星降る村のパン屋さん
月森こもれ
第1話 家族の朝と冬の別れ
リゼットは、父と母と三人で、リューシェ村の小さなパン屋を営んでいた。
店の名前は「星のかまど」
朝になると、パン屋の小さなかまどから、ぱちぱちと薪のはぜる音が響きはじめる。父が早起きして火を起こし、母が生地をこねてテーブルに並べる。まだ夜が明けきらぬ村の空の下で、窓の明かりは一番星のようにきらめいていた。
リゼットの役目は、カウンターでお客さんに笑顔をふりまくことだった。
「リゼットちゃんの笑顔を見ると、パンがもっと美味しく感じるわ」
「今日も元気をありがとうね」
そう言われるたび、リゼットは胸の中がふわりとあたたかくなった。
母が焼くパンは、噛むとほろりと崩れ、口の中にやさしい甘みが広がった。外の皮は香ばしくて、中はふわふわ。「どうしてこんなに美味しいの?」とリゼットが聞くと、母はいつもこう答えた。
「このパンにはね、家族のあったかさが詰まってるのよ。火のあたたかさ、お父さんのがんばり、リゼットの笑顔。みんなの気持ちが、ちゃんと形になるの」
パンを焼くのは魔法みたいだった。
ただの粉と水が、誰かの心をほっとさせるものに変わっていく。
それを家族みんなで作ることが、リゼットにとって何よりの幸せだった。
けれど、そのあたたかな日々は、ある年の冬、そっと崩れ落ちた。
雪が降り始める前、村に不穏な噂が広がった。
「黒い咳」と呼ばれる風邪のような病が、隣村で流行っているという。最初は咳と微熱だけだったが、やがて高熱と、体のだるさ、そして呼吸が苦しくなる症状へと変わっていった。
リューシェ村でも、あちこちの家から咳き込む音が聞こえるようになった。パン屋を訪れるお客も、日を追うごとに減っていった。
父と母は、変わらずパンを焼き続けた。「こんなときこそ、あたたかい食べ物が必要だ」と、病床にいる人々にパンを届けてまわった。
そして、いつの間にか、父の咳が止まらなくなり、母の頬も少しずつこけていった。
最初は「大丈夫、大したことないよ」と笑っていたけれど、朝の火をくべる手が震え、生地をこねる力が弱まっていくのを、リゼットは気づかずにはいられなかった。
ある朝、パン屋のかまどに火が入らなかった。
父が起き上がれず、母がふらふらと水を汲みに行こうとして、玄関先でうずくまった。
リゼットは慌てて毛布を持ってきて、母の手を握った。冷たかった。だけど、ぎゅっと握り返してくれたことだけが、救いだった。
数日後、父は眠るように息を引き取った。
母はそれを見届けてから、やさしく笑ってこう言った。
「リゼット、あのパン屋を、忘れないでいてね。いつか、あの窯に、火を灯してちょうだい」
それが、母の最後の言葉だった。
春が来たとき、村に咲いた花はとても静かだった。風はやわらかく、草の匂いも甘かったけれど、リゼットの心にはぽっかりと穴があいたままだった。
星のかまどは閉じられた。パンの香りもしなくなった。
そしてリゼットは、ひとりぼっちになっていた。
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