その2

 翌日、朝のホームルームで──


「小野寺夏美です。よろしくお願いします」


 黒板の前で夏美が控えめに言った。

 今日は当然、制服姿だ。


 教室の生徒たちの一人である田中一郎は、半信半疑で目をぱちくりさせるばかりだった。

 確かにこの学校は家からほどほどに近い、中堅どころの県立高校だ。

 だがしかし、よりにもよって自分のクラスに彼女が転入してくるとは。


 平凡が一番──その自分の信条が突き崩されようとしている気がして、一郎は落ち着かなかった。

 夏美は地味なよそおいだがあの美貌だ。

 生徒たちもきょうしんしんだった。いつもは飛び交っている私語が、今日は鳴りをひそめている。


「そういうわけで仲良くしてね。でらさん、なにか自己紹介ありますか?」


 と、担任が水を向ける。


「いえ……ありません」


「じゃあみんなから質問ね。聞きたいことある人ー?」


 ぱらぱらと五〜六人が挙手した。まず女子の一人が指されて質問する。


「前はどこに住んでたんですか?」


「リベルダーデ、フェアバンクス、カブール、ベーカーズフィールド……いろいろです」


 しーん……。

 知ってる地名が一つもない。リアクションに窮して生徒たちは黙りこんだ。

 続いて男子から質問。


「特技とかありますかー? または得意技」


「特にありませんが、ひと通りのは扱えます」


「カキ? 牡蠣かき? 好きなんすか?」


「あまり好きではなく……ただ扱えるだけです。……すみません、忘れてください」


「はあ……」


 またしてもどう応じていいのか分からず、生徒たちの間に微妙な空気が流れた。

 担任も、夏美があまり社交的なタイプではないらしいことを察したのか、質問会を早めに打ち切ろうとした。


「つ、次で最後にしましょうか! じゃあ、えーと、そこ」


 指された女子が質問する。


「えっとぉ、好きなアーティストとかいますかぁ? あたしは普通にKOASOBIとかあいみゃんとか好きなんだけどぉ……」


 すると夏美はそこだけ妙に自信ありげに、心なしか背筋をそらしてこう言った。


「はい。五木ひろしとSMAPです」


○ ○ ○


 当然、五木ひろしもSMAPも知っている生徒はほぼいなかったが(担任教師はSMAPを知らない生徒が大半なことに衝撃を受けていた)、あれは彼女なりの冗談だろうと受け止められた。

 こうして『自己紹介でギャグを滑らせた、すこし残念な転校生』という解釈で落ち着いた小野寺夏美だったが、それでも休み時間には生徒たちからひっきりなしに話しかけられた。


 はじめは女子の主流グループから。

 好きな食べ物や前の学校のクラブなど、たりさわりのない話題だったが、夏美はどれも「特にない」「よくわからない」だのと答えるばかりで、すこしも話が盛り上がらなかった。


 次にやはり女子の、すこし派手めなグループから話しかけられる。

 普段はどんな店にいくのか、インスタ教えてほしい。これも「いかない」「やってない」だのと答えて会話が途絶えてしまう。


 男子はチャラいグループが最初に突撃した。

 お調子者タイプの一人がいきなり「彼氏いるの?」と聞いてまわりから殴られる、などのイベントを経て、あれこれ無遠慮な質問が投げかけられた。

 これにも夏美は「わからない」「知らない」とそっけない態度だった。あいわらいの一つもない。


 そうやって昼休みも他の生徒と微妙なやりとりが続き、放課後には夏美は一人きりになっていた。


 ぼっち確定──


 だが夏美は自分が孤立していることは気にもならないようで、さっさとかばんにノートを詰めて帰り支度を始めていた。


「小野寺さん」


 それまで遠巻きに眺めていたいちろうが、声をかけた。

 このまま黙って帰ると、近所で会ったときに気まずいかもしれない……と思ったからだ。さりげなく、あまりれしくないように──


「新しい学校はどう?」


「よくわからない」


 一郎にも大半の生徒と同じ対応だったが、彼女はこう付け加えた。


「学校とか、ほとんどはじめてだから……」


「え? じゃあ今まではどうしてたの?」


「オンラインとか家庭教師とか。ちょっと、こみ入った事情があって……」


 そう言いながら、夏美は鞄を掲げて顔を隠す。

 妙な動作を不思議に思って周囲を見まわすと、教室の一角で女子の一グループがスマホをかざしていた。なにかのふざけた動画を撮影しているようだ。夏美と一郎はそのフレームにぎりぎり入っている。

