慣れてないわね。使よ?」

 奇妙な言い回しだった。人間の使い方が下手くそとは言うまい。少なくとも、人間相手には。

 次の瞬間、男が泡を吹き始めた。グレイの顔色がさっと青くなる。

「っエイハブ!はやく首輪を‼」

「君はいつも乱暴だなぁ!」

 グレイが叫び、エイハブが黒い首輪のようなものを投げた。だが、それよりも速く男の後頭部が勝手に割れ、透明な『何か』があふれ出す。

「始末書、楽しみにしてるよ」

「私も楽しみで仕方ないわ」

 その現象自体にはさして驚きもせず、グレイは虚空を睨んでいた。

ただ静かに、天井へとネイルガンを構え、引き金へと指を掛ける。

「13時22分。黙獣モクジュウの駆除を開始する」

 ガキン、という釘が射出される音と、その言葉はどちらが先だったか。どちらにせよ、グレイは虚空からあふれ出した真っ青な液体を被り、正体も分からぬ『何か』が叫び声を上げた。

 困惑が、周囲のギャラリーに伝播する。

 ただひとり、グレイの赤色の眼球だけは、透明な『何か』を捉え続けていた。

 目を見開き、グレイはその場から飛びのいた。直後、下敷きになっていた男の死体が押しつぶされ、見慣れぬ機械と茶色の循環液が飛散する。

 姿は見えない。だが、虚空から絶えずびしゃびしゃと流れる青い液体だけが、透明な『何か』が移動していることを示している。

 遅れて『何か』も気付いたらしい。自分が見られているのだと。感じたのは不快感か。

 ジュウと床が溶け、地団駄を踏むような音が鳴り響く。

 グレイは鞘を掴み、勢いよく剣を抜いた。鈴のような音が鳴り、びっしりと気味の悪い刻印が刻まれた異様な刀身が露わになる。美麗で、異常で、古臭い銀の剣。銃の時代に錯誤もいいところだが、奇妙なほど少女の構えは様になっていた。

