第2夜 草のベッド

 身体が妙に冷えて目を開けると、木々の間から星空が見えた。

 暗闇を照らす星々。


「……え?」


 身体を起こそうと咄嗟に手をついたら、手に土がついた。

 湿った土と草の匂い。

 

 ……外?

 

 なんで俺、外で寝てんだ?


 慌てて起き上がってあたりを見回すも、そこには寒々しい暗闇しかない。


 目を凝らしても薄暗い中に浮かび上がってくるのは木のシルエットばかり。

 明かりは何もなし。

 

 見渡す限り、木、木、木。

 木に囲まれている。

 

 なんだこれ、夢か?


「……ふぇ、っくしょん」


 どうしよう、めっちゃ寒い。


 俺が着ているのは白いワイシャツと黒いズボン。

 しかも、なんと靴は履いておらず黒い靴下だけ。

 要は寝た時のままの格好だ。

 

 ひとまず服についた土をはたきながら立ち上がってみたけれど、靴下に土の水分が染みてきそうな感じがしたので、慌てて草が生えているところに爪先立ちで乗り移る。


 聞こえるのは、サワサワと木々の葉が揺れる音だけ。


 なんだろう、この妙な現実感。

 

 え、どうしたらいいんだ? これ。

 俺、もしかして遭難してる?

  

 ここにずっと立っているのも嫌だし、せめてもう少し暖かいところか、舗装された地面のあるところに行きたいんだけれども、本当にまわりに明かりも何もないのでどちらに進んだらいいか分からない。


 靴がないから、長くは歩けそうにないな。


 そんな状態で森の中を延々彷徨さまよい歩きたくはないし、せめて方角を見失わないようにしないと。


「あ……星」

 

 そうだ、北斗七星の先に北極星がある。

 そっちが北のはずだ。

 

 昔の理科の授業の記憶を引っ張り出した俺は、木々が少し開けているところに移動した。


 空を見上げて、草の上で踵に体重をかけて少しずつ回転しながら、北斗七星を探してみる。


「……無い……」

 

 北斗七星って、見えない時期あったっけ……?


 不思議に思っていると、ふいに左の方から微かな物音がした。

 

 まるでひどく重いリヤカーでもいているような、大きな車輪が悪路を進むような音が近付いてくる。


 耳をすませると、ゆっくりとした馬の足音? なんかパカパカした音がする。

 

 なんだ? もしかして、人もいるのか?


「グウルルルルル……」


「!」


 それと同時に、反対側の茂みから獣のような低い唸り声。

 頭から冷や水を浴びせられたように、俺は縮み上がった。


 暗くて見えないのに、獣の視線が自分に注がれているのが分かる。

 

 犬? いや、声からしてもっと大きそうだ。

 熊……も違う気がする。なんだ?

 

 じっとりとうなじに絡み付くような視線。

 命を奪おうとしている、気配。

 

 生命の危機って肌で感じ取れるんだ、と頭の隅で役にも立たないことを考えてしまう。


 しかし肝心の身体はすくみ上がって動けず、振り返ることもできない。


「……危ない!」


 さっき馬の足音みたいな物音のした方――つまり獣の反対側から若い男性の声と、駆け寄ってくる足音。

 

 男性は何か明かりを持っている。

 懐中電灯じゃないな……何あれ、カンテラ?

 

 男性が俺の前を駆け抜けた気配。

 すぐにキャンッと犬のように喚く鳴き声がして、けれども明らかに犬ではない気配のそれが、四足で地面を蹴り去っていったのが分かった。

 

 え、何が起きた? 光源が少なすぎて分からない。


「……君、大丈夫?」


 カンテラを向けられて、その向こうに心配そうな金髪の外国人男性の顔が見えた。


 男性の連れなのか、何かを抱き抱えている女性も小走りに近づいてきた。表情までは暗くて分からない。


 外人さんだったのか。日本語喋れるんだ。


 男性の方は柔らかそうに波打った短い金髪に彫りの深い顔。

 服は首元に編み上げ紐のついたシャツにタイトなパンツ、足元はロングブーツかな? 暗くてよく見えない。


 カンテラを持っていない方の手には、何か銀色っぽい長い棒?

 

 女性の方も外人さんだった。


 色素の薄い大きな瞳と通った鼻梁。茶色い髪をひとつに結び、ビスチェのついた丈の長いワンピースを着ているみたいだ。

 か細い泣き声がして、抱きかかえている布の中身が赤ん坊だと分かった。

 

 彼らはまるで中世ヨーロッパの絵画から出てきたような出で立ちだった。

 なんでそんな格好をしてるんだろ?


 女性が俺の方を向き、呆れたように口を開いた。

 

「あなた、こんな夜中に丸腰で森に入るなんて危ないじゃない! 魔物のエサになりたいの?」


 丸腰? 魔物?

 固まっている俺を見て、カンテラの青年が遮った。


「エミリア、彼は靴を履いてないようだ。きっと何かトラブルがあったのさ。――ゴブリンは追い払ったが、奴らはすぐ仲間を呼んで群れるから早くここを離れた方がいい。ひとまず、うちの馬車に乗りなさい」


 魔物、ゴブリン、馬車。

 まるで剣と魔法のファンタジーみたいな言葉を次々と放つ外国人夫婦の前で、俺はポカンと口を開けた。


「僕の名前はルカ。君は?」


「え。そ……颯太です」


「ソータか、珍しい名前だね。ひとまず僕らの住んでいるエトヴィア村まで行くけどいいかい?」


 えとゔぃあ。

 聞き間違いか? 脳内で漢字変換出来ない。


 というかそもそも……村?

 

「あの……変なこと聞きますけど、ここ日本ですよね?」


 ルカは不思議そうな顔で頭を傾けた。


「ニホン? 違うよ。ここは帝国嶺の外れだ」


「て……え、何て? うわっ! いてて」


 聞き返そうと身を乗り出した拍子に、腕を茂みの枝で思いっきり引っ掻いてしまった。


 結構強く引っ掻いてしまい、じんわりと血が滲んできた。わりと痛い。


「あーあ……やっちゃった」


「仕方ないわね……。あなた、ミーニャだっこしててくれる?」


 確か先ほどエミリアと呼ばれていた女性が、赤ん坊を包みごとルカに渡すと、俺に近づいてきて腕を掴んだ。


 えっ、と驚いていると、彼女は反対の手のひらを俺の腕の傷にかざした。


「え、何ですか?」


「じっとしてて」


 すると驚くべきことにエミリアの手のまわりを神秘的な青白い光が包み、その光が大きくなっていった。

 風もないのにエミリアの髪が、俺の髪がなびく。

 

 俺は突然の光に驚いて仰け反りそうになったが、エミリアが俺の腕をしっかりと捕まえていて逃げられなかった。


「……はい、おしまい。ひとまず村へ行くわよ。宿があるから連れていってあげるわ」

  

 不思議な光が消えると、俺の腕の傷は跡形もなく消え去っていた。


 信じがたい光景をゼロ距離で見せられてしまった俺は、


「……あっ、ソータ!」


 再び草のベッドに倒れ、意識を失った。

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