 撮影が終わって女子がスマホをしまうと、夏美は鞄を下ろした。


「カメラ、苦手なの?」


「苦手なわけじゃなく……。ただネットに顔が出たりすると、困ったことになるかもしれないから……」


「ああ」


 それを苦手と言うのでは?

 あれくらいでちょっと大げさかもしれないが、まあ気にする人は気にするだろう。


「じゃあ帰りましょうか」


「え?」


 夏美が当然のように言ったので、思わず一郎は聞き返してしまった。


「家。帰るんでしょう?」


「あ、うん。でも……一緒に?」


 ただのお隣さんなのに。仲良く帰るなんて、それはなんというのか……。

 目立つ。

 平凡が第一の彼には、いきなりハードルが高すぎる行動だった。


「隣同士なんだから、一緒に帰った方が安全でしょう?」


「は?」


「一緒の方が安全、って言ったの」


 まあ、確かにそうかもしれないけど。

 彼らの住む住宅街は普通の治安だ。

 女の子が一人で歩いても、まず心配なことはない。


「なにか用事があるなら、わたし一人で帰るけど」


「い……いや」


 彼は言った。

 いままでの彼なら『ちょっと用事があって。ごめん』と答えてるところだった。

 だが──


「用事は……ないよ。い……一緒に帰ろうか」


 とぎれとぎれに一郎は言った。


 自分でも驚いていた。

 平凡が一番なのに。

 だがが小首をかしげて自分を見上げる仕草の前には、そんな信条などどこかへ行ってしまった。


○ ○ ○


 夏美と並んで帰り道を歩くのは、やはりすこしの勇気が必要だった。

 『美少女転校生』と連れ立って歩くなど、どう考えても自分のキャラではない。


 変な目立ちかたをして、今後の学校生活に面倒事が増えなければいいのだが……そう心配していた一郎だったが、ゆうだった。

 いくられいでも、夏美は地味だ。遠目に見ればあまり目立たない。

 校舎を出てからは、さして二人に注意を払う生徒もいなかった。


 とりたてて会話が弾んだわけでもなかったが、大過なく家に帰りつく。

 それだけでもえらく気力を消耗した。

 そう、美人と歩くのは疲れるのだ。一郎ははじめてそれを知った。


「ありがとう」


「それじゃあ……」


 自宅の前で夏美に別れを告げようとしていると、夏美の母親が玄関から出てきた。


「あら、夏美。お帰りなさい。一郎くんも」


 手にはエコバッグと財布。

 近所のスーパーにでも買い物に行くところなのだろう。

 改めて見ると、母親もつくづく綺麗な人だった。安物のトレーナー姿なのにそれでもさまになっている。


「一郎くん、お母さんから聞いてる?」


「え……なんですか?」


「今日、お母さんパートで遅いでしょ。だったら夕飯、うちで食べてったらどうかって」


「え、ええ……?」


 スマホを確認すると、一郎の母親からショートメールが入っていた。


『母:隣の小野寺さんの奥様と立ち話してたら、話の流れでいっちゃんの夕飯をごそうしてもらうことになった。勝手に決めてゴメン。粗相のないように』


 『いっちゃん』は一郎のことだ。

 一郎の母は良くも悪くもおおらかなタイプで、引っ越したての小野寺家に対する遠慮がまるでないようだった。ちなみに一郎の父は山梨に単身赴任中なので土日以外はいない。


「すいません。母からメッセ来てました。え、でも、え?」


 夏美の家の食事にお呼ばれだなんて。うれしいより前に、気疲れしてしまう。

 ただでさえ『美少女転校生』と並んで帰って、一年分の非日常を味わい尽くしたような気分なのだ。


「どうする? 急だし今日はやめとくってなら、うちは全然かまわないけど」


 夏美の母親は言った。

 本当にどちらでもかまわないと思ってそうな、気楽な口調だった。

