鳥舞師
遠山悠里
「黒木、お前、『鳥舞師』って、知っているか?」
俺が、半年後に開かれる『第17回ワールドダンスフェスティバル』の参加候補者リストをチェックしていると、先輩の菊池さんが尋ねてきた。
「『鳥舞』でしたら、神事舞の一つですね。鳥の兜をかぶった舞人が、オスとメスの鳥の睦み合う様をかたどって舞うやつ。鶏舞なんかも、それらの一種なんじゃないですか?」
「ああ、それとは、ちょっと違うんだ。俺が尋ねているのは『鳥舞師』。鳥舞だけを専門とする流派があるそうなんだ」
俺は、その存在を知らなかった。
ただ、もしそのような流派があるとしたら、今回、東京で開かれることとなった『ワールドダンスフェスティバル』においては、欠かさぬ存在となるだろう。なにせ、今回のテーマは、『鳥』なのだから。
「で、菊池さん、その『鳥舞師』ですが、それって、どのような舞踊のジャンルに属するものなのですか? 『鳥舞』でしたら、神楽とかでしょうが」
「それなんだがな……いわゆる、神楽とか、日本舞踊とか、能楽とかとはまた違う感じなんだ。とにかく、まあ、実際の映像を観てみないか?」
「映像があるんですか?」
「ああ……かなり昔の地方番組で放送されたもののビデオ撮りだから、映像は不鮮明だがな」
そう言って、菊池さんは、企画部の隅にあるテレビの前に俺を連れて行った。
そして、VHSのビデオテープをセットした。
「動くかな? 最近、ビデオは全く使っていないからな」
しかし、やがて、ビデオは再生を始めた。個人撮影なのか、手ブレで焦点も定まらない。かなり乱暴な映像だ。
と、菊池さんが、画面を指差す。
「ここからだぞ。観てろ」
画面の中に、男が現れた。かなり高齢の男性だ。
通常の神楽や他の舞踊の衣装と随分違い、かなりシンプルなタイツのような服を纏っている。
デザインからすると、それは、カケスのようだった。
やがて、男は舞い始めた。
それは、不思議な舞だった。
神楽での鳥舞などとは、かなり異質な舞。様式化された舞踊の舞と違い、それは、鳥そのものの形態を模写しているようであった。
「どうだ?」
「神楽の鳥舞とは、ぜんぜん違いますね。むしろ、以前観た『暗黒舞踏』のそれと似ています」
「土方巽の始めたというアレか。……以前、暗黒舞踏の公演を生で観たことあるんだが、俺も、このビデオ映像を観た時に、どこかで同じような感覚を味わったなと思っていたんだが、なるほど、似てる」
「これは、すごいですね。……これは、ぜひ、ワールドダンスフェスティバルに出てほしいです。目玉の一つとなりますよ」
「ただな……一つ問題があるんだ。『鳥舞師』は、現在、存在しない」
「それじゃあ、招待しようにもできないじゃないですか」
「いや、厳密に言うと、存在しないかどうかもわからないんだ。なにせ、情報がなくってな。今、手がかりとなる情報と言えば、このビデオテープ一本きりだ」
菊池さんは、残念そうに言った。
俺に火をつけておいて、菊池さんは、別な仕事の打ち合わせがあると企画部を出ていった。
さて、俺だ……。
要するに、菊池さんは俺に、『探してみるんなら探してみろ』と言っているわけだ。わかりましたよ、探しましょう。
というわけで、俺は、『鳥舞師』の情報を探し始めた。
***
情報は、確かに、思っていた以上に少なかった。
ただ、神楽の文脈とは別なところで『とりまひ』に関して書かれているものはいくつか見つかった。
どうやら、起源は、中世の『放下僧』にまで遡るようだ。『放下僧』と言えば、放下(執着を捨てる)の教えを広めながら、曲芸や歌や踊りを演じていた者たちのことだ。『徒然草』にも、確か、放下僧の出てくる話があった。随分、歴史は古いらしい。
