第35話:ヴィクターのトラウマ

 屋敷に帰ると、ふたりは早々に風呂に入り、寝室へ行った。

 パーティーのあとはいつもクタクタで眠気が押し寄せてくる。


「おやすみなさい」

「ああ。おやすみアリシア」


 形だけとはいえ、トーマスからのごり押しで寝室を共にしてきた。

 幸いベッドは広く、二人並んで寝てもゆったりしていた。


 最初は緊張したものの、ヴィクターが紳士的で触れてこないので安心して眠るようになったのだが――。


 今夜のヴィクターは違った。

 寝入ってしばらくし、アリシアは目を覚ました。


「ヴィクター……?」

「う……」


 ヴィクターが苦しげに寝返りをうつ。

 その白い肌には汗の玉が浮き上がっていた。


(ど、どうしよう、すごくつらそう……)


 だが、目を覚ます気配はない。

 アリシアはおろおろと、傍らできつく胸元をつかむヴィクターを見つめた。


「ああ……っ」


 耳をふさぎたくなる苦悶の声だ。


(こんなヴィクターは初めて……)

(どんな悪夢を見ているの……)


 睡眠を邪魔したくはなかったが、ここまで苦しげだとみていられなかった。

 アリシアは思い切ってヴィクターの肩を揺すった。


「ヴィクター! 起きて!」


 強い口調で言うと、ようやくヴィクターの目が開いた。


「あ、ああ、アリシア……」


 ヴィクターがうつろにつぶやき、体を起こした。


「すごくうなされていたわ。ちょっと待ってね、何か拭くものを――」


 汗だくのヴィクターのために、ベッドを降りかけたアリシアの腕がつかまれた。


「いや、ここにいてくれ」


 ヴィクターが苦しげに息を整える。


「わかった……ひどい悪夢を見ていたのね……」

「縁切りルビーのせいだ」

「え?」


 自嘲するようにヴィクターが口を歪めた。


「久々に魔法石を見た……それで思い出しただけだ。嫌な記憶を……」


 ヴィクターの手がかすかに震えている。

 アリシアはすっとベッドを降りた。

 水差しから水をグラスに注ぐ。


「はい、ヴィクター」

「ありがとう……」


 ヴィクターは口を少し湿らせるとグラスをサイドテーブルに置いた。


「嫌じゃなければ……聞かせてほしい」


 つばめ亭で初めて食事をしたときにヴィクターは言っていた。

 魔宝石で酷い目に遭い、それ以来宝石が苦手になった、と。

 あのときは初対面ということもあり、それ以上聞けなかった。


(でも、今なら――)


「そうだな……。きみには知っていてもらいたい」


 ヴィクターがおもむろに口を開いた。


「フレデリックの母と確執があるという話はしただろう?」

「ええ。カミラ妃ね」


 野望をたぎらせた第二妃だ。


「……子どものときの俺は優秀でな。第五王子だったが、俺が次の王になるべきではと話す高官たちもでてきた。それがかんに障ったのだろうな……」


 ヴィクターとフレデリックは二歳しか違わない。

 もしかしたら、子どもの頃からいろいろ比べられてきたのかもしれない。


(兄弟や姉妹という近しい存在は、常に比較の目で見られるから……)


 アリシアもよく妹であるシェイラと比べられてきたからわかる。


「ある日、カミラ妃から贈り物が来た。美しいダイヤのブローチだった……」

「それが魔宝石だったの?」


「ああ。表面上は義母からの贈り物だ。身に付けることもあったし、私室の宝石箱にしまっていた」

「何があったの……?」


「毎晩悪夢を見るようになった。うなされて飛び起きるなどしょっちゅうだったし、俺は寝不足になって……」

「子ども相手にひどい……!」


 おそらく持ち主に悪夢を見せる魔宝石だったのだろう。


「その悪夢というのがまた……俺の周囲の人間が俺に敵対して、罵詈雑言ばりぞうごんを投げつけてくる夢で、俺は孤独で――」


 そのときのことを思い出したのか、ヴィクターが手で顔を覆った。


「悪夢の影響で、素直に笑ったりできなくなった……。勉強にも集中できず、あっという間に俺の評判は地に落ちた」

「それでどうなったの?」


「トーマスが異変に気づいてくれて……。悪夢を見る以前の生活に戻しましょう、ともらったダイヤを遠ざけてくれた。それで悪夢を見なくなった……」

「よかった……」


 改めて侍従長のトーマスの優秀さがしのばれる。


「トーマスがダイヤを鑑定に出してくれて、魔宝石だろうと教えてくれた。今後、カミラ妃にできるだけ近づかないこと、もらった物はすべて捨てること、出されたものは一切口をつけないこと……」


 ヴィクターが苦しげに遠くを見た。


「俺は心底うんざりしたよ。王位などほしくない。両親や兄弟たちを支えたいだけだったのに。だが、この身分のせいで俺をかして皆王位を見る」


 王子という立場の重責を、アリシアは今初めて実感した気がした。


(いつも笑顔で飄々とされているから全然気づかなかった……)


「王になるには婚姻が必須。未婚の王子に王位は与えられない。だから、結婚する気はなかった。独身主義だと公然と宣言し、自分は敵ではないと兄弟たちに示したかった」


「でもトーマスは諦めていなかったのね……」


 婚約者を熱望していたトーマス。幼い頃からヴィクターの優秀さや人柄を見てきた彼には諦めきれなかったのかもしれない。


「そうだな。強引にきみとの婚約を取り付けた……」


 ヴィクターがそっと手を握ってくる。

 そして、淡い水色の目を向けてきた。


「今はそれに感謝している」


 ヴィクターは微笑んでいた。あれほど苦しそうだったのに、アリシアに心配をかけまいとしている。

 初めての感情が胸にわき上がる。

 この人を守りたい、助けたいと思う強い強い思いだ。


「……大丈夫よ」

「え?」

「私が側にいるから。悪い魔宝石など、決してあなたに近づけないわ」


 今こそ、自分の鑑定眼を誇らしく思ったことはなかった。


(私は最強の女神石をもっている)

(どんな呪いや悪運もしりぞけられる!)


 そっとヴィクターの白銀色の髪を撫でると、心地よさそうに目をつむる。

 愛しさが込み上げた。


(そんな酷い目に遭ったのに、カミラ妃の息子であるフレデリック殿下にわだかまりなく接している……)

(本当に優しい人だ……)


 誰かをこんなに愛しいと、守りたいと思ったことなどない。

 アリシアは胸にわきあがる熱い思いに困惑していた。


(どうしよう……)

(私、ヴィクターのことを……)


 この思いを告げれば、きっとヴィクターは喜ぶだろう。


(でも、そうしたら私たちは夫婦に――)


 そう考えると胸に冷たいものが満ちる。

 自分もトラウマになっているのだ。


 結婚してもうまくいかない。いつか壊れるのだ、とどこかで信じている。

 ケインのときは、愛していなかったから平気だった。


(でも、もしヴィクターから別れを告げられたら?)

(そんなの、きっと耐えられないわ……)


 いつしかヴィクターはすこやかな寝息を立てていた。

 アリシアはヴィクターの寝顔を見つめ、ただ優しく髪を撫で続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る