第16話:嵐の予感

「この泥棒猫!!」


 そんな罵倒とともに、バシャアッと思い切り赤ワインをかけられた。

 頭の上から赤ワインまみれになったアリシアは、呆然と目の前の少女を見つめた。

 アリシアを親の仇のように睨みつけるのは、ヴィクターと同じ美しい白銀の髪をした美少女だ。


(ど、泥棒猫? 私が?)


 自分が言うことはあっても、決して言われることはないと思ったののしり言葉に、アリシアは声もない。

 ボタボタとしたたり落ちる赤ワインもそのままに、アリシアは立ち尽くした。


「ジョセフィン!! 何をする!!」


 ヴィクターが慌ててジョセフィンと呼んだ少女から、ワイングラスを取り上げる。


(ああ、もう。今日はなんて日なの?)


 アリシアは事の発端を思い出した。


       *


 ――話は数日前に遡る。


「招待状?」


 私室でくつろいでいたアリシアのもとに、ヴィクターが手紙を片手にやってきた。


「ああ、そうだ。ギャレット夫人からお茶会の誘いが来ている。知り合いか?」

「ええ、まあ」


 ギャレット侯爵夫人は社交界きっての噂話好きの四十代の女性だ。

 おそらく先日のスフィア王国大使宅でのガーデンパーティーで、アリシアが王子の婚約者になったという話を聞きつけたのだろう。


 絶好のネタにギャレット夫人が食いつかないはずはない。

 早晩、何らかの形で呼び出されるだろうとは予測していた。


「どうする? 俺から断っておくか?」


 アリシアが乗り気でないのを見てとったのか、ヴィクターが気をかせる。


「いいえ。遅かれ早かれ、彼女と会うことになるだろうし。行ってきます」

「大丈夫か」

「ええ。よくある貴族の婦人会よ」


 没落したとはいえ、貴族の端くれ、しかも今は王子の婚約者になってしまっている。

 避けては通れない貴族の社交だ。


 そして今日――お茶会の日になった。


「アリシア様!!」


 ギャレット侯爵宅に着くと、見覚えあのある黒髪の女性が駆け寄ってきた。

 その緑色の瞳は生き生きと輝いている。

 胸元には見覚えのある大きなエメラルドのペンダント。


「マリカ様!!」

「嬉しいわ。すぐ会えて……」


 ギャレット夫人は国内の貴族だけでなく、大使夫人まで招待したらしい。


(顔の広いあの方らしいわ。少しでも面白い話を聞きたいのよね)


「こんなに早くお会いできて私も嬉しいです。あれからシオン様とはどうですか?」

「隠し事がなくなったからか、とてもうまくいっています」


 マリカの晴れやかな笑顔を見ると、自分のしたことが悪くないと思える。


「あの、お茶会では隣に座っていいですか?」


 おずおずとマリカが言ってくる。


「もちろん! 私もマリカ様が隣だと心強いわ」


 マリカがごくり、と唾を飲み込む。


「あの、ギャレット夫人はかなりゴシップ好きの方とか……」

「ええ。何か聞かれても、当たり障りのない答えを言うのをお勧めするわ」


 アリシアはマリカと連れ立って屋敷の中に入った。


「まあああ、アリシア嬢!! それにマリカ様も!!」


 豊かな赤色の髪を派手に結ったギャレット夫人が、両手を広げて歓待してくれる。

 大げさな出迎えだったが、アリシアからられる情報はそのくらい価値があるのだろう。

 ギャレット夫人の目は爛々と輝き、まるで獲物を捕らえた鷹のようだ。


「ご無沙汰しています、ギャレット夫人。新年パーティー以来でしょうか」

「ええ、ええ!! あのときはあなたはまだ、ウェズリー伯爵夫人だったわよね」


 ギャレット夫人がにっこり笑う。

 アリシアはウェズリー夫人だった二年間を思い出し、思わず苦い笑いを浮かべた。

 離婚が成立してハミルトン姓に戻れたとき、ホッとしたのを覚えている。


「今、ヴィクター王子の婚約者というのは本当なの?」


 予想どおりの質問に、アリシアはソツのない笑顔を浮かべた。


「ええ、本当なんです」

「まあまあ!! それはぜひ、お話しを聞かせてもらわなくてはね!」


 今にも舌なめずりしそうなギャレット夫人が腕を絡ませてきた。

 話を聞くまで絶対に逃がさないという強い意志を感じる。


「さあさあ、皆様お待ちかねよ!」


 アリシアたちは中庭に面したサロンへと連れていかれた。


「わあ、素敵ですね……!」


 初めて訪問するマリカが圧倒されたように天を仰ぐ。

 天窓からも惜しみなく降り注ぐ日の光に照らされたサロンには、ずらりと貴婦人たちが集まっていた。


「さあ、こちらにどうぞ」

「……」


 一番注目を集める、テーブルの真ん中に誘われる。

 興味津々の眼差しが四方から向けられ、アリシアは内心苦笑した。


(まあ、予想どおりね)


 アリシアは腹をくくった。どうせ、いつかは通る道だ。


「今日は我が家のお茶会にいらしてくださり、心より感謝致します。日頃の疲れや鬱憤うっぷんを、美味しいお茶とお菓子、それに楽しいお喋りで晴らしましょう!」


 ギャレット夫人の言葉と同時に、カップにはお茶が注がれ、テーブルにはどんどん華やかなお菓子が運ばれてくる。


「まあああ、素敵!! これはなんていうお菓子?」

「この紅茶はどちらの?」


 わいわいと貴婦人たちが談笑を始める。


「ほんと、素敵なお茶会ですね!」


 マリカの屈託のない笑顔に、アリシアは小さく頷いた。


「そうね。でも本番はこれからよ」

「ところで、アリシア嬢」


 待ちかねていたように、ギャレット夫人がカップを置いた。


「ぜひ、聞かせていただきたいわ。王子とのロマンスを!」


 その言葉にわっと場がわく。


「私たちも聞きたいですわ!」

「離婚してすぐなんでしょう? どんな早業かと気になっていて!」


 周囲の期待に満ちた目に、アリシアは微笑み返した。


(落ち着いて……大丈夫よ、これくらい。慣れているでしょう?)

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