第7話 交渉

 セバーノによってすぐさま数人の船員たちが集められ、スレインとケイトを取り囲んだ。そして、遅れて娯楽室に入ってきたマンフレッドが二人の前で仁王立ちした。


「よくも、この俺様を騙しやがったな!」


 マンフレッドがスレインの胸ぐらを掴んできたが、スレインは抵抗しなかった。マンフレッドは屈強そうだがその気になれば倒せないこともないだろう。しかし、船には何十人もの船員たちがいるから、無茶なことはできないし、そもそも悪いのは無断乗船したスレインとケイトの方なのだ。だからここは、まずは服従の意を示しつつ穏便に済ませる方法を探るべきだろう。


 マンフレッドが拳をスレインに向けた時、ラウロが口を開いた。


「船長、暴力はいけません」


「そうですよ」セバーノも続いた。「船を汚したら、旦那様がどれだけお怒りになることか……」


 マンフレッドは舌打ちすると、スレインから手を離した。


 話を聞いてくれそうな人がいて助かった、と思いながら、ラウロに向かって小さく頭を下げた。これなら穏便に済ませられるかもしれない。


「それで、ピエトロさん」セバーノがピエトロを見た。「この人たちが、トレジャーハンターっていうのは間違いないんですか?」


 ピエトロはうなずいた。「背の小さい方、名前はケイト・イマーシ。ちんけなトレジャーハンターですよ」


「ちんけって何!」ケイトはピエトロは睨みつけた。「古代ヤマーバ王国の遺跡でエメラーダ姫の耳飾りを見つけたの、誰だと思ってるの」


「ほう、あなたがあの秘宝を」ラウロが興味深そうにケイトを見た。「コレクター界隈で大きな話題になってましたな」


「すごいでしょ」


 と、ケイトは自慢げに胸を張ったが、すぐさまピエトロが言った。


「騙されないでください、ラウロ先生。耳飾りの在処を調べたのは僕です。この人は、僕の研究を盗み見て、抜け駆けしただけなんですから」


「それは、あんたの被害妄想」ケイトは言い返した。「この業界じゃあ過程なんてどうでも良い、すべての栄誉は第一発見者に与えられるの」


「過程こそ研究の醍醐味です。どうでも良いわけが無いでしょ」


「だったらなおさら文句を言われる筋合いなんて無いでしょ。あなたは好きなだけ過程を追えば良い。あたしは結果を貰うだけだから」


「何で、あんたなんかに大切な研究成果をやらなきゃならないんだ」


 ピエトロは憎々しげな目でケイトを睨んだ。


 どうやら、ピエトロという青年は歴史学者のようでかつケイトとは因縁浅からぬ仲のようだ。ケイトは一番出会ってはならない人物と遭遇してしまった。


 すると、室内中の人々が立ってスレインとケイトを取り囲んでいる中、ただ一人、ソファーに座ったままワイングラスを傾けていたメルトが笑い出した。


「突然どうされたんです、メルト猊下?」


 言葉遣いこそ丁寧だったが、ラウロがメルトに向けた視線は冷ややかだった。


「このトレジャーハンターちゃんと、学者青年くんのやり取りときたら、まるで熟年夫婦みたいじゃなか」


「「はあ?」」


 ケイトとピエトロは同時に赤ら顔のラウロを睨みつけた。


「誰がこんなカビ臭い男なんかと!」


「こんな強欲女と同じ空気を吸ってるだけで気が滅入ります!」


 二人から睨まれたラウロはぐいっとワイングラスを飲み干すと、再びゲラゲラと笑い出した。


「猊下!」


 ピエトロはメルト以上に顔を真っ赤にして目を吊り上げた。その時、ドンッ、とマンフレッドが強く床を踏みつけた。


「そんなことより、結局こいつらをどうするつもりだ! 今すぐ海に投げ捨てていいのか?」


「ま、待ってください船長」セバーノは怯えた表情を浮かべつつ言った。「旦那様に相談しないと……」


「そんな必要ねえだろ、異物は排除する、それだけだ」


 マンフレッドはスレインを睨みつけてきた。彼は激怒している以上に焦っているように見えた。それもそうかもしれない、ジェラルドに知られれば、船長として不審者を乗せてしまった責任を問われかねないからだ……などと、冷静に分析している場合ではない。このままでは海に放り捨てられサメの餌になってしまう。


 さてこの場をどうやって切り抜けるか……。こちらの非を認め、船員の一人としてこのまま働かせてください、と頼み込んでみるのはどうだろう。海賊王の宝には一切手を出さない、と約束すれば、大海原の真ん中に放り捨てられる事態だけは避けられるかもしれない。しかし、マンフレッドはスレインのことを相当嫌っている。この様子では望みは薄そうだ。


