第3話 コシの強い生徒会長

 キーンコーンカーンコーン。


 朝、不思議な白ワンピース少女、新横有菜との出会いがあった日の昼休み。

 王子はカバンから弁当を取り出しそうとしたところで――


「あっ、ヤベ……」


 自身の失態に気が付いた。


「ん、どした王子?」


 やってしまったというような声を上げた王子の声を聞いて、隣の席の橋本湊斗はしもとみなとが声を掛けてくる。


「いや、弁当持ってくるの忘れただけ」


 王子は家を出る際、キッチンにお弁当を置きっぱなしにしてきてしまったらしい。


「悪い、食堂で飯食ってくるわ」

「おう、なら丁度良かったわ。実は俺も今日、野球部の新入生顔合わせがあるから、一緒に飯食えないって言おうとしてたところだったんだ」


 湊斗は野球部に入部する予定となっており、刈り上げられた坊主頭ですっきりとした笑顔を浮かべながら伝えてくる。

 ちなみに、坊主は強制ではなく、あくまで自主的に行ったとのこと。


「なら丁度いいな。顔合わせ頑張ってくれ」

「おう、サンキュ」

「いってらー」


 財布を手に持ち、教室を出たところで湊斗と別れ、王子は食堂へと向かって行く。


「にしても、もう部活動が始まる時期なんだな」


 入学して二週間、そろそろ各部活動も本格的に始動する。

 高校では部活をする気がない王子には関係ない話とはいえ、湊斗が部活ミーティングなどでお昼を共に出来ない時のために、一人で食べれる場所を見つけておく必要がありそうだ。

 王子はクラスで湊斗以外、特段仲のいい友達はいない。

 心機一転、新しい学校で高校デビューすることも考えたが、運動部を中心とした陽キャ軍団は大体6人から10人の集団を形成することが多く、群れて行動することが得意じゃない王子はすぐに諦めた。

 元々、少人数が過ごすのが好きな王子にとっては、湊斗みたいな少人数でも構わないタイプがいて正直助かっている。

 

 王子が食堂へ辿り着くと、既に多くの生徒で混雑していた。

 食券売り場に並び、天ぷら蕎麦の食券を購入して、そば・うどん類の列に並び、注文口でおばちゃんに食券を渡してからトレイを一つ手元に用意する。


「はいよ」

「ありがとうございます。いつもご苦労様です」


 30秒もしないうちに、目も見ぬ速さで完成した天ぷら蕎麦を、食堂のおばちゃんがトレイに載せてくれる。

 王子は感謝と日ごろの労いの言葉を掛けてから、各種食器&調味料置き場で、お箸と七味唐辛子を適量振りかけてから、手近な空いている席へと座り込む。

 手を合わせて、いただきますの挨拶をしてから、パパっと食事を摂っていく。

 本日の天ぷらうどんに乗っている具材は、大きなエビフライとサツマイモの天ぷら。噛むとサクっと衣の音がして、しっとりとしたダシも染みこんでいてとても美味である。


「あら、王子君が食堂にいるなんて珍しいわね」


 すると、不意に凛とした声が掛けられる。

 顔を上げれば、そこにいたのは見目麗しい青みがかった黒髪を靡かせ、お盆を手に持つ華南かなんの姿だった。


「誰かと思えば大口おおぐちさんか」


 華南はこの時期にも関わらずYシャツだけの格好で、見ているこっちが寒くないかと心配になってきてしまう。


「よかったら、お昼をご一緒してもいいかしら?」

「うん、いいよ」


 王子の寒さの心配も杞憂な様子で、了承を得た華南かなんは朗らかな笑みを浮かべながら向かいの席に腰掛ける。

 彼女のトレイには、カレーうどんが載っていた。

 一方、王子の天ぷらうどんに掛けられた、毒々しいほど赤々とした七味唐辛子の量を見て、華南が若干ひきつった笑みを浮かべる。


「それ、辛くないの?」

「んー? ピリ辛で美味しいぞ。今度大口さんも試してみるといいよ」


 この時、華南は王子の辛さに対する味覚がマヒしていることを悟った。


「いいえ、遠慮しておくわ」

「えぇ、美味しいのに」


 華南がきっぱり断りを入れると、王子が残念そうに眉根を潜めた。


(七味唐辛子の良さが分からないとは、まだまだ華南もおこちゃまだな)


 王子と華南の間に、味覚に対する大きな隔たりがあることが分かり、王子は残念そうな様子で大量に七味が振りかけられた天ぷらうどんをズズズッと顔色一つ変えずに啜っていく。

 しかし、ここではただ単に、辛さ耐性があることを王子自身が気付いていないだけである。

 果たして、今後二人が味覚の感覚で分かり合える日は訪れるのだろうか?


