カフェで一息

白椿

カフェで一息

ある日の出張からの帰り道、影本はふとカフェの前で足を止めた。明日から2連休なのでたまにはカフェに寄ってホッと一息つくのも悪くないか、と思いカフェの中に入ると温かい暖房が優しく顔に吹き付けてくる。外がとても寒くちょうど暖を取ろうと思っていたので影本にとっては好都合であった。窓際の一席にコートを置いて場所取りを済ませると、影本は注文をするためにカウンターの方へ歩いて行った。ホットコーヒーを一杯頼み、店員から受け取った後影本は自身の席へと向かった。座席に腰を下ろすと、溜まっていた疲れが一気に押し寄せてきた。

『....ふぅ』

緊張の糸が緩んだのか思わずため息が出てしまう。ただ店内の人は疎らである上に話し声の方が大きいため、影本のため息など誰も気に留めていないようだった。影本にとっても人目がどうのなど気にするに値しなかったので影本自身もなんとも思っていないが。コーヒーに少しミルクを入れて一口飲もうとすると、コーヒーから上がる湯気が影本の眼鏡を曇らせた。湯気で眼鏡のレンズが曇るなどよくある話だが、やはりこうなると少々見づらい。仕方なく影本は眼鏡を外すことにした。眼鏡ケースに入っていた布巾で眼鏡のレンズを拭くと、ひとまず眼鏡をケースにしまい、裸眼の状態でコーヒーに再度口を近づける。コーヒーを少し冷ましてから一口飲むと途端に奥深い苦さが口いっぱいに広がった。子供の頃飲んだ時は苦くて仕方がなかったのに、大人になってから飲むとその苦さの中にある奥深さも舌が捉えて、美味しく感じられる。出張の疲労で虚ろになった瞳に僅かに光が戻るのが自分でも分かった。疲れで暗くなった表情にも少し笑みが戻り、影本は心身共に温まるのを感じながらコーヒーを心ゆくまで味わった。コーヒーを飲み終えるとまた眼鏡をかけ直し、コートを着て席を立つ。チラッと見えた外には雪が降り幻想的な光景を醸し出している。美味しいものを口にして、雪のように美しいものを1人で堪能する。これほど贅沢なことは他にないだろう。影本はそう実感しながら、自宅への帰路に着いた。自宅へ着き夕食と入浴を済ませると、影本は歯を磨きベッドに横になった。いつもならこのまま寝てしまうのだが今日はせっかくの平日最終日なのだ。電話を少ししてから寝ても問題はないだろう。そう独断して影本が電話をかけたのは同僚の高山だった。

『珍しいな、お前から電話してくるなんて』

『....別に、なんとなくかけてみただけだ。ただ....昨日の喧嘩のことはすまなかった。私が言いすぎてしまった。悪かったな』

『いいよ、もう気にしてないし。俺も怒らせる前にお前の言うこと素直に聞いときゃ良かった。ごめんな』

『この間のバレンタインの時は、その....友チョコ、ありがとう....嬉しかった。ホワイトデーにこの返しは必ずさせてもらう。その時に2人きりで話せる時間も普段よりは作れるはずだ』

『お前....本当今日どうした?変なもんでも食ったのか?』

普段ここまで素直ではない影本がやけに素直なのに対し、高山は驚いてしまっていた。

『ああ、それは....いや、何でもない』

『いやそこは言わねーのかよ!?気になるだろ!、今完全に言う流れだっただろうが!?』

『....うるさい』

先ほどまで高山と普通に喋っていた自分が恥ずかしくなった影本はそれだけ言うと電話を切った。

『何だか今日は随分と高山に心を開いていたな....普段は高山と話すことなんて、ましてや本音で話すことなんてないのに何があったんだ?何故あの時のように素直に心を開けていた....??』

影本は誰もいない部屋の中で自問自答した。素直になったのは何故だ?普段は高山とは馬が合わずほとんど言葉など交わさないのに。まさか....

『....さっき飲んだコーヒーか?....くっ....!!』

影本は恥ずかしさのあまり布団に深く潜り込んだ。コーヒーを飲んで一息ついたのは体と心だけではなく、頭もだったのだ。

『私としたことが....あのような失態を犯すとは....!』

影本は恥ずかしさを忘れるために眠りについた。コーヒーは今後極力控える、と密かに決意して。

END

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カフェで一息 白椿 @Yoshitune1721

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