 ケイトは何か良い案を持っていないだろうか? と彼女を見たが、まだピエトロのことを親の仇のような目で睨み上げていた。……当てにならなさそうだ。


「まあまあ船長、冷静に……」落ち着いた声でラウロは言った。「別に今のところ具体的な被害があるわけでもないし、そんな乱暴なことをしなくてもいいでしょう」


「甘い! こういう輩は必ず船に不幸をもたらすと、俺様は長い航海経験からわかってるんだ」


「しかし、ジェラルドさんだって、海に捨てるなんて野蛮な処罰、望まないでしょう」


「……呼んだか?」


 突然、入り口から響き渡った低い声に驚いて、娯楽室にいた全員が一斉に振り向いた。


 そこには、杖をついたジェラルドが立っていた。


 乗客と船員たち、それにソファーに座っていたメルトすらも立ち上がり、背筋を伸ばして船主を見た。これまでも緊張した空気に包まれていた娯楽室だったが、ジェラルドの出現により、より一層ヒリヒリとした空気に満たされたような気がした。


「だ、旦那様!」セバーノが一目散にジェラルドの元に駆け寄った。「どうされましたか? ディーナ様と一緒にお部屋で休まれていたはずでは?」


「さっきからディーナがお前を呼んでいるのに来ないからだろ!」


「申し訳ありません! 旦那様」


 セバーノは腰を百八十度に折り曲げて頭を下げた。


 ジェラルドは執事を無視して、ラウロとマンフレッドを順に見た。「何事だ? 先生に船長……船員たちまでこんなに集まって」


「そ、それは……」マンフレッドの額から一気に汗が吹き出した。「も、申し訳ありませんジェラルド様。この船に賊が忍び込んでいまして……」


「何?」ジェラルドの額に深い皺が刻まれた。「そんな奴は今すぐ海に放り出せ」


 これはまずい、どうやら船主は船長に近い考え方の持ち主だった。このままでは有無も言わさずサメの胃袋行きだ。


 こうなったらジェラルドに直接話をして、何とか信頼を得るしか道はない。そう考えたスレインは一歩前へ進み出た。


「ジェラルドさん。俺の名前はスレイン・ボルト、傭兵をやっている」


 ジェラルドはその年齢からは考えられないほど鋭い視線をスレインとその隣のケイトへ向けた。「貴様らが賊か?」


「彼女……ケイトとは昔馴染みで、この船に乗って海賊王の島へ行き、そこで財宝を捜索する間の護衛を頼まれた」


「はっ、護衛ね……」マンフレッドは鼻で笑った。「今こういう状況になってるってことは、大した傭兵じゃあねえってことだな」


 癪に触る言い方だが、他の人たちへの心象を悪くしまいと、スレインはぐっと我慢した。


「ハント商会関連の商隊の護衛も何度かやらせて貰ったことがある」


 と、スレインは少しでも信頼を得ようと実績をアピールしたが、


「それがどうした? 傭兵など腐るほどいるだろ」


 と、ジェラルドは歯牙にも掛けない反応だった。ところが、


「スレイン……ボルト……」


 メルトが目を大きく見開いて、スレインを見てきた。


「メルト猊下、何かご存知か?」


 ジェラルドがメルトに視線を向けると、メルトは、


「そんな名前を少し前に聞いたことがある気もするんだが……きっと人違いだろ」


 と言って、肩をすくめた。


「じ、実は有名人なんですかねえ」と、セバーノ。


「実は俺」スレインはセバーノやジェラルドたちを見渡しながら言った。「ブレイトン商会お抱えの傭兵でもある。オスカーとも面識があって、度々彼から直接仕事を請け負ったりもしている」


 ブレイトン商会はジェラルド率いるハント商会にも引けを取らない大商会であり、会長の息子であるオスカーとスレインは旧知の仲だ。いくらジェラルドであっても、そんな人物を無下にはできないはず……。後々関係者に迷惑をかける恐れがあり、できれば表に出したくはなかったが、この窮地を逃れるためにはしかたがない……。


 予想通り、ジェラルドとセバーノも目を大きく見開いた。


「ブレイトンは私にとってライバルだが、大切な友人でもある」ジェラルドはゆっくりと言った。「君が彼の傭兵だというのなら、私は君の処遇を決めることはできない。……だが、仕事は選んだ方がいいな」


「いや、まったくその通り」スレインは苦笑した。


「あの、ジェラルド様。ではこいつらはどうすれば?」


 困惑した表情で、マンフレッドが訊ねた。


「しかたあるまい、客人としてもてなそう」


 スレインとケイトはほっと息を吐き、マンフレッドとピエトロは眉をひそめた。


 なんとかこの場は乗り切れたようだ。ちなみに、スレインとオスカーが知り合いであることもブレイトン商会関連のちょっとした仕事を請け負ったことも事実だが、オスカーは友情と仕事ははっきり分けて考える人物であり、スレインのような一匹狼にブレイトン商会お抱え傭兵と言えるほど重要な仕事の依頼などしない。だから半分くらいはハッタリなのだが、今回はよく効いてくれたようだ。


 今回ばかりは、ハッタリの重要性を教えてくれたケイトに感謝していいかもしれない。

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