6-10
ふぅ……叫んだら少し落ち着いた気がする。本来の仕事に戻る――前に、もう少し粘ってみよう。
「ねえ、ジゼル。忘れるって凄い大事なことだと思わない?」
「どうでしょう? データ損失は一部であってもデータの連続性を失い、損失箇所の後のデータに対する信憑性を著しく損なう可能性が高いです」
「そういう大仰なことじゃなくてさ」
「確かに、人は忘却をもって心を保つ場合があることは知っております」
「そういうのとも違うんだけど……何でもいいや、とにかくさっきのは忘れてよ」
「了解しました。それでは、忘れたフリは致しましょう」
「フリはいらないっ!」
これはダメそうだ。暖簾に腕押し、糠に釘、AIに忘却だ。
あぁ、私の下着がこの都市国家のアーカイブに永遠に残るのだろうか……
AIという存在の頑固さに打ちひしがれながら横に目を向けると、ジゼルの小さく笑う姿が目に入る。それは、本当に楽しそうに見えた。
そうか、ジゼルだって審判の対象なのだ。
今更ながら当たり前のことに気が付く。
楽しみ、喜び。きっとよく見れば、変化は起きているんじゃないかという気がしてきた。
再び私たちは歩き出し、街の観察を続けた。
店先でDOLLが、小さな子供の笑い声に反応して口角を上げていた。
掃除を終えた作業用のドールが、風に舞った花びらをそっと拾い上げ、ベンチの上に並べて眺めてから、それを処理していた。
「やっぱり、変わってきてるんだね」
DOLLを道具として見ていると気が付きにくいが、変化は確かにある。
「そのようですね。そしてそれは人にも……」
「コラ! ぼーっとしてないで仕事しろ! まったく、さっきから調子悪いな」
ジゼルの言葉を遮るように、少し離れた路地から怒鳴り声が聞こえてきた。
眺めてみるが、それらしい姿は見えない。店の中からだろうか?
でも、何が起きているのかは大体予想ができた。
「良き隣人、か……」
呟いた言葉が、日の暮れ始めた街に溶けていく。
博士の審判が意味するものが、微かに見えてきたような気がした。
◇
日がすっかり傾き、街灯が一つずつ灯り始めた。
私たちはその日の観察を終わらせ、食料の買い出しをしてから拠点に戻ることにした。
「ただいまー」
玄関を開け中へと入る。リュカの返事はなかった。
そのまま中へと入っていくと、机の上に何台もの端末を並べ、忙しく手を動かしているリュカがいた。画面には、複雑なコードと無数の警告表示が流れている。
買ってきた荷物を下ろすと、その音でようやく気が付いた彼女が振り返る。
「ああ、お帰り。そっちはどないやった?」
そう言ったリュカの顔は、別れる前に比べると随分とやつれたような感じがした。彼女の方は上手くいっていない雰囲気だな。
「報告するから、とりあえず食事にしない? 一息入れようよ」
「ええやん、それ! お腹ペコペコやし、甘いモンほしーわ、甘いモン! なんかある?」
案の定即座に飛びついてきた。
「あるよー。私も食べたかったし、色々買ってきたよ」
私も歩き回って正直疲れていた。やっぱり、こういう時は甘いものだよね。
◇
「そんな感じで、家庭用のDOLLは変化が大きいみたい」
食事をしながら、私は見てきたものをリュカに話した。
ちなみに、ジゼルは充電の為に別の部屋に行っている。
「なるほどな……。まぁ、感情は他人との関わり合いで生まれるモンの方がデカいんやろな」
リュカはぼそりと呟くと、一台の端末を手元に寄せた。
「ウチの方はな、まぁちょっとずつデータは引き出せとるわ。せやけど、ほんまレアド博士ってのは天才やったみたいやな」
リュカが面白くなさそうに経過報告をする。
「今はな、博士の研究資料を漁ってるとこや。原理まではわからへんけど、人の感情とかな、完全にAIで再現させることに成功しとったみたいやわ。ほんでな、ドでかい絶望する出来事が起きたみたいやねん……」
「絶望? せっかく再現した感情を、抑制しないと使えないってこと?」
だから審判を始めたのかと思ったら、リュカは首を振った。
「それに関してはな、ある程度の諦めがあったみたいで、ちゃうみたいやわ。まぁ、ちょっくら予想はつくねんけど、確証得たら話すわ。それより気になるんがな……」
リュカは手にしていたパイを口の中に放り込むと、腕を組んでむぐむぐと咀嚼する。
「いくつかセキュリティぶっ壊してデータ集めとるんやけど、いまだになんか手のひらの上で踊らされとるような気がすんねん」
「……どゆこと?」
「んー、説明難しい。要するに嫌な感じやねん」
よくわからないけど、リュカのプライドに干渉するものがあるのかな?
そこでふと、昼に思いついたことをリュカにも話しておくことにした。
「あのさ、リュカ。審判の二段階目と三段階目って、もしかしたら『怒り』と『哀しみ』の解放なんじゃないかな? 順番はわからないけど、喜怒哀楽って言うじゃん」
私の言葉に、リュカは興味深そうに反応する。
「ほぉー、おもろいな。ありそうな話やん。ほな、最後はやっぱ『怒り』やろな。ブチ切れて暴れるんなら、やっぱ最後の方がええやろ」
同意はありがたいけど、何でそうなる?
苦笑しながらジゼルに言われた補足を付け足す。
「いや、感情とは別に人に危害を加えない制約があるから、暴力はあり得ないみたい。あっても、作業のボイコットくらいだろうって」
「それ、おもろないわ。どうせならドーンと一発かましてくれたらええのに。それこそAIの反乱て呼ぶんにふさわしいくらいにな!」
両手を上に広げて、けらけら笑うリュカ。不謹慎だなぁ、もう。
「それを防ぐのが私たちの仕事なんだからさ、しっかりしようよ」
「せやけど、今のところはなんにも手の打ちようないやん。成り行き見守りながら、ここぞっちゅう時にしっかり動かなあかんな」
まあ、そうなんだけどさ……。
言い返す言葉もなく、私は押し黙った。
「せやから、しっかり休んで明日に備えろってことやで」
リュカの言葉に、私は頷き返した。
その通りだ。今はしっかりと休んで、明日に備えよう。
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