迷えるおじさんは高度一万メートルから落下中
おれごん未来
「!!!!」
「!!!!」
手も足も、生首も落ちてゆく。
真っ赤に彩られた機体の一部とスマホと靴が、くるくる回って飛んでいる。
わたし自身もしっかり落下中。寝ていたら、起こされた。叩き起こされたとか悠長なものではない、ぶっ殺し起こされた。
突如破滅的事態へと陥ったのだ。なんと腹立たしいことか、このわたしの生命があと数分残されただけとは!
このわたくし様が搭乗してやったジャンボ旅客機が、燃料に引火したかモバイルバッテリーの爆発か撃墜か、なんらかの原因により粉微塵になって。おそらくは巡行状態であった高度一万メートルから、内包していた人やら物やらをてんでバラバラにばらまいて落ちてゆく。
シートベルトを外した。
こんなもの、いまさら何の役にたつというのだ。すこぶる窮屈なエコノミーのシートなぞ、黄泉の旅路の同行者たりえず。願い下げだ。
いやしかし?
思いなおす。彼のおかげがあって無事でいられたのかもしれない。
背中や尻の下からの衝突は彼が防いでくれた結果であろう。首をヘッドレストが支えてくれたのだと容易に想像もつく。
まあ? 結果的にありがた迷惑になった感はぬぐえないが。
一応の感謝を伝え、シートとはおさらば。
足蹴にした、空となった三席がならぶエコノミーシートを見やる。
おとなりさんは……。
搭乗からずっとお肉と加湿でわたしを圧迫してくれていたおとなりさんは、いつの間にかいなくなっていた。立つ鳥シートを赫に染めて。
ケガはない、今のところ。わたしの左そでが赤いのは彼のものだったか。もしかしたら破片から守ってくれたのかもしれない。
だが彼の方が幸せだった可能性すらある。あの出血量、おそらくはもう絶命しているのだ。つまりは一瞬で旅立てた。
こちらもまあ、一瞬は一瞬になろうが、そのときを迎えるまでの時間は苦しまねばならない。憂鬱このうえない。
ネクタイを外し、空に放った。
下は海、か。
プールに腹から落ちたらどうなるか。
ビターンだ。たとえ一メートルでもめちゃくちゃ痛い。赤くなるほどには。
では、一メートルではなく一万メートルであったならどうだろう。
赤くなる、で済むはずもない。まあ赤くは染まろう、成人でおよそ五リットルといわれる血液であたり一面。
いや?
下が海なら千載一遇、助かる道もあるのかもしれない。飛びこみの水泳選手を思いだせ。
一本の弓矢となるのだ。人類最速の嚆矢となって。
両腕を高々とかかげ、手のひらを頭上で合わせ、指をこれでもかと尖らせる。それを下方へとむけるのだ。
たとえ数十メートル潜ることになろうが、指がぜんぶ折れようが、肺が潰れたとしても浮かび上がって救助してもらう。これ。ノースプラッシュ。
いや?
しかし?
めちゃくちゃ風に流されているではないか。
飛行機から投げ出された慣性力はおよそ失い、今はただただ母なる地球に引っ張られている。ようするに垂直落下中。そこへ横なぐりの偏西風。
このまま流されるのだとすると落着地点は……。
陸だ。
どうもギリギリ、陸地になりそう。
ギリギリ海であってもどうせダメなのだ。かのフィヨルドだって、水ぎわすぐならしっかりと浅い。水深二メートルほどに突き刺さってジエンド。くそぅ、わたしがトムジェリであったなら。
陸地、なのか……。
どうせ陸なら斜面だ。幸い平らな砂浜でなく、海からリアス式海岸がせりあがっている。
は? 幸い?