近世の情報としては、田楽・猿楽好きな豊臣秀吉が、それらの芸人を一同に呼んで、大阪城で演じさせたことがあるらしい。その時に、『とりまひ』のみを演じた者が『天下無双』の称号を得たと書かれてある。この『とりまひ』のみを演じた者が、『鳥舞師』である可能性がある。
文献情報はそれ以上進まなかったので、俺は今度は、例のビデオの方を攻めることにした。
ビデオの映像は地方のローカル番組だ。俺は、そのローカル番組を制作したプロデューサーに連絡をとった。その番組のプロデューサーは、すでに制作の現場を離れ、定年退職で局も辞め、田舎に戻っているそうだ。電話や手紙でもよかったが、俺は実際に話を聞くことにした。
池田という名のその元プロデューサーは、実家に戻り、野菜作りの合間に文献資料を整理する郷土史家として、日々、悠々自適の生活を送っていた。俺は、来訪の目的を告げ、『鳥舞師』がなぜ番組に出演することになったのかを尋ねてみた。彼の話によると、『鳥舞師』の出演は、予定されていたかったではなく、ちょっとしたアクシデントだったようだ。
番組では、『郷土の鳥たち』というタイトルで、その県に生息する数多くの鳥を紹介していた。その番組の途中、観覧客の一人が、鳥の説明に関して、否やを唱えたそうだ。その番組には、地元の動物学者の人も来ていたのだが、その『鳥舞師』は、動物学者の言葉を否定し、「カケスはこのように動く。その鳥はカケスではない」と断言して、ボストンバッグの中からカケスの衣装を取り出し、そして、踊り始めたそうだ。それが、あまりにも見事だったので、ついカメラを長く回してしまったと、池田さんは言った。
俺は池田さんに、その飛び入りの人物について尋ねてみたが、池田さんも、今、彼がどこにいるかはわからないと言う。
俺は落胆した。
「ああ、しかし、消息なら、わかりますよ」と池田さんは言い、中座した後、ハガキの束を持ってきた。
「仕事柄、多くの方と関わりますからねぇ……メールの時代になっても、ほら、こんな風に多くの方からお手紙をいただきます。この中に、『鳥舞師』の方のもありますよ」と言って、池田さんは、きれいに送り先ごとにまとめてある中から『鳥舞師』の人からというハガキを取り出した。
かなりの乱筆で書かれた宛名宛先の裏には、簡単な時候の挨拶と、名前が書いてあった。
鳥舞師 囀沢 鳴和
『囀』……『さえずり』だから、おそらく『さえざわ』。『さえざわなりかず』さんかな?
ただ、住所が書いていない。いや、書いてあるには書いてあるのだが、「岡山県」「福島県」など、県名は書いてあっても、それ以外は何も書いていない。そもそも、どのハガキに付いている県名もバラバラだった。一体、囀沢さんは、どこに住んでいるんだ。
***
東京に戻った俺は、これでもう、ジエンドだと思った。
だが、ふと、以前、『鳥舞師』で検索して全く引っかからなかったネットをもう一度試してみることにした。
今度は、そのものズバリ『鳥舞師』ではなく、いくつかの言葉を組み合わせてクロス検索してみた。
何度も言葉を変えて、検索している中で、あるニュースが引っかかった。
それは、10日ほど前の動画で、『鳥の真似をして妙な踊りを踊っている爺さんを見た』というものである。
俺は、その動画を再生した。
男性が、河原で踊っている。
ビデオとは別な衣装であったが、それは、まさにあのビデオの映像の『鳥舞師』だった。
その河原がどこなのかはすぐに特定することができた。
ビデオ動画をあげた人物の他の動画や画像、SNSでの発言を合わせれば、慣れている者なら容易いことだ。
その川のどの辺りの河原なのかも、大体、目星がついた。
ここからはそれほど遠くない。
