フルメタル・パニック! Family
賀東招二
第一話 埼玉県大宮市の一戸建て3LDK
その1
「やはり武器が必要だ。クローゼットにあるから取ってこい」
と、むっつり顔で父親が言った。
「お父さん、いつものカービンとグレネードでいいのね?」
と、娘が言った。
「また隠し持ってたのね!? 毎回毎回、『武器などいらない』って言っといて!」
と、うんざり顔で母親が言った。
「母さん、敵が来るから。文句はあとあと」
と、息子が言った。
その一家の隣に住む高校生、
「あの? みなさん……さっきから……なに話してるんですか? それに敵って……」
一般人の一郎には事情がよくわからなかった。
ここは埼玉県大宮市。そのはずれの平凡な住宅街だ。
穏やかな春の午後。いまもそこらで
そこで『敵』とは。
しかし一郎の目の前には、その『敵』とやらが気絶して倒れている。
一家の玄関口で、宅配業者の姿だったが、その手には──サブマシンガン? だかなんだか、そういう武器が握られていた。
父親はそのサブマシンガンを奪って、熟練した手つきであれこれいじり回した。
正確にはマガジンの残弾を確認してボルトを前後し次弾を装塡したのだが、一郎にはそこまでわからなかった。
「一郎くん。せっかく娘を訪ねてくれたのに、すまないんだが。すこし危なくなるから帰ってくれないか」
「え? あの?」
そうした修羅場を何十回と繰りかえしてきたのだろう。父親は油断のない、それでいてごくリラックスした顔つきで玄関の外をうかがう。
「いや……もう遅いな。俺の後ろに隠れていなさい。絶対に離れるなよ」
「え? どういう……」
「来るぞ」
「くるって? なにが……」
父親が一郎を引きずり倒した。
銃声。銃声。爆発音。
玄関ドアが吹き飛んで、壁が穴だらけになった。
父親が撃ち返し、母親がうんざりしたように耳を塞いで、娘が武器を持ってきて、息子がドローンを放り投げる。
銃声。銃声。さらに銃声。
「ちょっと、なに、これ、助け……」
「まだ来るぞ」
天地が逆さまになる。右から左から衝撃が襲う。
自分の悲鳴が、やけに遠く聞こえる。
玄関に『敵』っぽい黒ずくめの男たちが見えた。どかんと爆発。男たちが落とし穴に引っかかる。
ちょっと待って、普通の家のはずだったのに、落とし穴って?
庭先では『敵』がワイヤートラップで
これもだ。普通の庭先だったはずなのに、ワイヤートラップ?
混乱しながら一郎は叫んだ。
「なんなんだ! 一体なんなんだよ、あんたたちは!?」
「なんの変哲もない、普通の家族だ」
娘からカービン銃を受け取り、発砲しながら父親は言った。
○ ○ ○
そもそもは一週間前のことだった。
平凡な高校生であるところの田中一郎は、その日も平凡な一日を終え、夕方、平凡な自宅に帰りついた。
一郎は本当に普通の少年だった。
学業は中の上、中学までサッカー部だったが今は帰宅部。
ほどほどに仲のいい友人が数人。特技はない。
そういう平凡な自分に満足している。
そう、平凡が一番だ。
ただその日、すこし平凡でなかったのは、学校から帰ってくると隣の家の前に、大きな引っ越しトラックが止まっていたことだった。
そういえばお隣さんが先々月どこかに引っ越して以来、ずっと空き家だった。
その家に誰かが引っ越してきたらしい。
築二〇年くらい、3LDK。仮に四人家族だとするとすこし手狭な物件だが、値段は手頃だろう。駅まで徒歩一〇分だし、悪い買い物ではないよな──
そんなお節介なことを考えながら引っ越しトラックの脇をすり抜けると、一郎は女の子と危うくぶつかりそうになった。
「あっと……」
すんでのところで一郎がよける。
年のころは一郎と同じくらいだろうか。どうやら引っ越してきた家の娘のようだ。
その少女はジャージにサンダル履きで、野暮ったい眼鏡をかけていたが、それでもはっとするほど
「すいません。ちょっと……どいて」
無表情だが、すこし
彼女が重たいダンボール箱を運んでいることに、ようやく一郎は気づいた。
「あ、ごめん」
一郎が道を譲り、ジャージ姿の少女が一礼して通ろうとする。だがそのとき、彼女の抱えたダンボール箱の底が抜けてしまった。
「あっ……」
地面にぶちまけられた中身は書籍類だった。
少女はこれといって慌てたそぶりは見せず、一度小さなため息をつくと本を拾い集めた。自然と一郎は少女を手伝う格好になった。
「ごめんなさい」
「いや……こっちこそ」
手に取ると全然知らない作家ばかりだった。海外文学が多い。知っているのは宮沢賢治くらいだろうか。
「ひ……引っ越してきたんですか?」
間がもたなくて、一郎はなんとなしにたずねた。
「……はい」
「じゃあ、お隣さんですね」
「そこのお
少女が隣の田中家を
「あ、そうです。田中です。よろしく」
「さが……いえ
「え?」
「稲葉です。稲葉」
少女はまるで自分に言い聞かせるように繰りかえした。そして引っ越しトラックの向こう側に向かって一度たずねた。
「お母さん、稲葉だったよね?」
「ちがう! 稲葉じゃなくて
トラックの反対側の角から、母親が姿を見せた。トレパンにTシャツ姿だったが、こちらもえらい美人だ。
おまけに若い。
『お母さん』と呼ばれていなければ、お姉さんと間違えたかもしれない。
「あー、はじめまして。ほほほ。お隣のぼっちゃまですか? 今日からお世話になります、小野寺と申します」
「あ、はい……」
