第十二話「こいつに旧神の加護を与えるな!」

 深くため息をついたノラムは、机の上の貴族会議に提出する書類に視線を落としながら、静かに呟いた。


「……もう、これ以上は抱えきれないわ」


 視線の先には、クタニドが大きなソファに腰掛け、足をぶらぶらと揺らしながらぬいぐるみを撫でている姿が見えた。

まるで無邪気な少女に見えるが、その正体は旧神。

ノラムの疲弊も無理はない。



 もうこれ以上の混乱は避けたい──そう判断したノラムは、穏便に帰ってもらうべく態度を改めた。


「改めて本日はご足労いただきありがとうございます、クタニド様」


 ノラムは先程とはうって変わって深く頭を下げる。


「こちらでよろしければ、特製の紅茶と菓子をご用意しておりますので」


「ふむ……なんだか急に態度が変わったのう?

そなた、なかなか心得ておるな?

わしも気まぐれなのじゃが、これは……ふふ、悪くないのう」


 まるで機嫌を取るように、ノラムは屋敷中からかき集めた最高級の品々を用意させていた。

ルーチェはというと、横からひょいと現れて……


「クタニド様、マッサージなどいかがです? ノラム様にもよくお仕えしておりますので」


「む? むむむ……? ほう、これは……ほほう?」


 クタニドの髪の触手がぴょこぴょこと動き始め、頬を赤らめるようにして身を委ねた。


「のう、ルーチェ、そなた、もっと腰のあたりを丁寧にじゃな……うむ、そこじゃ。

ふふ、愉快愉快」


──その様子を見たノラムは、何も言わずに首を振るだけだった。


 やがて、クタニドは満足したように立ち上がると、小さく頷いた。


「うむ、そなたらなかなかのもてなしじゃった。

ノーデンスに伝えておくとしよう。ではの、またな〜」


 そして空間をふわりと揺らがせ、クタニドは姿を消した。


 一方、ドレッシーは無言のまま壁際に立っていたが、ようやく動き出す。


「はぁ……なんとか帰って…いや昇天とでも言うべきか?とりあえず、我が主

─ドヴィル・プリンセス殿下には報告を…」


 ドレッシーが踵を返そうとした、まさにその瞬間。


 空間が凍る。


 一歩、踏み出す音すら届かぬほどの重圧が屋敷を包み、天井の影が銀色に染まり始めた。


「……今?」


 ノラムの呟きと同時に、銀の霧をまとった影が現れる。



 銀の霧が屋敷の空間を染め上げ、静かに一人の女性が現れた。

銀髪は風に溶けるように揺れ、月光のドレスが優雅に波打つ。

星のように光る瞳が一同を見渡し、

旧神の一柱が、静かに口元をほころばせる。

その姿は、まるで月光をまとった女神。


──旧神ノーデンス、降臨。


 ノラムは数秒間その姿を見つめた後、深く、大きく、ため息をついた。


「……お願いですから、もう帰ってください」


 まったく容赦のない言葉に、ノーデンスは少し困ったように頬へ手を添える。


「えぇ?私は一応、旧神なのだけれど……?

それに…まさかとは思うけれど、私のためのもてなし……ないのかしら?」


「ありません」


 ノラムの返答は即答だった。


 ノーデンスはふっと笑いながら、ルーチェへ視線を向けた。


「あっ、ほら、あなた──以前旧神界に招いたでしょう?