俺は早速、その日の午後、『鳥舞師』の囀沢さんがいるであろう河原へと行ってみることにした。
***
『鳥舞師』の囀沢さんは、すぐにわかった。
俺が河原に降りた時、まさに、その彼が、舞っていた。
俺が近づいていくと、囀沢さんは動きを止めた。
そして、訝しげな目で、俺の方を見ている。
俺は訊いた。
「カワセミですか?」
それを聞いて、囀沢さんは、少し表情を緩めた。
「よく、わかったな」
「正直、動きではわからなかったと思います。あなたの身につけていらっしゃる衣装で、そうじゃないかと思いました」
「それでも、大したものだ。最近の若いやつは、スズメとヒバリの区別もつきやしない」
俺は、懐から名刺を出した。
名刺には俺の名前と『ワールドダンスフェスティバル 企画部』の文字が書いてある。
名刺を見て、囀沢さんの表情がまた堅くなった。
俺はとっさに付け加えた。
「池田さんから、囀沢さんのお話を伺いました。それで、今日、こちらに伺ったんです」
『池田』の名前を聞き、囀沢さんは、また、相好を崩した。
「池田さんには、旅先で随分世話になった。元気にされてたか?」
「はい、お元気で、たくさんの野菜を作られていました。お土産までいただきました」
「そうか……まあ、ちょっと、話をしていかんか? 池田さんのことも聞きたいしな」
そう言って、囀沢さんは、河原の一角を指さした。
そこには、小振りなテントがあった。
正直、この展開は予想していなかった。テント住まいということは、囀沢さんは、ホームレスなのだろうか。
しかし、池田さんから見せてもらったハガキでは、囀沢さんは日本中を転々としていた。つまり、囀沢さんは、日本中を巡る旅をしているのかもしれない。それなら、テント住まいの理由もわかる。
俺は、意を決して、囀沢さんの後に続いて、テントの中に入った。
そこは、思っていたよりも、ずっと整理整頓がなされていて、小綺麗な住まいだった。
「まあ、そこら辺に座ってくれ。来客はほとんどないので、座布団はないので……そうだな、そこにある布団の上にでも座ってくれ。今、お茶を淹れるから……」
普段、寝起きに使っているだろう、こちらも綺麗な布団が畳んであった。俺は、その上に座って、驚いた。
「どうしたね?」
「いや、……囀沢さん、この布団、すごくフカフカですね」
「ああ、それか……最近、羽根を入れ替えたばかりだから。俺は、ずっと、鳥を追って旅をしているから、羽根を拾うことも多い。そのままじゃあダメだが、よく洗って汚れや油分を落として十分に乾燥させれば、抜け落ちた羽根でも、羽布団になる。まあ、市販品には数段落ちるだろうがな」
「そんなことありませんよ。とても、気持ちがいいです」
「それは、よかった」
囀沢さんにいただいたお茶はとても美味しかった。
「ところで、黒木さん……あんた、よく、俺の住んでいるところがわかったな」
「あっ、はい……実は、この動画がヒントになりまして……」
俺は、SNSに上がっていた囀沢さんの動画を見せた。
囀沢さんは、その動画を見て、顔をしかめる。
「あの……おそらく囀沢さんに許可をいただかずに勝手にあがっている動画で、ご不快に思われたと思いますが……」
「いいや、そんなことはどうでもいいんだが……ああ、いけないな……」
「えっ?」
「うまく舞えていない。……黒木さん、この鳥はなんだと思う?」
「いえ、わかりません」
「シマフクロウだ……北海道にしかいない。俺も、現物は一回しか見たことがない。その時の記憶を元にして舞ってみたんだが、どうも、ダメだな。動きが硬いし、自信がなくて動いているのがよくわかる」
「では、衣装は、フクロウのものですか?」