 この人はどうもそうした気やすさと不思議な魅力がある。


「もし迷惑でなければ……じゃあ、ご馳走になります」


 またしても一郎は、自分が口にした言葉にすこし驚いていた。

 普段の彼なら『ちょっと調子悪くて……また今度ぜひ』だのと答えていたところだ。


「ん、OK! じゃあ六時ごろ来てね」


 と母親は言って、買い物に出かけていく。

 スタイル抜群な後ろ姿におばさんサンダルなのが、なぜか印象に残った。


「それじゃあ一郎くん、また後でね」


 夏美は玄関に入っていく。一郎が夕食に同席することに、これといった感想もなさそうだ。

 夏美の淡白さには慣れてきたところだったが、反応ゼロというのも物足りなかった。



 一郎は言われた通り、夕方六時にでら家に出向いた。

 チャイムを押すと夏美が出てきて、リビングに通される。いまは私服で、濃緑のTシャツにショートパンツといった格好だった。

 これまでジャージ姿や制服姿だったから分からなかったが、夏美は控えめに言っても肉感的な体つきだった。

 胸はサイズの小さなTシャツからはち切れそうだったし、ショートパンツから伸びる白い太ももは──もうぱっつんぱっつんで目のやり場に困る。

 しかし夏美本人は、自分のそちら方面の魅力に自覚がないようだった。


「? どうしたの? Tシャツ、穴でも空いてる?」


 一郎の視線に気づいて、夏美が自分の胸やらわきやらを見回す。


「い、いや。か、かっこいいTシャツだなと思っただけだよ」


「かっこいいかどうかは知らないけど、丈夫で気にいってるの。父とジャングル暮らしをしてたときから使ってる」


「え? ジャングル……?」


「ジャングルというか、フロリダの湿地帯。その辺に座ってて。もうすぐできるから」


 さらっと流して夏美はキッチンに行ってしまう。

 母親の料理を手伝っている途中だったようだ。

 新品のソファに腰かける。


 そばには夏美の弟が座っていて、タブレットPCでなにかのゲームを遊んでいる。

 弟の名前はやすと言うらしい。

 帰り道に夏美から聞いていた。


「えーと、安斗くん……だったよね。こんにちは」


「ん」

 

 それだけだった。

 きのう会った時もしゃくした程度だったが、今日も似たような調子で、一郎のことはほとんど無視している。

 ムカつかないと言ったらうそになるが、まあそういう年頃なのだろうと自分に言い聞かせる。

 手持ち無沙汰なので、キッチンの方に声をかけてみる。


「あ、あのー。なにか手伝いましょうか?」


「あー、大丈夫、大丈夫。ありがとね。もうすぐできるから」


 と、母親が言う。


「一郎くんは苦手なものとかある? 遠慮せずに言ってね」


「あ、特には……。だいたい、大丈夫です」


「トゥクピーは平気?」


「は?」


「トゥクピー。ブラジルのスパイス」


「ブラジル……ですか?」


「うん。ベネズエラとの国境あたりだけど、昔に住んでたの。いいところよ。ね、夏美?」


「ずいぶん前ね……自然が豊かだった。電気もガスも水道もなかったけど」


 と、夏美がぼやいた。


「でも衛星回線は使えたでしょ?」


「そのせいで近所のドラッグ業者に狙われたじゃない。DEAかなんかと勘違いされて」


「あー。あれは大変だったわね」


 口調はよくある母親と娘の会話だったが、その内容は一郎にはまるでわからなかった。


 『ドラッグ業者』? 『DEA』? 道路工事かなにかの話だろうか?


 ほんのりといい香り。

 料理が運ばれてきた。とりにくのシチューだ。いや、カモかもしれない。不思議な黄色だが、独特の美味おいしそうな香りがする。


「さあできた。安斗、お父さん呼んできて」

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