君の花が咲く頃に

第12話 君の花が咲く頃に(1)

 鏡の前で散さまがうなる。

 今日のお召し物は、本人の希望で赤い着物だ。散さまが好きな小説の中では、吸血鬼の少女が主人公は血のように赤いドレスを着ているらしい。


「ドレスにしようかとも思ったけど、やっぱり着慣れたものがいいかと思って。似合う?」

「もちろん。似合わないことがありましょうか?」

「もっと素直に似合うって言ってよ」


 散さまは何度か着物の裾をなでたり、おさげにした髪の先をつまんだりと落ち着かない様子だ。

 そして、自分の額の枝を指先でつついて、むっと顔をしかめる。


「帽子とか、手ぬぐいをかぶったりってできないのかな?」

「室内でかぶっているほうが目立ちますよ」

「そうかな……。なんか不安になってきちゃった」


 お見合いということで、余計気になるのだろう。

 離れをほとんど出ない散さまは、父と灰理さま、それから僕としかほとんど顔を合わせなかったものだから、女性は額から木を生やしているもので、男性が生えていないものだと幼い頃は思いこんでいたのだった。

 自分が人と違うと知ってから、散さまは鏡の前に立つのをひどく嫌がるようになってしまった。

 僕は姿見にさっとほこりよけの布をかぶせて、その視界を遮った。


「本日も散さまは世界で一番お美しいので、自信を持ってくださいませ。そろそろ参りましょう」

「時々、ちゃんと褒めてくれるよね……ありがとう」


 ちょっぴり照れたように笑って、散さまはいつもよりしっかりとした足取りで部屋を出た。

 玄関には、いつもの供の女中が来ている。

 目が合わないように頭を下げる彼女に、散さまは緊張したように軽く会釈を返した。

 離れから本邸の道は散さまにとって長いので、車椅子でそこまで連れて行くことになる。先導する女中の後を追うように、僕は散さまを車椅子で押していく。

 本邸に近づくとだんだん景色が変わっていき、殺風景で砂利しかなかった道の両端に専属庭師が整えた植え込みや木が並ぶ。

 冷たいびゅっと風が吹いて、ぱらぱら葉を落とした庭の木がさびしげに揺れる。


「な、なんか、おなかが痛くなってきた、気がする」


 屋敷が見えて、散さまの顔色が悪くなった。

 お腹を押さえて、不安そうにこちらを振り返ってくる。


「大丈夫ですよ、散さま。今日の散さまは無敵ですので、どんな男も一瞥で倒せます」

「別に倒したいわけじゃないんだけど」

「何を言いますか。恋とは生存競争の一つの形、倒してなんぼです。そのために、昨日の晩から髪に椿油を塗ったり、美容パックしたり、お化粧だってばっちりでしょう」

「そうだけど……そういえば、ちゃんと小説読んだ?」

「ああ、申し訳ございません。忙しくて、まだ半分というところでしょうか」

「ちゃんと小説は読み込んでおいてよね。私を助ける調がちゃんと恋の勉強をしていないと、いざというときに困るもの」


 おどけて話していると散さまもだんだんと気分が上がってきたらしい。車椅子の上で腕を組んで、恋とはどういうものなのか教えてくる。

 そうしているうちに、屋敷に着いた。

 ここからは車椅子を下りてもらって、見合いの席を準備している部屋へと移動してもらう。

 洋室と和室どちらのほうがいいかと女中頭と相談し、散さまの負担を最小限にするためと考えて洋間の一室を選んだ。

 壁一面が広い窓で日がたっぷり差し込み、昼はとても温かい。最近冷え込んできているし、ここなら過ごしやすいだろう。直接光を浴び過ぎないように薄手のカーテンをかけて、窓際にテーブルと椅子を並べている。