ちゃんちゃらおかしい。
重力と空気抵抗のつりあう終端速度ものスピードで落下中。およそ時速二百キロ、この勢いを絶命せずに弱めるには、落下エネルギーのほとんどを地面との摩擦熱に置きかえねばならない。そのためには、斜面と落ちゆく角度が同じである必要がある。
多く見積もって10度も傾いていれば。
マッターホルンの最大斜度なら80度あるらしい。合わせて90度、ちょうど合う。
しかしながらここは日本なのだ、かの山はない。
それに日本の山々ときたら。マッターホルンとは異なり、日本のふつうの山には木々が生い茂っている。昭和の人たちが一生懸命に杉の木を植えるから、いまわたしが木に激突して死ななければならない。ありがたいことに花粉症にもしてくれて。
不条理だ。
つまり、斜面には一本の木があってもダメなのだ。いつか温泉地別府の手前でみたハゲ山のようであったなら。
いや、傾斜が合っていないのだ。あきらめるより他ない。
そもそも。
仮に角度が合ったとして、斜面に触れることによって落下エネルギーをすべて熱へと変換するには、着地点から少なく見積もっても数百メートル、いやもっと必要。
それほどの距離をマッターホルンの80度の傾斜で、ガリガリ滑りながら延々落ちゆくことをあらわす便利な単語を日本語ってやつは持ち合わせている。一般的にはこれを滑落という。
著名な登山家でも、いや、みなまで言うまい。
周りを見わたせば。
けっこうな数の人たちが生き残っていて、思い思いの数分を過ごしている。
ただただ悲観して叫ぶ人。決して聞こえはしないが、おそらくそれ。
早々にあきらめた人。脱力して、落ちるにまかせている。あるいは気絶しているか。
泣く人。
愛する人を抱えて。
文章を編んでいるのであろう、一心にスマホの画面をタップする人。
!?
なるほど、スマホか。
地上が近い、そろそろ電波も入るころ。
こんな時のために、日ごろから出先でつながりやすい割高な通信事業主と契約していたのだ。いまこそ役立てぇぃ!
ググった。
ここで夢かと見紛う事実と出会う。どうやら1970年代、驚いたことにひとりだけ生還者がいるらしい! 一万メートルからの落下で助かった人が現実に存在するのだ!
これは光明、しかし全身の骨折と事故後の後遺症にはかなりの嫌悪感を。
ええい、それも助かってからのこと。前例はある、だったら二例目になるだけのことだ。
すでに争奪戦は始まっていた。
考えることはみな同じ、少しでもいいクッションを得たい。大きい部品、形のいい破片は取り合いだ。
機体の胴は人気がある。見た目の曲線が期待させるのであろう。いかにも軟着陸してくれそうな形状。
他には座席シート。クッション性を買ってのことか。
わたしは早々にエコノミーシートを蹴っ飛ばしたが。連結された3個の座面で横になった人もいる。
胴体と違って安定せず回転しており、見ているこちらの目が回りそう。
運よく座面か背もたれから落着するのを期待しているのだろうか。確率はおよそ2分の1。だが、ねじれ方向の回転ずれを加味するとそれが一気に低下する。
人差し指と中指を交差させて、グッドラック。えんがちょではなく。
さて。
争奪戦にはすっかり乗り遅れた。なお、争いに加わるつもりは毛頭ない、不毛が過ぎる。
かと言って、指をくわえてそのときを待つのが性に合わないのは確か。何かはしよう、何らかの努力は。
あれは!?
少し下方で落ちゆく荷物が目に入った。機体の破片やシートに比べたら小さな、しかし大きい荷物。黄泉への同行者はあいつにしよう。
わたしは機体でなく、巨大なスーツケースを選んだ。
カギがかかっていたらどうしよう。
先約が中に入っていたらどうしよう。
考えながら留め具をいじっているとあっさりとオープン。カギはかかっていなかった。
広げると、いや広げずとも風でバサーっと内容物がワラワラワラ。ドレスとドライヤーと下着と、ヒールと下着と部屋着と下着とがわやくちゃで宙へ。
それらぜんぶを送りだし、代わりに自身がおさまる。風の抵抗に負けないよう、ケース内側の布を、柔道着のように巻きこんでつかみ。
万力のような力をこめ、二枚貝よろしく閉じた。
幸いにも、左右を合わせたらガチャンとロックされる仕組み。これは本当に幸い。
だがこれで真っ暗になって、もう自力では出られず、外はもう見えない。
地表まであとどれくらいの高さだったろうか。あわてていて見逃した。
あと何秒か。
痛いほどであった風は直接感じなくなって。
音はスーツケースの蝶番のきしみと、あらん限りの空気との摩擦だけ。
こんな数ミリしか厚さのないプラスチックになんの期待をしているんだか。
後悔はない。
あとは、また会いたい人の顔を思い浮かべて。
目を閉じる。
迷えるおじさんは高度一万メートルから落下中 おれごん未来 @oregonian
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