古代神に自分から会いに行くなんて珍しい人間だったから招いたのよ」


「あ、あのときはっ……っ」


 ルーチェが言葉に詰まる一方で、ノーデンスは話を続ける。


「そして……ええ、あの時の“副作用”も実に興味深かったわ。

性欲が10倍になったあなた、本当に愉快だったもの」


「はぁ…」


「おい……」


 ノラムが眉をひそめ、ドレッシーが腕を組んでため息をつく。


「神にまで欲情するとは。逆に安心するな、いつも通りで」


「ち、違います! あれは副作用のせいで……! ぼ、僕の本意では……!」


「10倍じゃなくてもどうせ変わらないでしょうよ…」


 必死に弁解するルーチェの姿を、ノーデンスは楽しげに見つめている。


「キュビリアがあなたに会いに行ったと聞いてね。

私も我慢できなくなって、会いに来ちゃったの」


「……そ、それは光栄なんですが、ノラム様のお言葉の通り、今日はお帰りいただいたほうが……っ」


「……」


 ルーチェの態度が、あまりにも不自然だった。

ドレッシーが目を細め、ぐっと一歩前へ出る。


「……おまえ。なにか隠しているな?」


「えっ、い、いや、そんなことは……!」


 明らかに挙動不審なルーチェの姿に、ドレッシーが詰め寄ると──


「そういえば、私が彼を招いた時に太古魔法を授けたわ」


 ノーデンスがさらりと口を開いた。


「お、お待ちください! それは、今ここで言わなくても──!」


「ふふ、どうしたのかしら。

“銀霧穿孔”という名前でね。

壁を貫通して透視できる魔法なの。

でも副作用がちょっと可愛いのよ。

発動後30秒間、耳の感覚が異常に鋭くなるの。

囁かれると、もうゾクゾクしちゃうのよね?」


「…あっ…ぁぁ…」


 ルーチェは顔を真っ赤にして、言葉にならない声を漏らすばかりだった。

ノーデンスの口から飛び出した魔法の詳細に、室内の空気が一変した。


「“銀霧穿孔”……壁を貫通して透視する魔法、だと……?」


 ドレッシーの蒼い瞳が険しく細まり、ルーチェを睨みつける。


「……おい。副作用が耳の感覚が鋭くなる? それが可愛いだと?

貴様だけ、何故そんな軽い代償で済んでいるんだ!」


「い、いや、あの……本当に、僕が決めたわけじゃなくて……ごめんなさい……!」


 ルーチェは困ったように両手を上げて小さく縮こまる。

だがドレッシーは引かない。

怒気を孕んだ声で、ノラムへ視線を向けた。


「なあ、ノラム・ダッチェス、おかしいと思わないか? 旧神の力を借りて、その程度の副作用なんて──」


 だがノラムは、返事をしなかった。

いや、できなかった。

彼女の体は小さく震え、表情は石のように固まっていた。


「ノ、ラム……?」


 心配そうに呼びかけたドレッシーに応えるように、ノラムはぽつりと呟いた。


「……今の、聞き間違いじゃなければ……壁を透視って、言ったわよね?」


 全員の視線が、ルーチェへ向く。

ルーチェは顔を引きつらせたまま、手をひらひらさせて否定する。


「ち、違うんです! 僕はっ、ここに来てからは一度も──」


「一度だけ使ったわよね? あの時……」


 ノーデンスの一言が、場を静寂に包み込んだ。


「──あ……っその…自室で…コス…もごっ、モゴモゴモゴモゴ…」


 ルーチェの顔が青ざめ、ノラムの目に光が戻る。


「その“一度”って……まさか……」


 ノラムの脳裏に、ある“記憶”がよぎった。

夜、自室、着替え。

幼馴染のレイナとナルタが酔った勢いで悪ふざけでオーダーメイドしたコスプレ衣装。

一度だけなら…と自室で着てしまったあの衣装。

──忌まわしき、うさみみフリルの“魔法少女のらむ”。


「……ルーチェ」


 ノラムの声が低く、震えていた。


「──まさかとは思うけど。

今、モゴモゴ言っていたのは……『ノラム様が自室で魔法少女のコスプレを──』って、言いかけた?」


「その、ええと……っ!」


「お前、見たのね!? あのコスプレを!!!」


バンッ!


 ノラムの手が机を叩き、椅子を蹴って立ち上がる。


「ルウウゥゥゥゥチェェェェッッ!!!!!


あなた……処刑よ!!


今すぐ!!


今すぐ処刑!!!


処刑するわ!!!!!!!」


「ひいぃっ!? ノラム様ごめんなさいごめんなさい!!」


 ルーチェがドンッ!と硬い床に額を打ちつけ、ルーチェはまるで地面にめり込む勢いで土下座した。


「ドレッシー! 押さえてなさい! の変態を今ここで──!」


「待てノラム殿! さすがに落ち着け!」


 ドレッシーが慌ててノラムを押さえ込み、ようやくその勢いを止める。


 ルーチェは涙目のまま顔を上げ、地面に這いつくばったまま懺悔を口にした。


「ほんとに、あの一回だけなんです……! それがあまりに罪深くて……! それから一度も使ってませんでしたぁ! 本当に、本当に、すみませんでしたぁああ……!!」


 室内には、ルーチェの土下座音と、ノラムの殺意だけが、静かに残っていた──。

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貴族令嬢の普通(自称)の執事だったのに、いつの間にか神々に振り回されてる件 よるかる @yorukaru

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