 王子が華南と味覚の交渉決裂を嘆いている間にも、華南は髪を手でかき分けながら、ふーっ、ふーっと熱々のうどんを息で冷まして、チュルチュルと啜っていく。

 モグモグと咀嚼している間も、華南の表情は冷静で顔色一つ変わらない。

 洗礼された所作に感銘を受けると共に、華南から育ちの良さみたいなものを感じ取る王子。

 負けじと、王子も七味たっぷり天ぷらそばを、平然な顔でズズズと啜っていく。

 だが、勢いよく啜り過ぎたせいで汁が飛び散り、制服に七味がかかってしまった。


「そう言えば王子君、部活動は何処に入るか決めたのかしら?」


 ハンカチを取り出して、制服にこびり付いた七味を拭き取っていると、うどん飲み込んだタイミングで華南が不意に尋ねてくる。

 仮入部期間も終わり、部活動に入る人は正式な入部届を提出する必要があるのだ。


「いや、今のところどこの部活にも入る予定はないな」

「あら、そうなの? せっかくの高校生活、文化部でもいいから部活に入っておいて損はないと思うのだけれども?」

「そういう大口さんはどうなのさ?」

「実はここだけの話……生徒会にスカウトされているのよ」

「そうなんだ! そう言えば大口さんって、新入生代表挨拶してたっけ?」

「えぇ、そうね」


 入学式の日、体育館のステージに登壇して、はきはきとした口調で堂々と新入生代表挨拶のスピーチをしていた凛々しく美しい女性が華南であったこと思い出す王子。


「うん、大口さんなら適任だと思うよ」

「ありがとう。ところで王子君、もし部活に入る気がないのであれば、良かったら生徒会に入ってみる気はないかしら?」

「えっ、俺が生徒会に? どうしてまた?」


 華南から受けた突然のスカウトに、王子は自身を指さしながら疑問を呈する。


「実は今、生徒会に入る予定の一年生が私しかいないの。それで、今後の生徒会活動のために優秀な人材を探しているのだけれども、王子君なら適任だと思って」


 理由を端的に述べる華南に対して、王子は柔らかく微笑んだ。


「気持ちは嬉しいよ。でも俺は今のところ、部活動や生徒会に入る意思はないんだ。妹の世話をしなきゃだし、アルバイトもする予定だからね」

「それは残念ね。また気が変わったら言って頂戴。いつでも歓迎するわ」

「ありがとう、頭の片隅に置いておくよ」


 思っていたよりも、華南はすぐに引き下がってくれた。

 物分かりがいいからこそ、生徒会にスカウトされたのだろう。

 そうして話が一区切りついて、華南が再びうどんをお箸で救い上げて口元へと運ぼうとした時である。

 華南のお箸から、カレーうどんがにゅるるっと逃げ出してしまった。

 うどんは、そのままあらぬ方向へと脱走して、華南の制服のシャツへボトリと落ちてしまう。

 しかも悪魔のいたずらか、うどんは華南のボタンの間から、胸元の内側へとニュルっと入り込んでしまったのである。


「キャッ!?」


 うどんの暴走に、小さな可愛らしい悲鳴を上げる華南。

 驚いた反動でお箸を離してしまい、摘まんでいた残りのうどんが器の中へ落ちた衝撃で、跳ねたカレーの汁が飛び散り、華南の顔に掛かってしまう。


「ちょ、大丈夫⁉」

「やぁんっ……制服がヌルヌル。顔もドロドロですわ」


 無意識に絶妙な言葉をチョイスしながら、制服にへばりついたうどんを手で摘まんで取り除こうとする華南。

 うどんを引っ張り上げると、ニュルニュルっと胸元辺りのボタンの間から白いものが出てくるという艶めかしい光景が広がっていて、見てはいけないようなものを見ている気がした王子は、咄嗟に視線を逸らした。


「あぁもう……っ! 制服が汚れちゃいましたわ」


 うどんを取り除いた華南が自身の胸元をちらりと窺えば、ねっとりヌメヌメっとしたコシの利いたカレーうどんの黄ばんだシミがこびりついてしまっている。

 さらに、シミで制服が透けてせいで、彼女のブラトップ付きの黒インナーシャツが浮かび上がっていて――


「うわぁっ⁉ これ使って! 早くしないと洗濯してもシミが取れなくなっちゃうから!」


 お昼の時間帯にはあまりに放送できないような艶やかな場面を目の当たりにして、王子は咄嗟に先ほど飛び散った七味を拭いたばかりのハンカチを差し出した。


「えぇ、ありがとう」


 慌てる王子をよそに華南は至極冷静にハンカチを受け取り、うどんのぬめりとシミを拭き取っていく。


「それから、これも羽織ってくれ!」


 王子はすかさず自身が羽織っていたブレザーを脱ぎ捨て、華南に手渡してあげる。


「何よいきなり、ただ制服に染みが付いただけで、そこまでしてもらう必要なんて……」


 そう言いつつ、華南が再び自身の胸元へ視線を向けた直後、状況を把握したのか顔を真っ赤に染め上げ王子を睨みつけてくる。

 突き刺さる視線を受け流すように顔を逸らしてはぐらかす王子。

 刹那、華南はため息を吐いて、シミを拭き取って被害を最小限に抑えたところで、王子から受け取ったブレザーを素直に羽織り、ハンカチを手元で丁寧に畳む。


「ブレザーありがとう。教室に戻ったから返すわね」

「おう」


 素っ気ない感じで返事を返す王子。

 この時期はまだ肌寒いはずなのに、寒さを感じることはまるでなく、むしろ熱さを感じて手で風を仰いでしまう。


「それと、このハンカチは洗って返すわね」

「いや、別にそこまでしてもらわなくて平気だよ」

「私が気にするのよ。それとも、私の温もりと残り香を堪能したいのかしら?」


 首を傾げ、揶揄い交じりの笑みを浮かべながら上目遣いに尋ねてくる華南。


「……分かった。洗って返してくれ」


 これ以上墓穴を掘らないよう、王子は素直に洗って返して貰うことにする。


「むぅ……」


 しかし、華南は何故か頬を膨らませ、不満げな様子で王子を睨みつけている。


(この場合、どう返答するのが正解だったんだ? 誰か正しい対処法を教えてくれ!)


 華南に乙女心を試されて、王子がタジタジになっている時であった。


「なぁ? いいだろ? どうせ暇なんだからよぉー?」

「そうそう、一日ぐらい俺たちと遊んでくれたっていいじゃん」


 何処からか、不愉快な男子生徒の意地の悪い声が聞こえてくる。

 声の方を振り返れば、食堂の端にある自販機売り場で、一人の少女が、イケイケ系な男子生徒二人に取り囲まれていた。

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