第24話:つばめ亭再び

 席に案内されると、二人は食い入るようにメニューを見つめた。


「ナスの野菜と挽肉包み! ジャガイモのバターがけ! パイ皮のシチュー!」

「あひるの肉料理、川魚の塩焼き、あさりのパスタ!」


 二人は次々と運ばれてくる食事に舌鼓したづつみを打った。


「マルティナ殿はもうバナナの蒸し焼きを食べたかな……。俺たちも頼むか」

「そうね、食べてみたい」


 注文を終えると、アリシアはちらっとヴィクターを見た。


「それにしても、あなは本当に女性に優しいのね」

「俺が?」


「ほら、困っている人にわざわざ声をかけるじゃない。私の時もそうだったけど」

「困っている女性に手を差し伸べるのは紳士として当然のことだと思うが」


「まあね。それにしても、ずいぶんとマルティナ様と親しげだったわね」

「やきもちか」


 ヴィクターの嬉しそうな顔にイラッとする。

 それは心当たりがあるからだ。

 あの美しい女性に対するヴィクターのいつくしむような眼差まなざしが棘のように刺さっている。


「別に! 独身主義だと宣言していたみたいだし、ずいぶん浮名を流したんじゃないかと思って!」

「誓って言うが、俺は不真面目に女性と付き合ったことなどない!」

「ふーん、そう」


 きっとそれは本当なのだろう。だが、胸にわきあがったモヤモヤしたものは消えなかった。


(やだわ。なんだろう、この不快な感情……)


 ヴィクターとは形だけの婚約者。そのうえ、過去にヴィクターが何をしようとアリシアが口を出す問題ではない。

 制御できない初めての感情にアリシアは戸惑った。


「それより、きみはどうなんだ」

「私?」


 とろとろのバターをからめたジャガイモを頬張りながら、アリシアは首を傾げた。


「過去をしのぶこともあるんじゃないか?」

「そうね。お祖父様に可愛がってもらったことはよく覚えている。宝石を見て、勉強して――」

「そうではなくて……」


 ヴィクターが言いづらそうに横を向いた。


「結婚生活だ」

「ああ……」

「二年も夫婦だったのだろう? やはり懐かしく思い出すこともあるんじゃないか?」


 ヴィクターの心配そうな表情に、アリシアはくすっと笑った。

 マリカたちやマルティナたちのような、行き違いはあっても元のさやに戻る夫婦を見て、思うところがあったらしい。


「言ったでしょ。私、離婚したことをまったく後悔してないわ」


 熱々のシチューをすすりながら、アリシアは微笑んだ。

 気楽でいたいから独身主義だというヴィクターにとって、結婚とはとても重いもので固い絆があるように感じられるのかもしれない。


 だが、自分たちの結婚生活はメレンゲのクッキーのような軽く、少し力を入れると壊れるようなもろいものだった。


(そういう吹けば飛ぶような関係しか築けなかった……)


 口の中に苦いものがあふれる。

 もっと腹を割って話せば何か変わっただろうか。


 愛人と一緒に住みたくない、あなたの妻は私なんだと、主張していたら。

 ちゃんとした結婚生活をしたいとケインに伝えていたら――。


(でも、事を荒立てたくなかったし、プライドが邪魔をして言えなかった。ううん、言わなかった……)


 他人には偉そうにアドバイスをするくせに、自分は何一つできていない。

 そんな自分に嫌気が差す。

 アリシアの気分が沈んだのを見てとったのか、ヴィクターが声をかけてくる。


「すまない。愉快な話題ではなかったな。今日は息抜きに来たのに」


 申し訳なさそうなヴィクターに、アリシアはハッとした。


「あ、私お酒頼みたい!」


 アリシアは無理に明るい声を出した。


「何にする?」


 ヴィクターがメニューを差し出してくる。


「前に飲んだ、あの長い名前の……ええっと、透き通った湖の女神みたいな……」


 ヴィクターがぷっとふきだす。


「澄み切った湖水に舞い降りる天使、だな」


 お酒が運ばれてくると、アリシアは一気に飲み干した。


「大丈夫か?」

「うん、飲みたい気分なの」


 ぐいぐいお酒を煽るアリシアを、ヴィクターがおろおろ見守る。


「アリシア、それくらいに……。また酔い潰れるぞ」

「そ、そうね」


 アリシアは過去の失敗を思い出し、大人しくグラスを置いた。


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