 僕の注文で、できるだけ花のモチーフはなくしてもらった。もともと部屋にあった植物なども撤去済みだ。

 椅子を引いて、散さまに腰かけてもらう。


「えっと、相手の人はいつぐらいに来るの?」

「そろそろだと思いますが……」

「木守く――木守さん、お相手がいらっしゃったようです」


 小茂牧さんが、岡手くんの来訪を知らせにきた。

 散さまのお姿を初めて見た彼女は、ほうっとため息をついたが、気分を害しているようにも、不安げな様子も見せていない。

 これなら大丈夫かと彼女の紹介をすることにした。


「散さま、こちらが先ほどお話しした私の同級生だった女中です」

「お初にお目にかかります、散さま。小茂牧と申します」


 僕に促されて、小茂牧さんお辞儀をする。

 厳しく指導されたのか、一部の隙も無い整った礼だ。

 散さまは何度かちらちらを私の顔を窺ってきたが、小さい声でよろしくと答えた。


「それでは、散さま、僕は少々席を外します。それまで、こちらの小茂牧とお待ちくださいませ」

「え、もう? まだ相手も来てないし、もうちょっと……」

「お相手をお連れしますので。ちゃんと戻ってきます。完全におそばから離れるのは、散さまがお見合いの空気に慣れてからにいたしますよ」

「そ、そっか……。うん、じゃあ、いってらっしゃい」


 小さく手を振ったかと思うと、散さまは肩をがちがちに固まらせて、じっと染み一つないテーブルクロスを眺め始めた。

 緊張するその姿に、小茂牧さんに一瞥を送って様子を見てもらうことにする。

 僕は部屋を出て、足早に出迎えに向かった。

 屋敷の近くに来たら連絡するように頼んでいた。迎えの車から下りて、今は屋敷までの道を歩いている頃だろう。

 予想通りまだ玄関に姿は見えなかった。

 そのとき、ちょうどよく玄関戸が開いた。


「ようこそいらっしゃいました、岡手さ、ま……」


 自分の口元が引きつって、歓迎の言葉が途切れてしまった。

 前回と同じスーツに身を包んだ岡手くん。キックボクシングの試合によって怪我を負ったのか、左頬にガーゼを貼られていた。目の端も擦り切れたのか、少し赤くなっている。

 いや、いい。彼はキックボクサー。そこはあらかじめ心構えしていたところだ。

 今問題にするべきはそこじゃない。


「あ、お久しぶりです、木守さん」


 僕を見た岡手くんが笑顔で挨拶してくれた。

 怪我のせいで以前より威圧感があるように感じるが、彼の雰囲気と仕草、そして――あるものが恐い印象を和らげている。


 その手に大きな花束を抱えていた。


 美しいが、この見合いにふさわしくない。


「……岡手くん、何もお持ちにならなくていいと申し上げましたのに」


 何を用意すればいいのかと岡手くんから事前に相談を受けたので、何も持たずに身一つでと伝えていた。

 誰も花束を取り上げなかったのか。

 ちらりと案内役の女中を見ると、少し困った表情をしていた。


「木守さんはそう言ってくれたんすけど、やっぱり不安になって。そしたら、花を持っていったらいいとアドバイスを」

「誰です、それは?」

「え、その、屋敷で働いているお医者さんって人が……」

「……そうですか」


 敦人だ。

 肺を空っぽにするほどのため息が出た。

 いつ、どこで、どうやって、接触したのかは分からない、敦人はこの顔合わせをぶち壊すつもりらしい。これもまた実験か。

 何か間違えたと気づいたらしい。岡手くんが申し訳なさそうに小さくなってしまった。


「あの、すみません。えっと、もしかして、縁起の悪い花とかっすか。ちゃんと花屋さんで、女の子にプレゼントする用にって作ってもらったんすけど……」

「花窪は、花が駄目なんです。先に説明しておくべきでしたね」


 へらへら笑って近づいてくる白衣を着た怪しい眼鏡の男の言うことは全部無視しろ、見かけたらすぐに逃げろと言っておくべきだった。


「アレルギーとかっすか。……あ。だから女中さんが俺の花を持ってくれようとしたんすか。気を遣われてるのかと思って、大丈夫って言っちゃったんす」


 すみませんと謝る彼に、女中が苦笑いを浮かべながら、その手から花束を受け取って持って行く。散さまの前に出さなければいいので、屋敷のどこかには飾られるだろう。

 しかし、岡手くんはすっかりと勢いをなくしてしまった。


「あの、本当にすみませんっす……余計なことしちゃって」

「いえ、こちらの手落ちです。岡手くんは気にしないでください。ただ、白衣の男の言ったことは全て嘘だと思って忘れてください」

「はい……。というか、今日の木守さんは敬語なんすね。あの、前みたいにくだけて話してもらえないっすか。なんか緊張するっす」

「申し訳ありませんが、今日はほかの目もありますので。それに、今日あなたとお話しするのは僕ではなく花窪――散さまですから」


 前回くだけて話したのは、僕と岡手くんだけの顔合わせだったからだ。これから散さまと並ぶ人として扱わなければいけないのだから、なれなれしく話すことはできない。

 それにまた岡手くんはショックを受けた顔をした。


「あの、花窪散さんっすよね……えっと、花窪さんって呼べばいいっすか? それとも、花窪様?」

「いえ、花窪は役職名のようなものです。散さんと呼んであげてください」

「しょ、初対面っすよ。そもそも女の子を下の名前で呼ぶなんて幼稚園のとき以来っすよぉ」


 岡手くんの顔がますます強張っていく。弱々しく声を震わせているのに、目つきが鬼のように怖い。人相が悪すぎる。

 このまま見合いをするどころではない。

 仕方ないので、今だけと思って僕は口を開いた。


「大丈夫。誰も君を責めたりしないから。今日はおいしいごはんを食べるだけだと思って。ちゃんと二人で会話できるようになるまで、僕も側で控えているから」

「え、会話できるようになったらどっか行っちゃうんすか! 置いていかないでほしいっす! 俺、ここでちゃんと話せる人って木守さんしかいないんすよ!」

「岡手くん、君だって自分の目的があるって言っていただろう。なら、ここはがんばって、散さまと話をしないと」

「そ、そうだったっす。いつもすみません……」


 ふうっと岡手くんが深呼吸する。

 時間を確認すると、もう十五分も散さまを待たせている。しかし、岡手くんはなかなか落ち着かないのか、延々と息を吸って吐いてを繰り返している。

 無理に連れていくべきかと考えていると、岡手くんがこちらに頭を下げてきた。


「あの、どうしても落ち着かないんで、気合入れるために思いっきり背中叩いてもらえるっすか。そうしたら、試合みたいに集中できると思うんすよ」

「……わかった。それじゃ、背中を叩いたら移動しよう」


 壁のような広い背中を向けられた。流石スポーツ選手、がっちりしている。そこへ大きく手を振りかぶって、僕は平手を飛ばした。

 思ったよりも大きくバシンと鳴って不安になったが、よしと頷いた岡手くんが満足そうだった。じゃあこれでいいのだろう。


「それじゃあ案内するよ。……こちらへ」

「うっす」


 体育会系の返事をする岡手くんはスイッチが入ったようだった。

 肩で風を切っていく感じが少し威圧的で、このまま散さまの前に出したら怯えられるかもしれない。

 とはいえ、さっきの緊張した顔も怖かったが。

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