「ああ、そうだ。さすがに、シマフクロウのように珍しいものは持っていないからな」と、囀沢さんは笑った。
その後、俺は、囀沢さんから『鳥舞師』のことをいろいろ伺った。
『鳥舞師』の歴史は、俺が調べたのとほぼ同じ内容だった。囀沢さんのお父さんも『鳥舞師』で、小さい頃から、日本各地を巡り、日本中の鳥を見て回ったそうである。
一時期、『鳥舞師』として舞うことを止め、普通にサラリーマンとして仕事をしていた頃もあったそうだが、やがて、お父さんが亡くなった後、『鳥舞師』に戻った。それ以降、日本中を転々とする生活を続けているとのことである。
***
それから、俺は、たびたび、囀沢さんのテントを訪ねた。
舞も見せてもらった。そして、実際、その目で見ることができる鳥に関しては、囀沢さんが、見える場所まで案内してくれた。実際の鳥を見ながら、囀沢さんは、その鳥とそっくりな姿で舞を舞った。
手つかずの自然が少なくなったと言われて久しい東京にも、結構、多くの鳥がいた。
カワウ、カルガモ、コサギ、アオサギ、カワセミ、ハクセキレイなど、たくさんの鳥が囀り、飛び立つ姿を、囀沢さんと共に楽しんだ。
囀沢さんのところを訪れていた間、俺は、何度か、ワールドダンスフェスティバルの話題を出した。
しかし、囀沢さんは、その話題が出るたびに、話題を逸らした。
どうやら、 囀沢さんは、あまりその話題をしたくないらしい。
だが、俺は、何としても囀沢さんをワールドダンスフェスティバルに招待したかった。
何度目かに、ワールドダンスフェスティバルの話題を出した時、囀沢さんが、残念そうに言った。
「黒木さん、あんたなら、わかってくれると思っていたが……俺は、ワールドダンスフェスティバルとやらに出る気はないんだ。諦めてくれないか」
「でも、囀沢さん……」
「俺はな……鳥が好きだ。空を飛び回る、どこまでも自由な鳥が好きなんだ。俺は、できるだけ、鳥たちと共に暮らしたい。だから、こんな齢にもなって、こんな生活を続けている」
「……」
「だからな……俺は、空にも飛べない鳥たちの真似をしているダンスだかなんだかの中に加わるのはイヤなんだ。苦痛なんだよ」
「でも……」
「コンクリートの中で暮らしていて、鳥たちの真似をしていても、それは、『鳥』じゃない。俺は、そんなもの、見たくないんだ」
「でも、囀沢さん……あなただって、鳥じゃないんですよ。飛べないじゃないですか」
俺は、言って、『しまった』と思った。
囀沢さんの表情がこわばった。
「帰ってくれないか」
俺は、囀沢さんのテントを後にした。
***
その日の夜、俺は夢を見た。
いつもの河原で、囀沢がこちらを見て、微笑んでいる。
衣装は、頭部の赤い模様と黒い翼先から、タンチョウのように見える。
囀沢さんは、こちらを見て、叫んだ。
「ほら、黒木さん、見てくれ。これが、タンチョウの飛翔だ」」
そう言うと、黒木さんは、羽根を羽ばたかせ、やがて、空へと舞い上がっていった。
***
翌日、俺は、河原を訪ねたが、そこには囀沢の姿もテントもなかった。
***
俺は、第17回、ワールドダンスフェスティバルの準備を進めている。
でも、その招待メンバーには、囀沢さんの名前はない。
囀沢さんはいなくなってしまった。
でも、俺は、思っている。
日本でただ一人の『鳥舞師』の囀沢さんは、鳥の舞を極め、とうとう、飛ぶことができるようになり、広い大空へと旅立っていったのじゃないかと。
そう……そうなのだ。
だって、俺の机の上には、あの日、河原で拾ったタンチョウの羽根が飾ってあるのだから。
(了)
鳥舞師 遠山悠里 @toyamayuri
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