第4話 おっぱいの出る魔法

 ジョスリンの言うことはもっともである。

 生まれて日が浅い赤ちゃんには母乳が欠かせなかった。

 現代日本なら人工的な調整ミルクもあるが、こちらの世界にはそんなものはない。

 免疫強化の観点からも母乳を飲ませる必要がある。

 せっかく助けた命だというのにこんなことで赤ちゃんの命を失わせたくはなかった。

「母さん。何か方法はないの?」


 ジョスリンにすがってみる。

 すぐに助けを求めたりしていると、この5年間進歩がないと怒られそうだが今は緊急事態だ。

「まあ、立ち話もなんだ。この子も温めてやらなければいけないし、とりあえず乳じゃなくても湯冷ましは飲ませてやった方がいいだろう。エイミー、手足を洗っておいで。その間はこの子を預かっておいてやる」

 ジョスリンはひょいと赤ん坊を抱きあげる。

 年の功というか抱える姿は俺よりも様になっていた。


 大人しく言うことを聞き、別棟の端にある小部屋で手足を洗い、濡れた下着を脱いで水を張ったたらいの中に付けておく。

 棚から別の下着を取り出して穿いた。

 暖炉のある居間にいくとソファに腰かけたジョスリンが赤ちゃんの口を湿らせてやっている。

「お待たせしました」

 ジョスリンが顔をあげニヤリと笑った。

「赤ん坊を助ける方法だっけ? おっぱいが出るようになる魔法なら知ってるわよ」

 あるのかよ。

 とは思ったが黙っていたらタイラーがダークブラウンの髪を揺らして叫ぶ。

「あるんですか?」


 俺の胸のあたりを凝視しながら複雑な表情だった。

 あまり歓迎していなそうな様子をしている。

「何か不満でもある? このままだとこの子が死んでしまうのよ」

「そう言われるとちょっと……」

 タイラーは言いよどんだ。

「ああ、悪い。タイラーには口を挟む権利があるわね。さっきの言い方は悪かったわ」


 なんで俺がタイラーに遠慮しているかというと、俺が将来チェンジの魔法を使う相手だからである。

 チェンジの魔法は相手と肉体を交換するものだ。

 そして、その成功率は高くないらしい。

 相手に抵抗されると普通に失敗する。

 成功するためには身体の交換について相手と同意ができていることが望ましい。


 タイラーは顔はそこそこだが細マッチョな体つきとかなりの実力を持つ戦士である。

 しかも光の剣という大抵の防御を無視して切り裂くことができる凄い技を持っていた。

 要はライトセーバーのようなやつだと思えばよろしい。

 そんなわけでその気になれば割と簡単に女性を口説くことが可能そうなスペックを持つ男だった。


 そんな恵まれた男が俺とのチェンジに同意しているというのは不思議に思われるかもしれないが、これには深い理由がある。

 タイラーの中身は根暗でコミュ障ぎみのむっつりすけべな女、栄美なのだった。

 本来は俺がタイラーで、あっちがエイミーになるはずだったのが、手違いなのか入れ違いが生じたまま転生をしている。

 お互いにその辺の記憶があいまいなのだが、転生後の器の能力について俺は戦闘力重視、栄美は外見偏重で希望したらしい。

 前世で栄美はまったくモテなかったらしく、美人になって白馬に乗った王子様に見初められたかったそうだ。


 タイラーもそこそこに恵まれた身体なので男としてハーレム生活を目指すというのでも良さそうだが、それはそれで問題がある。

 栄美はめちゃくちゃ臆病なのだった。

 そのため、せっかくの身体と凄い能力を生かすことができない。

 最近はなんとか慣れつつあるが、自分より背が低く体つきの貧相な男相手にもビビりまくる始末である。

 男として生きていくのは無理なのでエイミーの身体を手に入れる必要があった。

 

 というわけで俺の身体は予約済みであり勝手なことをするわけないはいかないのである。

 タイラーは妙にじっとりとした目で俺を見つめてきた。

「んー、まあ、いまさら取り澄ましても意味ないか。えーとだな、授乳すると胸の形が悪くなるって話なんだよ。それはちょっと困るんだよな」

「なるほど。確かにそれは問題だ」

 それは栄美の玉の輿計画においては重要なのは理解できる。


「そこは善行を積むと思って1つ目をつぶってもらえない?」

「そりゃお前は出ていく方だからいいだろうけどさ」

「そうなんだけどね。えーと、今以上に美容と健康に気を遣うから」

「なんで、そんなに真剣になってんの? 急に何かの使命にでも目覚めたのか?」

「なんていうか、この辺りがきゅっときて赤ちゃんを何とかしなきゃって気分になっちゃうんだよね」


 俺は右手をちょっと動かして自分の左胸あたりを指さした。

「男なのに母性に目覚めちゃってるのか?」

 タイラーは腕を組み眉を寄せる。

「そうは言っても肉体に精神が引っ張られる部分があるのは分かるだろ? しゃべり方とかさ」

「それはそうだけど、俺の性格は別に勇敢になってないぜ」


 俺たちの言い争いを聞いていたジョスリンは悪い笑みを閃かせた。

「じゃあ、おっぱいが出るようになる魔法をタイラーにかけるかい?」

「うーん」

「それはない」

 俺とタイラーが同時に返事をする。

 雄っぱいから授乳とか需要がなさすぎだろ。

 ジョスリンでいいんじゃねえか、と思ったが絶対にろくなことにはならないのは自明の理なので口には出さなかった。

 今回はタイラーも賢明にも口をつぐんでいる。


 俺はタイラーに向かってきっちりと頭を下げた。

「なあ、頼む」

 そのまま平身低頭を続ける。

「だからさ、そういうのはやめろよな。俺が悪者っぽくなるじゃないか」

 タイラーはでかいため息をした。

「ああっ。くそ。分かったよ」


 栄美は押しに弱い。

 根は善良というのもあるだろう。

 まあ、チェンジの魔法を同じ転生者でも戦士タイプのタイラーは習得できないし、そもそも魔法の書すら持っていないので身体の交換には俺の協力が欠かせなかった。

 そういう意味では俺と栄美は運命共同体と言える。

 よほど譲れない内容でなければ妥協点は見いだせるのだった。


「じゃあ、俺が言うことをちゃんと実践しろよ」

「分かったわ」

「授乳時にはなるべく赤ちゃんと密着しつつ猫背にならないこと。それと胸筋を鍛える運動を欠かさないこと」

「後半は前からちゃんとやってるって」

「赤ん坊の世話を始めるとそんな余裕がなくなるんだよ。楽しいことばかりじゃねえぞ。覚悟はあるんだろうな?」

 タイラーは今までとは違った凄みのある声を出す。


「大変さが分かっていないのに気軽に言っても信用がないかもしれないけどさ。この子を助けるために少なくとも1人は死んでいる。その気持ちを無駄にするのは間違っていると思うんだよね」

「あとで泣き言漏らすなよ」

「漏らさないかどうかは分からないけど、投げ出したりはしないわ」

「じゃあ、勝手にしろ」

「話は決まったようだね。じゃあ、ちょっとだけ預かっていてくれないかい」

 ジョスリンは赤ちゃんをタイラーに渡した。

 俺の方に向き直る。

 見えない魔法の書を広げ右手でページを繰る動作をした。

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