 確実に存在する不可視の『何か』と、少女は睨み合う。周囲のギャラリーは恐怖よりも好奇心が勝っていたのか、誰一人として逃げ出さず眺めていた。

 透明な『何か』と少女の奇妙な睨み合いは数秒続いたが、少女が動くよりも速く、パァンという空気を弾くような音が鳴る。同時に少女の身体がぐらりと倒れた。

「うぇ⁉」

 グレイは悲鳴と共に見えない力で透明な『何か』へと引っ張られ始めた。

「はな、せ!」

 バタバタと少女は足掻くが、引っ張られる身体が止まる様子はない。

 ため息と共に、一発の銃声が鳴った。

 見ればエイハブがハンバーガー片手に古めかしい銀の拳銃を抜いている。

 今度こそギャラリーから悲鳴が上がり、人だかりが散り散りになっていく。

 感謝はなく、けれど舌打ちはひとつ。銀剣が虚空を切り裂き、グレイは『何か』の懐へと、鋭く滑り込む。

 銀の剣が深く、空中を突き刺した。青い液体がまた飛び散り喪服を汚す。

 グレイは低く叫んだ。

「儀剣、干渉」

 銀剣が、蠢いた。刀身の刻印が黄色く濁った無数の瞳となって、花開く。

 ネイルガンが音を立てて落下する。

 グレイの両眼から血の涙が溢れていた。 足はがくがくと震え、おぼつかない。

 グレイの息は荒い。カチカチと歯を鳴らし、何故か立っているのもやっとというほどに憔悴している。

 それでも銀剣だけは掴んでいた。

 それでも血の溢れる両眼だけは、強く、強く眼前の獲物を睨んでいた。

「主観的存在の証明を、開始するッ!」

 その僅かな言葉は、鬼気迫る声色を持って、場を支配する。

 まるで両目から流れる血を触媒にするように、剣が大きく脈打った。

 無数の黄色く濁った瞳が、ギュルリと廻りはじめる。

 ギュルリ、ギュルリと廻って黄色く濁った瞳は一斉にある方向を見た。まるで、目に見えない『何か』を捉えたように。

 グレイは踏ん張り、勢いよく剣を引き抜いた。ズルりと『何か』も剣に引きずられ、虚空から紫の腹が露わになる。

「うーんデカイね」

 ドシャ、と大きな音を立ててソレは無造作に投げ捨てられた。

 近い生物を挙げるのなら、カエルだろう。もっとも、ただのカエルならば成人男性を超えるような巨体も、毒々しい紫の身体も、半透明な背中から幼い少女の遺体が垣間見えることも無いだろうが。

 の本当の名前は分からない。司祭は悪魔と呼称し祓わんとした。オカルティストは未確認生命体と呼んで崇めた。時代によって千の名があったが、そのどれもが見当違いであり、そのどれもが的を射ていた。

 ただ、これを狩る者たちは決まって黙獣モクジュウと呼んだ。尋常なる手段では見ることさえできない、聖書に記された人を喰う終末の獣の一端であるとして。

「黙獣の観測に成功。『名』は『蛙』であってるわよね?」

「そのはずだよ」

 その中でも【秘跡】と呼ばれる超常現象を持つ個体には、『名』が与えられるのが通例だった。

「毒の【秘跡】に注意してくれよ」

「分かった。じゃ、殺すわ」

 青い血を袖で拭い、グレイは再び剣を構えた。

 抵抗するように蛙の黙獣は毒を吐き、同時に誘導先へと溜めた左足が強力なキックを放つ。二者択一。毒を喰らうか、避けた先の蹴りを喰らうか。どちらにせよ、人ならば死ぬだろう。

 だが、グレイは毒を避けて逆に伸ばされた脚へと真横から剣を刺し込んだ。魚でも捌くように斬り進み、蛙の左足を真っ二つに斬り開く。青い血がびしゃびしゃと床を汚し、絶叫が木霊する。

 ふらふらと蛙の黙獣は飛び上がり、天井に激突して落下した。

「この閉鎖空間じゃ自慢の脚力も使い物にならないわね」

 当たらない。本来姿すら見えないはずの上位者は、ただの獲物に成り下がる。その光景はまさに、狩りだ。

 無造作にグレイは剣を振り下ろす。そこに技はない。だというのに無数の切り傷があっという間に生まれ、蛙の黙獣の顔面を切りきざんだ。特殊な形状の聖釘が喰いこみ徹底的に両目を破壊する。

 ぐったりと蛙の黙獣は倒れこむ。もはや抵抗する力さえ残されてはいなかった。

 それでもグレイは止めることなく剣を振り下ろし、ネイルガンを撃ち込んだ。

「グレイ、そのへんにしたほうがいいんじゃないかな」

「……まだ死んでないわ。こいつに同僚がどれだけッ!」

 駆除。いや、その言葉すら生ぬるいほどに、怒りの籠った八つ当たり。遂には剣もネイルガンも捨てて、殴り始めた。

 ぐちゃ、ぐちゃという粘着質な音がバーガーショップに反響する。

 原型さえ判別ができなくなった辺りでエイハブはグレイの腕を掴んだ。

「僕たちの仕事は、終わりだ」

「まだ!「君のその無駄な行動は、君の復讐心さえ、歪めてしまうものだと理解しろ」

 ハッとしてグレイはエイハブを見上げた。ひどく不愉快なものを見たように、エイハブは冷たくグレイを睨んでいる。

「……悪かったわ」

 バツが悪そうにグレイは手を振り解き、投げ捨てた剣とネイルガンを手に取った。

「グレイ、いくよ。帰りの飛行機に間に合わなくなる」

 エイハブは既にハンバーガーを食べ終え、入り口で待っている。慌ててグレイも走り出した。

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