香山礼子さん

@doncra

香山礼子さん


「ねえねえ、また変なアプリ流行ってるらしいよ」


朝の通学路、桜並木の下で待ち合わせた美咲が、いつものように少し興奮気味にスマホを掲げた。春の柔らかな日差しが画面に反射して、一瞬何が映っているのか分からない。


「なんか"香山礼子さん"っていうアプリ。昨日めっちゃタイムライン荒れてた」


遅れてきた友人の結衣と菜々が美咲の周りに集まる。画面には「香山礼子さんとデート」と大袈裟に書かれたYouTubeのサムネイルが映っていた。


「また変なの入れたの?」結衣が呆れたように言う。「前のウイルスみたいなやつでスマホ初期化したばっかりじゃん」


「これは違うって!ほら、見て」


美咲は手慣れた動きでアプリを立ち上げた。一見すると普通のカメラアプリだ。


「これってAIか何かで、写真撮ると…ほら!」


彼女が自撮りした画像には、存在するはずのない女性が隣に立ち、一緒にピースサインをしている。女性は二十代半ばといった感じで、特別派手ではないが整った顔立ちをしていた。


「香山礼子さんが写真に写ってくれるんだよ」

「誰それ?マジウケる」菜々が笑う。


「めっちゃ流行ってるみたいでさ、ほら見て、62954枚目だって」


撮影した写真の下部には統計情報が表示されている。美咲が立て続けに数枚撮ると、そこには毎回香山礼子が鮮明に映り込み、数字は63001、63955、65963と急速に増えていく。


「私もやってみる!」菜々がスマホを取り出した。


---


SNSには「#新しい友達」というタグとともに、無数の香山礼子の画像が投稿されていた。よくある一過性のSNSブームだ。


「実在の人物?モデルはいるの?調べてみました。何もわかりませんでした」という投稿も散見される。


アプリ自体は驚くほどシンプルで、写真を撮ると番号と生成画像が表示されるだけ。説明も共有ボタンもなく、誰かが暇つぶしで作ったような素朴さがある。その作為のなさが、かえって人気の理由かもしれない。


「うわっ…」


結衣の声が震えていた。彼女のスマホ画面を覗き込むと、そこには他の写真とは明らかに違う香山礼子が写っていた。


俯いた香山礼子の顔には影が落ち、目が見えない。唇は微かに開き、何かを囁いているようにも見える。背後の壁には、わずかに人影のようなものが映り込んでいた。


「これ…」結衣の顔から血の気が引いていく。「なんか違う…」


美咲と菜々も画面を覗き込み、一瞬言葉を失った。


「ホラーじゃん。投稿したらバズりそう」美咲が言ったが、声には緊張感があった。


「マジ?やってみようよ」菜々も同調したが、二人とも何か不自然なものを感じていた。


結衣はスマホを握る手が冷たく感じられた。画面の香山礼子を見つめていると、まるで自分が見られているような不快感が背筋を伝う。


「気持ち悪い…私、もう消す」


結衣は震える指でアプリを削除した。スマホを鞄にしまいながら、何度も手を擦った。その感覚が消えない。


「大げさだなー」美咲は言ったが、結衣の反応に少し動揺していた。


SNSでも不快感を表明する投稿が増えつつある。来週には話題にもならなくなるだろう。一枚投稿すれば終わりという手軽さが流行の理由だが、それゆえに飽きも早い。


「それで昨日さ…」菜々が話題を変えた。


---


その夜、美咲は自室のベッドに横たわりながら、最後にもう一枚だけ香山礼子の写真をSNSに投稿しようとアプリを開いた。朝の投稿には25のいいねがついていた。まだ流行りのネタだから、もう少しいいねを稼げるはずだ。


しかし、アプリを起動しても画像は生成されなかった。代わりにサービス終了を告げるポップアップが表示され、もう写真は撮れなくなっていた。


「なーんだ」


美咲は肩をすくめ、スマホを置いた。明日は結衣に報告しよう。あんなに怖がっていたのに、たった一日で終わるなんて笑うだろう。


夜中、美咲は奇妙な夢を見た。誰かが彼女の名前を呼んでいる。振り返ると、そこには香山礼子が立っていた。現実の写真よりもはっきりとした姿で。結衣の写真に写っていた様に生気を失った顔で。


「ありがとう」と香山礼子は囁いた。「私を見つけてくれて」


美咲は冷や汗をかきながら目を覚ました。スマホの画面が暗闇で微かに光っている。触れてもいないはずなのに、画面には最後に見たポップアップメッセージが表示されていた。


"おかげさまで香山礼子は見つかりました"


「どういうこと?」

彼女はアプリをアンインストールして、スマホを置いた。


翌朝、通学路で三人で待ち合わせると、昨日のアプリの話になった。

「あのアプリ、急に使えなくなったよね」

「そうそう、なんか見つかりましたって」

「やっぱ変だよ気持ち悪い」


下校時、彼女たちは駅前の小さな掲示板の前を通りかかった。

そこに貼られた古びた張り紙に、ふと目が留まる。


「行方不明 香山礼子(18歳)」


日付は3年前。写真に写る少女の顔は、アプリに現れた女性よりもずっと幼く見える。

けれど、確かに同じ人物だと分かる何かがあった。


彼女たちは顔を合わせると、言葉を交わさず、足早にその場を離れた。

その日から、誰も香山礼子さんについて話さなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

香山礼子さん @doncra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る