「稲葉は忘れてください。小野寺です、小野寺」
「はい。あー……小野寺さん」
「そう、小野寺」
母親は笑顔をずいっと寄せてきて言った。たぶん複雑な事情があるのだろう。
「主人と息子はコンビニにおやつ買いに行ってまして……後ほどご挨拶にうかがいます。娘は一郎さんと
母親にならって娘もぺこりと頭を下げる。
「ど、どうも」
いや待て。『一郎』の名前、教えたっけ? それに同い歳って……。
「お母さん。まだ一郎さんの名前、聞いてない」
少女に冷静な声で指摘され、母親はなんとも言えない苦しげな顔を見せた。
「あ、そうだったわね。……その、ええと、お宅のお母様にね、さっき立ち話で聞いたんですの! ホント、それだけですから。う、うははは」
「はあ……」
一郎の母はスーパーのパートでまだ帰っていないはずだったが、それ以上追及するのはなんとなくはばかられた。
そのおり、向こうの歩道から男性と子供の二人連れが近づいてきた。
「あ、早かったじゃない」
たぶん父親と息子だろう。手にはおやつとおにぎりの詰まったコンビニ袋を持っている。
「コンビニ、意外と近かったよ。最高だね、前は近くの町まで車で一時間だったから」
と、息子が言った。見た感じ小学三、四年生くらいだろうか。
「でも父さんは落ちこんでるけどね」
「●ロリーメイトの……フルーツ味がなかった」
力なくつぶやいたその父親は、よく引き締まった体つきだった。
むっつり顔にへの字口。左の顎にうっすらと十字形の傷跡がある。
「チョコ味があるからいいじゃん」
と息子。
「お父さんは昔からフルーツ味がいいのよ。理由はいまだに知らないけど」
と母親。
「ここ数ヶ月、どの店でも売ってるところを見たことがない……」
と父親が肩を落とす。
「フルーツ味なら、生産終了になったらしいですよ」
思わず
「なに?」
「フルーツ味は生産終了です」
その言葉がよほど衝撃的だったようで、父親はいきなり一郎につかみかかった。
「馬鹿げたことを言うな……! あんなに
「隣の……
息も絶え絶えに一郎は言った。父親はすぐに我に返って、彼のブレザーの乱れた襟を直したりした。
「ああ、申し訳ない。大変な失礼を。ええと、一郎くんだったな」
「まだあんたは名前聞いてないでしょ」
即座に母親が言う。
「そうだった。まあとにかく田中くん。今日から隣に越してきた
「じゃなくて、小野寺」
今度は娘が言う。
「そうだった、小野寺だ。小野寺。美樹原は忘れてくれ」
「はあ……」
そのおり、引っ越し屋さんが家の方から声をかけてきた。
「すいませーん、奥さん。ちょっとキッチンの方、見てほしいんですけど……」
「あ、はーい。それじゃ失礼しますね」
母親がせわしげにその場を離れ、父親と息子も一礼してから後に続いた。
「母さん。思ったんだけど……周辺家族の身上書、むしろ読まない方が自然だったんじゃない?」
「しっ! その辺はあとで相談しましょ」
と、母親と息子の話す声が聞こえてきたが、一郎にはなんのことだか分からなかった。
「すみません、なんか
残った娘が言った。
「いや、そんなことないですよ」
「ナミです」
「え」
「わたしの下の名前。夏に美しいって書いて
「小野寺夏美さんってことだね。よろしく」
「オノデラナミ……オノデラナミ……」
小野寺夏美。
彼女はその名前をはじめて聞いたように、もごもごと自分で繰りかえした。
「確かに名字はオノデラ、みたいに四文字の方が語呂がいいわね……」
「あ、あの?」
「気にしないで。それより、ありがとう」
「え?」
「本、拾ってくれて」
「ああ」
一郎は拾い集めた書籍類を眺めた。
「これみんな、夏美さんの本?」
「ええ」
「すごいね、聞いたことない作家ばっかり。えー、エドゥ……ハルフォン?」
「あ、それ、グァテマラの作家で、オートフィクションっていう私小説みたいなジャンルを書いてて。あ、特別好きって言うわけじゃなくて、ちょっと興味があったから読んでみただけで……。でもね、作者の出自が複雑なのはちょっと感情移入できるかな……って、すみません……」
つい
「いや、立派ですよ。そんな詳しいなんて」
「詳しくはないわ。……趣味とか、特になくて。読書くらいなの。引っ越しが多いせいもあって……」
「そうなんだ」
「でもここには長く住むつもりみたい。だから、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」
「それじゃ……」
夏美はたくさんの本を小分けにして、家の中へと運びはじめた。手伝おうかとも思ったが、それはさすがに恩着せがましいかと思い直して、一郎は自宅に帰った。
これ以上はいけない。平凡が一番だ。
一時間ほどして、一郎の母親がパートから帰ってきた。隣が引っ越してきたのはいま知ったばかりらしく、奥さんにはさっき初めて会ったそうだった。
どうもおかしい。
二階の窓から様子をうかがうと、ちょうど引っ越し業者が作業をあらかた終えているところだった。小野寺さん一家四人はそろって引っ越し業者に頭を下げ、新居に入っていく。
その瞬間、夏美がこちらに気づいた。
不審に思われないかとあわてたが、彼女は小首をかしげて
隣にあんなきれいな子が越してきたなんて、ちょっとドキドキする。
これで高校まで同じだったら……いや、さすがにそれはないか。
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